第1話 神が見捨てた少女
銃撃を受け、意識が遠のく。
死。
もう、何も見えない、何も聞こえない。
ただ、ゆっくりと闇に沈んでいく。
完全な失敗。
それだけが唯一意識に残されていたが、やて消え去った。
◆
「……お腹、すいたなぁ」
思わずこぼれた声は、か細く乾いていた。
ここ、ホパ村は貧しい。
主要産品の小麦は領主様に年貢としてほとんど召し上げられ、私たちの主食はもっぱらイモだった。
そのイモですら満足に食べられない日が続く。
後は、水で腹を満たすしかなかった。
でも、空想だけは自由だ。
いつか、どこかの国の白馬の王子様が、こんな不憫な私を見つけ出してくれる。
彼は私をその逞しい腕で抱き上げると、きらびやかなお城へ連れて行ってくれるのだ。
宮廷では、毎晩のように豪華な晩餐会が開かれる。
肉汁滴る分厚いステーキ、ふわふわの白いパン、色とりどりの果物が乗った甘いケーキ。
それを飽きるまで、無限にご馳走してくれる。
とにかく腹いっぱい食べられる。
そんな妄想をしていれば、こんな毎日でも、少しは我慢できる気がした。
水汲みの帰り道、一人寂しくそんなことを考える。
満たされた桶を覗き込むと、水面に自分の顔が映る。
黄金色の髪。空を閉じ込めたような青い瞳。
村のみんなと違う、この髪と瞳のせいで私はいつも蔑まれる。
こんな私が、王子様に見つけてもらえるはずなんて、ないか……。
そんな自己嫌悪に沈みながら、収穫が終わって寂しくなった麦畑のあぜ道を歩いていると、前から歩いてきた男と思わず目が合った。
最悪。
私の空想を汚す、村一番の嫌われ者。村長の息子のゲルムだった。
「うわあ。魔無しのリオだ! お前と会うなんて今日は縁起が悪すぎる! どうしてくれるんだよ!」
ゲルムはわざとらしく顔をしかめると、足元の小石を拾い、躊躇なく投げつけてきた。
ゴン、と鈍い音がして、額に鋭い痛みが走る。
痛みよりも、幸せな空想を邪魔された怒りの方が強かった。
「神に見捨てられた女め! この俺様の魔法で浄化してやる! 喰らえ、魔雷!」
突き出された彼の手から、青白い魔力の雷が迸る。
村レベルの貧弱な魔法。私はその場にうずくまり、亀のように丸まってやりすごす。
石が直撃した額から、じんわりと血が流れるのがわかる。
「痛い……やめて」
「やめて? やめるわけねえだろ、この家畜が! お前をいじめるとスッとするんだよ、ゴミ!」
その刹那、ゲルムは私の腹を思い切り蹴り飛ばした。
「ぐっ……ぅぅ」
衝撃で呼吸が止まる。
地面を転げ回り、痛みと屈辱に涙が滲んだ。
彼は私の髪を掴んで顔を上げさせると、獣のような臭い息を吹きかけながら囁いた。
「オヤジたちが言ってたぜ。お前をそろそろ貴族の奴隷として『出荷』するってな。魔法も使えねえ役立たずは、そうやって役に立つしかねえんだよ」
奴隷。
やはり、私の未来はそんなものか。
火を起こすのも、水を綺麗にするのも、全て魔法がなければ始まらないこの世界で、「魔無し」の私に人権などない。
「そこでだ。貴族様に奉仕する前に、この俺様に奉仕させてやるよ。体くらいは使えるだろ?」
ゲルムの下卑た笑みが、目の前に迫る。
体が恐怖で竦み、動けない。
なんで私だけ、こんな目に。
なんで私だけ、魔法が使えないの。
なんで私だけ……
涙が溢れて止まらない。
心を殺して、ただ目を閉じた。その時だった。
「そこまでにしとけ、ゲルム!」
凛とした声が響いた。
「なんだ、バーンか? これからがいいところなんだよ。邪魔すんな!」
隣に住んでいるバーンだった。
彼は私を庇うように前に立つと、ゲルムを睨みつけた。
「村の大切な『商品』を傷物にする気か! 村長に言いつけるぞ!」
「けっ、優等生が! これでも喰らいな!」
ゲルムが再び魔雷を放つ。
だが、バーンはそれをこともなげに素手で握りつぶした。魔力の光が霧散する。
「その程度の魔力で、騎士団を目指す僕に挑むとは。炎弾!」
バーンの手から放たれた炎の弾丸が、ゲルムの腕を焼いた。
「ぎゃああああ! 熱い! あぢぃぃ!」
ゲルムは悲鳴を上げて腕を押さえると、憎々しげに私たちを睨みつけた。
「くそ、覚えてろよ!」
ありきたりな捨て台詞を残し、彼は逃げていった。
「大丈夫か、リオ」
バーンが駆け寄ってくれる。
彼は石が当たった私の額に手をかざし、治癒魔法をかけてくれた。
「ありがとう……」
「いや……うまく治らないな。ごめん、僕は治癒魔法が苦手で」
それでも、彼の優しさがじんわりと心に沁みた。
「また、いじめられていたのか」
「……私、魔無しだから、仕方ないよ、役立たずだし」
「そんなことないよ、リオは小さい子に貴重な食料を分けてあげたりして優しいし」
「わたし、もうすぐ、奴隷として貴族に売られるの」
「村の連中、本当に酷いな。リオってまだ14歳だろ。いっそのこと、一緒に街へ行こうか? 僕は騎士団を目指すために、そろそろこんな辛気臭い村を出ようと思っていたんだ」
「そんなの無理だよ。街は、もっと魔法が進んでいるから、私なんて何もできないよ」
「でも、このままじゃ……」
バーンは黙り込んだ。
この村ですら魔法がなくてはまともな生活が難しい。街ならなおさらそうだ。
私はずっと考えていた疑問を彼にぶつけてみた。
「ねえ、バーンは、魔法が何か知っている?」
「え?」
私の唐突な質問に、バーンはきょとんとした顔で私を見つめた。
「変なこと言うなよ、リオ。魔法は神の祝福の力だよ。そんなこと、子供だって知ってるさ」
「そうだよね。でも、そうだとすると、魔法が使えない私は、やっぱり神に愛されてないってことになるよね……」
自嘲気味に笑う。
村人たちに「不吉だ」と蔑まれる理由。それは、神の祝福を受けていないから。
「でも、私はいつか魔法の謎を解いてみたい。別に神様に嫌われてなんかいなかったんだって、証明してみたいの」
それは、使えない“魔法”への渇望と、理不尽なだけの人生への、ささやかな反抗だった。
バーンは驚いたように目を見開いていた。
「そんなこと、今まで、一回も考えたこともなかったな。普通は、魔法が使えないなら魔力を上げる修行をするとかだろ? なのに、いきなり“謎を解く”って……見た目だけじゃなくて、考え方もリオは変わっているなあ」
「そうかな? ただ使うだけで、誰もそのことを考えない方が変だと思うわ。魔法がいったい“何”なのかって。バーンは全く気にならないの?」
「うーん……じゃあ、リオはなぜ歩けるのかとか、なぜ目が見えるのかとか、いちいち考える? 魔法はできて当たり前だから、そんな感じだよ」
やはり、彼との間には見えない壁がある。
できる者には、できない者の苦しみも、疑問も、決して分かりはしないのだ。
そんな私の様子を見て、バーンは何かを思ったようだった。
「要するに、リオも魔法を使えるようになりたいんだろ? 僕にいい考えがある。ついてきて!」
彼に連れられてやってきたのは、村はずれにある石造りの古い祠だった。
「長老から聞いたんだ。この祠の前で特訓すると、魔力が上がるっていう言い伝えがあるって。僕もここで毎日特訓して、魔力が強くなったんだ! 絶対効果あるよ」
そう言って、バーンは次々と魔法を放って見せる。
村では敵なしの、見事な威力だった。
本当にそんな効果があるのだろうか。
私は、古ぼけた祠の中を覗き込んだ。
風化して読めない文字が刻まれ、中央に丸い石が祀られている。
魔力が上がるなら、少しでも。
そんな祈るような気持ちで、私は何となく祠の中に手を突っ込んでみた。
中に祀られている古びた石に、私の指先が触れた、その瞬間。
グ……オォン……グォン……ウウウウウウーーー
自然の音ではない。
規則的で、無機質で、切迫した警告のような音が響き渡った。
こんな音、初めて聞くはずなのに。
なぜか、知っている気がした。
そして、猛烈な既視感と共に、溢れ出すような嫌な予感が全身を貫いた。
なに、これ……は?
慌てて手を引っ込めたが、音は止まない。
視界がぐにゃりと歪み、立っていられなくなる。
バーンの驚いた声が、遠くに聞こえる。
頭が、割れる――。
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初日は第3話まで投稿して、しばらくは毎日投稿する予定です。
ちょっと変わった転生の話ですが、ぜひ、お付き合いください。




