第五幕・後編「終幕の、その向こう」
壇上に沈黙が降りた。
王子は拳を握り、唇を噛み、どうにか怒りの形を整えようとしていたが、
もはやその表情に、正義の仮面はなかった。
聖女ミリアは小刻みに震え、視線を泳がせ、誰にも助けを求められずにいた。
──脚本の枠を失った役者の、行き場のない姿だった。
そして観客たちは、静かに、静かに、目を開いたまま“受け取っていた”。
怒号も、歓声も、誰の口からも出てこなかった。
それは、物語の本当の終幕に立ち会っている、観客の沈黙だった。
わたくしは、壇上の中心で静かに一礼する。
「この国の“物語”に、わたくしなりの終止符を打たせていただきました」
国王が立ち上がる気配はない。
誰もが動けなかった。
感情の行き場を失い、ただ“結末”を見つめていた。
わたくしは、最後の言葉を静かに口にする。
「そして……罪について。
わたくしは、黙認という名の共犯でありました。
断罪されるべきは、行為だけではなく、
それを見過ごす沈黙でもあると、知っていたからです」
わたくしが、自ら“悪役”を名乗る意味。
それは、“敵役”を演じることで、物語の形を整え、
観客にわかりやすい構図を与えてきた者としての責任。
「……わたくしの退場は、これにて」
その言葉とともに、わたくしはマントの下に隠していた指輪をひねる。
白薔薇の会が用意した緊急転移装置。
舞台を去るための装置ではない。
“舞台の外”へ降りる、物語の境界を越えるための鍵だった。
淡い光がわたくしの足元に広がる。
魔法陣の輪郭が浮かび上がり、転移の前触れを知らせる。
ノーラが静かに壇の端に立ち、軽く頭を下げた。
彼女の眼差しは、忠誠でも哀惜でもない。
ただの、理解だった。
「リシア様、観客席から、いつか次の舞台を拝見させていただきます」
彼女の言葉に、わたくしは微笑んで答える。
「ええ。次は、きっともっと美しい物語になるでしょう」
観客の中から、誰かが声を上げる。
「……あなたこそ、真のヒロインだったのでは?」
振り向かない。
それは、もう舞台を降りる者の特権だ。
(もしも、そう言っていただけるのなら──)
それは、最も誇らしい褒め言葉だと、胸の奥に仕舞っておこう。
わたくしの姿が、光の粒に包まれ、ゆっくりと消えていく。
最後に見た王子の顔は、崩れた舞台に取り残された道化師のようだった。
聖女の顔は、すでに“役柄”を失って、ただの少女に戻っていた。
──わたくしは、役を終えた悪役令嬢。
この舞台に、最も不要だった者。
そして、最後まで脚本を手放さなかった、唯一の書き手。
白い光が視界を満たし、
すべてが静寂に包まれた。
* * *
数日後──
王子は表舞台から姿を消した。
聖女ミリアは、癒しの力を失い、神殿の奥へと退いた。
わたくしの名は、しばらく噂されたが、やがて、静かに消えていった。
けれど、それでいい。
舞台を降りた者に、拍手も、罵倒も、もはや不要。
それでも。
あの夜の舞踏会を、誰もが“断罪劇”と呼ばず、
“白薔薇の夜”と語るようになったことだけが──
わたくしの、唯一の報酬だった。
---
【完】
お読みいただきありがとうございました。
「悪役令嬢もの」や「ざまぁ系」に馴染みのある方ほど、
ちょっとニヤッとしてもらえるような構造逆転を目指しました。
断罪劇という“決まった筋書き”が、
もし誰かの手で静かに上書きされていたら――
そんな小さな「もしも」の物語を、楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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