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二計画  作者: 喰ったねこ
第六章:神聖国編
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第88話 城壁という名の棺桶

要塞グラードから一時撤退したロキヌス帝国軍は、要塞を遠巻きに包囲する位置で再集結していた。指揮車の中、私はテーブルに広げられた詳細な地図を指でなぞっていた。傍らにはモルトケ参謀総長とスコルツェニー将軍、そして護衛のアノンが控えている。モルトケの表情は硬い。彼はまだ、私が寒さと敵の数に恐れをなして撤退したのだと思っている。その目には、隠しきれない失望の色があった。


「……見て、モルトケ。この要塞の構造」


私が指差したのは、市街地の地下を網の目のように走る水路の図面だった。それこそが、敵の神出鬼没のゲリラ戦を可能としているものだった。


「……は、はい。古くからある要塞都市だけあって、上下水道が完備されていますね。それが、何か?」


モルトケの声は沈んでいる。敗走のさなかに水道の話など、と思っているのだろう。


「この世界の上水道は、(前世のような)密閉パイプではなく、石造りの溝に蓋をしただけの構造、あるいは地下水路カナルになっている。メンテナンスのために、上部に人が通れるほどの空間があるわ」


私はアノンに目配せし、地図上の数カ所を指さした。それは、要塞の外から内部へと繋がる、取水路や排水口の開口部だ。細くて軍隊が通れるような道ではない。当然、要塞である以上、鉄格子などの侵入阻止装備もあるのに違いない。だが……


「空気より重い『塩素ガス』を流し込むには、最高のルートよ。ここから注入すれば、ガスは水路を伝って要塞の地下深くまで浸透し、井戸やマンホールから地上へと溢れ出す。……敵の足元から、逃げ場なくね」


「……は?」


モルトケが、ポカンと口を開ける。


「地上には建物が多く、ガスが拡散しにくい。さらに、あの高さ50メートルの鉄壁の城壁が、ガスを閉じ込める巨大な『容器』の壁になる。……条件は完璧よ。私に籠城なんていう作戦が通用するわけないでしょ」


私は顔を上げ、冷徹に命令を下した。


「撤退は偽装よ。敵を一つの籠に集めるためのね。……作戦開始。まずは、ゴキブリの逃げ道を塞ぐわよ」


その言葉に、スコルツェニーが獰猛な笑みを浮かべた。「なんと!敵を招き入れたのは、まとめて蒸し焼きにするためでしたか!ガハハハ!陛下は性格が悪くていらっしゃる!」


要塞グラードの司令塔で、ユリウスが勝利の美酒に酔いしれていたであろう、まさにその時。要塞を取り囲む静寂が、唐突に破られた。


シュボボボボッ!!


狂ったような噴射音と共に、帝国軍陣地から放たれた数台の「ロケット台車」が、猛スピードで疾走する。狙いは、開け放たれていた四方の城門だ。敵兵が気づく間もなく、台車はアーチ部分に激突し、積載されていた大量の爆薬が炸裂した。


ズゴォォン!!ガラガラガラ……!


石造りのアーチが崩壊し、巨大な瓦礫が雪崩のように降り注いで城門を完全に塞いだ。四つの出口すべてが、自らの瓦礫によって物理的に封鎖された。これで、要塞グラードは、出口のない巨大な石の器となった。


「続いて、203高地の砲兵隊に打電、砲撃を再開し、敵を地下に追い込め」


モールスが打電され、数分でグラードを再び鉄の雨が襲った。

雪で視界が悪いが、今回の作戦では精密な砲撃は必要なかった。

これは、敵を下層に追い込むための落し蓋だ。


我々帝国軍の急襲に、内部の敵兵たちがざわめき始める。その混乱の隙を突き、工兵隊が迅速に動き始める。地図で特定された外部の水路口に、巨大なポンプ車のホースを接続しようと駆け寄る。


だが、城壁の上の敵も無能ではない。こちらの意図を察知し、即座に反応した。


「敵の工兵だ!水路に何かを仕掛ける気だぞ!」「させぬわ!焼き払え!」


城壁の上から、数百の火球と雷撃が降り注ぐ。さらに、上空待機していた天使部隊が、剣を抜いて急降下してきた。生身の工兵など、一撫でで肉塊に変えられる戦力差だ。


「ヒィッ!敵襲!作業できません!」


工兵たちが悲鳴を上げ、身を竦める。ホースの接続が止まる。だが、私は眉一つ動かさなかった。


「……無防備で作業させるわけないでしょう。――掃除しなさい」


私の呟きに応えるように、大地を揺るがす咆哮が響いた。


「ガハハハハ!待っていたぞ鳥人間ども!陛下の作業を邪魔する羽虫は、この俺が叩き落とす!」


黒い甲冑の巨体――スコルツェニー将軍が、工兵たちの前に立ちはだかった。彼は魔力で赤熱させた巨大な戦斧を振り回し、襲いかかる天使を真正面から迎え撃つ。


ドゴォォン!!


「ギャッ……!?」


天使の剣ごと、その体が両断される。返り血を浴びたスコルツェニーは、魔神の如き形相で吼えた。


「工兵隊!手を休めるな!貴様らに指一本触れさせん!死にたくなければポンプを回せぇ!」


さらに、後方の陣地からモルトケの声が響く。


「銃撃隊、構え!敵の魔導師を狙え!弾幕で頭を上げさせるな!」


ダダダダダダッ!!


数千丁のマスケット銃が一斉に火を噴く。城壁の上で詠唱していた魔導師たちが、次々と撃ち抜かれて転落していく。降り注ぐ鉛の雨が、敵の反撃を封じ込める。


「天使が来るぞ!第2班、対空射撃!」「障壁展開!工兵を守れ!」


帝国兵たちは、自らの体を盾にして、ポンプ車を守り抜く。 天使の剣に貫かれ、雷撃に焼かれながらも、彼らは一歩も引かない。ただひたすらに、私が命じた「ホースの接続」という作業を完遂するためだけに、命を消費していく。


その光景を、私は冷めた目で見つめていた。


(……理解不能ね)


私の脳裏で、冷徹な計算式が弾き出される。 普通なら、恐怖で逃げ出す場面だ。生存本能に従えば、こんな割に合わない命令は拒否するのが生物として正しい。 だが、彼らは逃げないどころか、自ら進んで盾となり、死んでいく。個体の生存本能を無視した、異常なまでの統率と自己犠牲。


(だけど、効率的だ)


『効率的すぎて、気味が悪い?』


心の中で、もう一人の私――村娘のリオが、悲しげに囁く。


(ああ、そうね。死ぬのに、逃げずに戦うなんて、非合理的だわね)


『違うわ。彼らは、貴女を信じているのよ』


(信じる? 私を?)


『そう。貴女が示した「勝利」を。「か弱い少女」が、自分たちを導いてくれている。貴女について行けば、必ず勝てると信じているから……こうして、笑って命を投げ出せるのよ。貴方が国を守ってくれるってね』


村娘の声は、どこか悲しげで、そして痛々しかった。


(……馬鹿な連中。私は彼らを、毒ガスを撒くための「部品」としか見ていない。そう、私の生存圏(レーベンスラウム)構築の礎に過ぎないというのに)


『それでもよ。……本当に、罪作りな人、貴女は』


私は、胸の奥に走る微かな痛みを無視して、意識を切り替えた。 その鉄壁の守りに守られ、工兵たちは震える手で、しかし確実にホースを接続した。


「せ、接続完了!ポンプ始動します!」


「『散布』開始。……たっぷりと、注いでやりなさい」


私はスイッチを入れた。唸りを上げるポンプ。ホースから送り込まれたのは、黄緑色の「死の霧」――塩素ガスだ。


ガスは計算通り、地下水路の空洞を這い進む。重い気体は水面を覆い、分岐する水路網を通って、要塞内部のあらゆる場所へと拡散していく。そして、街中の井戸、地下室の通気口、路地の排水溝から、音もなく溢れ出した。


「……なんだ、この臭いは?」「黄色い霧だ!地面から湧いてくるぞ!」


異変に気づいた時には、もう遅かった。膝下まで浸かるほどの濃密なガスが、密集した兵士たちの間を縫うように広がっている。


「毒だ!毒ガスだ!」


要塞の低い位置にいた兵士たちが、喉を押さえて倒れ始める。地下壕に隠れていた者たちは、逃げる間もなく高濃度のガスに巻かれ、肺を焼かれて絶命した。


「魔法で防げ!風魔法使い、吹き飛ばせ!」


指揮官の絶叫に応え、魔導師たちが風魔法を放つ。だが、私の予測通り、高い城壁に囲まれたこの空間では、風は行き場を失って渦を巻くだけだ。ガスは壁に当たって跳ね返り、むしろ撹拌されて、より高い位置にいる兵士たちの肺までもを蝕んでいく。


「ごふっ……!か、風が……効かぬ……!」


魔導師たちが次々と倒れる。パニックになった兵士たちは、砲撃のさなか、我先にと高い場所――塔の上や城壁の上部へと逃げようとする。


「高い所へ逃げれば助かるとでも?……甘いわ」


私は、発射台の方を向いた。そこにセットされているのは、無数の「ハト誘導ロケット」。今回のハトは、「高い位置にいる動くもの」を標的とするよう訓練されている。


「行ってらっしゃい。……追い落とし係さん」


シュボボボッ!!


次々とロケットが発射される。それらは、毒ガスの海から頭を出している塔の上や、空へ逃げようとする天使たちに殺到した。


「来るな!撃ち落とせ!」


高い所に逃れた兵士たちが応戦するが、数は多すぎる。ロケットが直撃し、爆発する。吹き飛ばされた兵士や、翼を折られた天使たちが、悲鳴を上げながら眼下の「毒の海」へと落下していく。


ドボン、という音と共に、彼らは黄緑色の霧の中に消えた。そして、二度と浮かび上がってくることはなかった。


数時間後。ガスの注入が止まり、要塞内には死の静寂が満ちていた。風魔法で抵抗する音も、悲鳴も、祈りの声も、全てが途絶えた。八万の軍勢は、誰一人として城壁を越えることなく、沈黙した。


丘の上からその光景を見ていたモルトケが、ガタガタと震えながら口を開いた。


「……これだったのですね。陛下が撤退を命じた理由は」


「ええ。まともに戦えばこちらの被害も甚大になる。だから、一度引いて、敵に『安全だ』と思わせ、一箇所に集めた。……その方が、ガスの効率もいいでしょう?」


私は、淡々と告げた。モルトケの顔から、先程までの失望の色が消え失せ、代わりに、底知れない畏怖の色が浮かび上がってくる。


「なんと……。私は、陛下が冬の寒さと敵の数に恐れをなし、心を折られたのだとばかり……。なんたる不覚!敵を油断させ、一網打尽にするための完璧な布石でしたか……!」


モルトケは、その場に跪き、深々と頭を下げた。一方、スコルツェニーは、燃え上がる要塞を見て高笑いしている。


「ガハハハ!痛快!城壁を鍋にして、敵を煮込むとは!これぞ究極の殲滅戦!陛下、貴女様こそ真の戦神であらせられる!」


「破星。このままの勢いで、聖都ルミナスへ進軍するのか?」


アノンが静かに問う。だが、私は首を横に振った。


「いいえ。ここで停止よ」


「えっ……!?なぜですか?今なら敵は壊滅状態ですぞ!」


スコルツェニーが驚いて食い下がる。


「こちらの消耗も限界よ。ロケットも毒ガスも使い果たしたわ。ハトの補充も必要だし、何より……兵士たちが持たない」


私は、極寒の風が吹き荒れる荒野を見やった。帝国兵たちは勝利に沸いているが、その体は限界を超えている。ここで無理に進めば、補給線が伸びきり、冬将軍に殺される。歴史上、冬の将軍を侮って滅びた軍隊は数知れない。


「この要塞を拠点にするわ。毒ガスを換気し、死体を片付け、暖房設備を整える。そして、この八万の死体から魔石を回収し、来るべき決戦のエネルギーとするの」


私は、遥か北の空を見上げた。


「……春を待って、万全の状態で聖国を滅ぼしにいきましょう」


ロキヌス帝国軍は、沈黙した要塞グラードで、進軍を停止した。

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