第8話 領主の街
巨大な城門をくぐり抜けた先には、村とは全く違う風景が広がっていた。
「やっと着きましたね。ここが領主の街、メサリアです。すごい場所でしょ」
バーンが先導しながら、少し誇らしげに言う。
彼の言う通り、そこはホパ村とは何もかもが違っていた。
石畳の道を、数え切れないほどの人々が行き交う。
香辛料の刺激的な匂い、焼きたてのパンの香ばしい香り、そして生活の熱気が混じり合った空気が鼻をつく。
道の両脇には、石やレンガで造られた二階建て、三階建ての建物がひしめき合い、活気のある呼び声がそこかしこから聞こえてくる。
村では見たこともない、都会の喧騒だった。
「すごい……人が、たくさん……」
村娘リオとしての意識が、その光景に圧倒されて素朴な感想を漏らす。
だが、「私」の思考は冷静に周囲を分析していた。
(……中世ヨーロッパ風の都市構造。上下水道は未整備か。衛生状態は劣悪と判断。だが、商業活動は活発。富裕層と貧困層の差が、服装から見て取れる)
「破星、気を抜くな」
隣を歩くアノンが、低い声で警告する。
彼は雑踏の中でも一切の油断なく、常に周囲を警戒し、いつでも私を庇える位置取りを崩さない。
彼の目には、この活気ある街もまた、油断ならぬ戦場として映っているのだろう。
とりあえず今日はもう日も暮れている。
私たちは手頃な宿屋を見つけ、旅の汚れを落として早めに眠りについた。
翌日。
私たちは本来の目的を果たすべく、街の中心部へと向かった。
「さて、食料援助を頼むべき領主様はどこにいるの? バーン」
「大丈夫です! 街で一番大きくて立派な屋敷のはずですから!」
バーンは自信満々だったが、その自信はすぐに揺らぐことになった。
メサリアは、彼が想像していたよりも遥かに大きく、そして「大きくて立派な屋敷」が無数に存在したからだ。
「ええと……ホパ村と違って、立派な屋敷が多すぎますね……どれでしょう」
「だいじょうぶなの?」
小一時間も歩き回れば、さすがに不安になってくる。
道は狭く入り組み、建物はどれも似たように見える。まるで迷宮だ。
道行く人に尋ねようにも、私たちの薄汚い身なりを見ると、皆一様に顔をしかめ、関わるのを避けるように足早に立ち去っていく。
都会の風は、想像以上に冷たかった。
「聖女様、たぶんあれですよ!」
散々迷った挙句、バーンが一際きらびやかな屋敷を指差した。
金の装飾がこれみよがしに施された、悪趣味な建物だ。
「よし、行くわよ」
私たちは、その屋敷へと向かった。
「すみません! ホパ村の者です! 村が魔族に襲われて大変なのです! どうか領主様にお取次ぎを!」
バーンが門の前に立つ警備兵に大声で呼びかけるが、警備兵はまるで汚物でも見るかのような目で私たちを一瞥し、面倒臭そうに手を振った。
「失せろ、田舎者。ここは偉大な商人、メルチョル様の屋敷だ。貴様らのような乞食が入っていい場所ではない」
「そんな……!」
「やっぱりね」
そもそも領主の館ですらなかった。
上流階級の人間にとって、最果ての村が一つ消えようと、関心すら抱かないのだろう。
「いきなり来ても無駄なようです。リオ様、先に神殿へ行ってみるのはどうでしょう。神殿長様なら、きっと慈悲深いお方のはずです」
バーンが提案する。
なるほど。領主がダメなら宗教頼みか。どちらも金は持っていそうだ。
神殿は街のどこからでも見える、白亜の巨大な建造物だった。
大理石で造られた建物は、天を衝く尖塔と精緻な彫刻で飾られ、その壮麗さは神の権威を可視化したかのようだった。
扉は誰にでも開かれている。魔法を与えた神を祀る以上、少なくとも表向きは、信者に寛容なのだろう。
私たちは、吸い込まれるようにその中へと足を踏み入れた。
内部は、静謐な空気に満ちた荘厳な空間だった。
ステンドグラスから差し込む光が、床に幻想的な模様を描いている。
入ってすぐの場所には、四本の大理石の柱と豪奢な天蓋が、まるで門のようにそびえ立っていた。
奥に進むには、ここを通なければならないらしい。
私が何気なくその天蓋の真下まで歩を進めた、その瞬間。
グ……オォン……グォン……ウウウウウウーーー
不意に、腹の底に響くような、無機質な警告音が鳴り響いた。
ホパ村の祠で聞いた音。この音は、知っている。
「なんだ、この数値は!」
「神への適合度、0.000001%……だと? 魔法レベル、マイナス999……?」
「馬鹿な! 魔力が低すぎて、もはや人間ではあるまい。虫レベルか? いや、そもそもマイナス値とは一体……」
「これだけの魔力欠如……もし数値が真実なら、生きていること自体が奇跡だぞ」
どこからともなく現れた神殿の衛兵たちが、私を取り囲むように立ちはだかる。
その目は、得体の知れない怪物を見るかのように、驚愕と侮蔑に染まっていた。
「うーん……見たところ、ただの汚い村娘だが。この門……魔力測定器が壊れているのかもしれんな」
警報音で他の衛兵も集まってきて、私を遠巻きに眺めている。
「娘、お前はどこから来た?」
「ホパ村です」
「辺境の村か。だとしても、この数字は異常だ」
衛兵は、まだ納得できないらしい。
「よし、次の者、通ってみろ!」
促され、アノンが表情一つ変えずに門をくぐった。再び警告音が鳴り響く。
「適合度0.0005%、レベルマイナス479……。やはりおかしい。辺境の民でも、最低1%、レベル1か2はあるはずだ。マイナス値など前代未聞だぞ」
「恐らく故障だろう。そもそも、魔力の高い『高適合者』ならスカウトしろとのお達しだが、低いなら我々には関係ない。見ろ、身なりも汚い」
私とアノンが門を通り過ぎると、警告音はぴたりと止んだ。
衛兵たちは、私たちにそれ以上関わる価値はないと判断したようだった。
「適合度って、なんですか?」
初めて聞く言葉に、私は思わず衛兵に尋ねていた。
「神への祝福の力に、どれだけ愛されているかを示す数値だ。それがそのまま魔力の強さになる。魔法とは神の力の顕現だからな。お前たちのような村人なら1%、市民なら5%。騎士団付きの聖女様ともなれば、30%は超えるだろうな」
それで0.000001%。
私は、神に愛されていないどころか、存在を否定されているレベルらしい。
「まあ、何でこんな物が神殿にあるのか、俺たちも詳しくは知らん。有望な人材を探すのに便利ではあるがな。魔力が強ければ、それだけ国に貢献できる。魔族と戦うにも、経済を動かすにも、魔法は不可欠だからだ。お前らには縁のない話だ、さっさと行け」
衛兵はそう言って、私たちを追い払った。
これは、魔力測定器。
異世界小説ではおなじみの、主人公が規格外の力を見せつけるための舞台装置。
私の場合、規格外にダメすぎる結果で、周囲を驚かせてしまったようだが。
「待ってください! 僕の数字も見てください!」
バーンが慌てて門をくぐり、衛兵に結果を尋ねる。
「お前は3%。まあ、村人にしては上出来な方だ。騎士団を目指すなら、せいぜい修行に励むことだな」
「はぁ……これじゃあ、従騎士にもなれませんね……。はい、頑張ります!」
バーンがしょげながらも、健気に礼を言ってこちらへ戻ってきた。
これで装置の故障ではなく、私とアノンが、この世界の理から桁外れに逸脱していることが確定した。
村での戦いで感じた、あの奇妙な既視感の正体もこれだ。
異世界からの転生者だから? いや、元のリオも魔法は使えなかった。
そして、衛兵たちはマイナス値など見たことがないと言っていた。
レベルマイナス999。これをどう解釈すればいい。
この転生は、貴族令嬢や王女に生まれるよりも、遥かに稀で、異常なものなのか。
そして、転生先の村には前世の武器があり、護衛を名乗る男までいた。
偶然か、必然か。私がリオに転生したことには、何か意味があるのかもしれない。
「神殿長様にお会いしに行きましょう」
バーンに促され、私たちは神殿の奥へと進んだ。
広々とした礼拝堂では、ちょうど神殿長らしき人物が説法を行っていた。
『……唯一なる神は邪悪なる悪魔を滅し、このファンテェーンの地に降臨された。その御力は魔法の奇跡となって世界中に溢れ……すべての生命に安寧をもたらさん……』
「全て」ではない。ここに、適合率0.000001%の例外がいる。
説法が終わるのを待ち、私たちは金の刺繍が施された豪奢なローブを纏う、小太りの中年男――神殿長に近づいた。
「なんだ、お前たちは?」
露骨に嫌な顔をされる。
汚い村人など、彼にとっては視界に入れる価値もないのだろう。
「僕たちはホパ村の者です! 魔族の襲撃に遭い、食料がありません! どうか、神のお恵みを!」
バーンが必死に訴える。
「ほう、それは難儀であったな。よかろう、領主には話を通しておいてやる。さあ、もう行け!」
神殿長はそれだけ言うと、まるで虫を払うかのように私たちに背を向け、さっさと立ち去ってしまった。
「……やる気は、全くなさそうだったな」
アノンが呟く。私も同感だった。あの手の権力者は口先だけだ。
「だ、大丈夫ですよ! 神殿長様がそうおっしゃるのですから!」
信心深いバーンは信じきっているようだが、私は最初から権力者には何も期待していない。
村を、子供たちを救うには、別の手が必要だ。
私は踵を返し、荘厳だが冷たい空気に満ちた神殿を後にした。
外の喧騒が、やけに遠くに感じられた。
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