第82話:焦土の神聖国
ロキヌス帝国軍の快進撃は、開戦から三日にして、ある種の「限界」に直面していた。
それは敵の抵抗によるものではない。
我々の足が、速すぎたのだ。
「……信じられん。三日でここまで来るとは」
揺れる装甲指揮車の中で、モルトケ参謀総長が地図と現在地を見比べ、呻くように言った。
魔法戦による通常の作戦行動であれば、ここまで侵攻するのに数ヶ月は必要な筈だ。
だが、リオが導入した科学化歩兵師団は、敵の抵抗を科学の新兵器で排除し、あっという間にゲメリア領内の第二都市、アルカディアへと到達していた。
「素晴らしい脚力ですな! 陛下! このまま一気に聖都まで駆け抜けましょうぞ!」
同乗しているスコルツェニー将軍が、窓の外を流れる景色を見ながら鼻息を荒くする。
彼は魔力で身体強化しているため疲れ知らずだが、生身の兵士や機械はそうはいかない。
「……そう簡単にはいかないわね」
私は、前方に広がる都市のシルエットを見ながら、静かに告げた。
アルカディア。そこにあるはずの活気や、守備隊の気配が、まるで感じられない。
漂ってくるのは、不気味な静寂と、焦げ臭い煙の匂いだけ。
「……全軍、停止。警戒せよ」
私の号令で、帝国軍が停止した。
◆
都市に入った私たちは、そこで敵の指揮官の「覚悟」を見せつけられることになった。
家屋は全て焼き払われ、備蓄倉庫は空。井戸には家畜の死骸が投げ込まれ、毒で汚染されている。
住民の姿は一人もない。強制的に疎開させられたのか、あるいは……。
「……見事なまでの焦土作戦ですな」
モルトケが、ハンカチで口元を覆いながら顔をしかめた。
周辺の村落も同様だった。食料、水、燃料……現地調達できる物資は、徹底的に破壊されている。
「卑劣な! 正々堂々と戦わず、民の家を焼いて逃げるとは、それでも騎士か!」
スコルツェニーが戦斧を地面に叩きつけて激昂する。
だが、モルトケは冷静に、そして深刻な表情で分析した。
「いえ、将軍。これは軍略としては極めて有効です。特に、我々のような大軍にとっては致命的になりかねない」
モルトケは私に向き直り、地図上に補給線を示す線を指でなぞった。
「陛下。部隊の進撃速度は驚異的ですが、その分、後方の輜重(補給)部隊との距離が開きすぎています。その上、現地での水や食料の調達が不可能となれば……」
「兵は飢え、補給は止まる。……敵は、こちらの弱点を正確に突いてきたわね」
私は、奥歯を噛み締めた。
私の作った「科学の軍隊」は強力だ。だが、その強さは膨大な「物資」の上に成り立っている。
魔法使いが杖一本で戦えるのに対し、私たちは、進めば進むほど、大量に消費される物資と巨大な胃袋を満たし続けなければならない。
◆
同時刻。
ゲメリア神聖国、聖都ルミナス。 都市の中心に鎮座する、白亜の大理石で築かれた尖塔――「星の神殿」。 その最奥にある謁見の間で、ユリウスは聖帝の前に跪いていた。
「……ユリウスよ。国境の都市を捨て、民の家を焼き、井戸に毒を撒くとは。それが神に仕える者のなすべきことか」
「はい、聖帝陛下。全ては『魔王』を討ち滅ぼすため」
ユリウスは、表情一つ変えずに答えた。
「敵の『科学』とやらは、物資を大量に消費します。彼らは大地を食らいながら進むイナゴの群れ。ならば、その進路にある全てを焼き払い、荒野と変えればよいのです」
「民が飢え、凍えるぞ」
「民は『神の羊』です。狼を罠にかけるための餌となるならば、それもまた至上の喜びでありましょう」
聖帝の許可が下りた。
それは、自国民に対する死刑宣告に等しかった。
◆
ロキヌス軍の前線基地。
兵站の状況は、急速に悪化していた。
兵士たちの間には、疲労と空腹、そして「渇き」が蔓延し始めている。
「水だ……水をくれ……」
「魔法で出せばいいだろう!」
「馬鹿野郎! さっきから出し続けて、もう魔力切れだ! これ以上使ったら、次の戦闘で身体強化も障壁も張れなくなるぞ!」
兵士たちの怒号が飛ぶ。
彼らも魔法を使えるが、数万人の軍勢の生活用水を賄えるほどの魔力を持つ者は少ない。
「陛下。撤退、あるいは一時後退して補給を待つべきです。このまま進めば、敵と戦う前に軍が自壊します」
モルトケが進言する。それは、軍事的な常識に照らし合わせれば、最も正しい判断だ。
だが。
「……撤退はしないわ」
私は、地図を睨みつけながら宣言した。
ここで引けば、敵に再建の時間を与えるだけだ。
「ですが陛下! 水がありません! 魔法部隊の魔力も、水生成で枯渇しつつあります!」
「モルトケ。貴方は『魔法』に頼りすぎているわ。水なんて、そこにいくらでもあるじゃない」
私は、汚染された井戸や、泥の混じった川を指差した。
「毒が入っていようが、泥水だろうが、水は水よ。『ろ過』してしまえばいい」
「ろ過……? 布でこした程度では、毒は消えませぬぞ?」
「これを使うのよ」
私は、アノンに命じて、一台の装置を運び込ませた。
炭と砂、そして特殊なフィルターを層状に重ねた筒状の装置。
『携帯用ろ過装置』だ。
「こいつを通せば、毒も泥もバクテリアも取り除ける。魔法で浄化するより、物理的に濾し取る方が、遥かに低コストで確実よ」
試しに、泥水を装置に通してみせる。出てきたのは、透き通った真水だ。
モルトケが、信じられないものを見る目で、その水を口に含んだ。
「……飲める。魔力を使わずに、泥水が清水に……!」
「そして、後方からの輸送手段も変えるわ」
私は、ヴァルキリー内にある専用通信機を起動した。
この世界には電波通信の概念はない。
だが、旧文明のオーパーツであるこの機体と、帝都聖域の地下にある実験室との間だけは、暗号化された直接回線が生きている。
「……私よ。帝都ガラド、実験室応答せよ」
『こちら帝都。感度良好です、陛下』
ノイズの向こうから、シオンの声が聞こえた。
彼は実験室のコンソールを操作し、通信を受け取っているはずだ。
「緊急オーダーよ。シオン、輸送部隊の隊長へ至急伝令を」
私は矢継ぎ早に指示を飛ばす。
さらに、前線基地の通信士にも指示を出す。
「おい、後方への『有線』は繋がっているか?」
「はっ! 工兵隊が昼夜兼行で銅線を延ばしております! 第二中継地点とのモールス信号、開通済み!」
「よし、打電せよ。『ウシロニオクルナ、マエニオクレ』。……『蒸気トラック』を大量投入する」
「蒸気トラック……? あの、荷台付きの自走車ですか?」
モルトケが目を白黒させる。
彼にとって、あれはまだ実験段階の、うるさくて臭い玩具という認識だったのだろう。
「ええ。すでに帝都の工場をフル稼働させて量産させたわ。馬と違って疲れないし、魔法攻撃にも強い。何より、悪路でも走破できる馬力がある」
私は地図上に、補給ルートを示す線を太く引いた。
「数千台の蒸気トラックに水と燃料を積んで、ピストン輸送を行わせる。『自動車化輸送部隊』の結成ね。これで、前線の進軍速度に合わせて、補給物資を強引に送り込む」
スコルツェニーが、ニヤリと笑った。
「なるほど! 敵が焦土にするなら、我らはその上を鉄の車輪で踏み越えていけばよいのですな! 愉快! 実に愉快だ!」
「そういうことよ。……モルトケ、これが『科学』の用兵術よ。意地くらべよ、顔も見えぬ敵将との」
私は、不敵に笑った。
荒野だろうが地獄だろうが、私の生存圏に変えてみせる。
こうして、焦土と化した街道には、黒い煙を吐きながらひた走る「蒸気トラック」の大軍団が現れようとしていた。
それは、この魔法世界の戦争の常識を、根底から覆す光景だった。
読んで頂きありがとうございます。
ブクマや☆での評価・応援、どうかよろしくお願いします。




