第五幕・前編「台本を越えて」
「エルノート公爵令嬢、リシア=ルクレール、入場!」
場内に響き渡る侍従の宣言とともに、
漆黒の扉が音を立てて開かれた。
照明魔法がスポットのように光を落とし、わたくしは一歩、前に出た。
高く編み上げた髪。深紅の宝石。血を思わせるドレス。
視線が、肌に刺さるほど集まってくる。
(ようこそ、断罪劇へ)
観客席には貴族、貴婦人、学者、聖職者、平民の代表──
そして、魔導投影を通じて国中の民衆が、今この瞬間を“観て”いた。
“悪役令嬢の最期”を、娯楽として。
“王子と聖女の正義”を、祝祭として。
だが、わたくしは彼らに問いたかった。
(あなたたちは、本当に“この台本”を望んでいるのかしら?)
* * *
壇上へと進む。
王子、聖女、裁定司、そして玉座に座す国王。
わたくしの立ち位置は決まっている。
──断罪される悪役。
──罪を告げられ、打ちひしがれる者。
だが、わたくしは背筋を伸ばし、あくまで優雅に立った。
「エルノート公爵令嬢、リシア=ルクレール。
本日は、汝の所業について王家より断罪が下される。
正義の名のもとに、真実を明らかにせんことを──」
形式的な口上が司祭の口から読み上げられる。
観客席のざわめきが、抑えきれない興奮を物語っていた。
さあ、悪役が断罪される。
期待通りの悲鳴を。
反省の涙を。
そうして“予定された悪”を倒し、世界は正義に彩られる──
そんな安っぽい“カタルシス”を、誰もが欲していた。
(……ならば、お望み通りに)
王子が前に出る。
金糸のマントを翻し、いつも通りの正義面で。
「リシア=ルクレール。
お前は、聖女ミリアに嫉妬し、幾度も妨害を重ね、
王家の秩序を乱す行動を取り続けた。
よって我はここに──婚約を破棄し、貴族籍を剥奪し、
断罪を下すものである!」
宣言とともに、広間の上空に吊るされた投影水晶が、まばゆく光った。
次の瞬間、音声が重なるように流れ出した。
──それは、まるで“王子の台詞”に合わせたように。
『……ミリア様は、子供たちを選別して癒していた?』
『血統で……?』
『この子、平民だからって、門前払いされたよ……!』
映像が流れる。
涙を拭う母親。
断罪された兵士の背後で、口を閉ざす貴族たち。
淡く映る、聖女ミリアの“選別的癒し”の姿。
「な……!?」
ミリアの顔から血の気が引いた。
観客席がざわめく。
映像は次々に切り替わる。
今度は、王子と重臣の密室会議の映像。
『いいか、聖女は使える象徴だ。平民に癒しが届かない? それがどうした。民は物語が好きなんだよ』
『リシア? 最後まで悪役をやってもらう。物語には、敵が必要だろう?』
空気が、明確に“変わった”。
笑っていた観客の唇が、閉じていく。
ざわめきが波のように広がり、やがて誰かの椅子が軋んだ。
「こ……これは、捏造だ! こんなもの、許されない!」
王子が叫んだ。
ミリアは小刻みに首を振っている。
「これは罠だ! リシア、お前が仕組んだんだな!?
こんな卑劣な手で──!」
「卑劣な手……?」
わたくしは、初めて口を開いた。
それまで“台詞”に徹していた舞台に、役者としてではなく、脚本家として声を響かせる。
「殿下、わたくしがしてきたことは、ただひとつ。
あなた方の“演技”を、正確に記録し、
そのまま観客の皆様にお届けしただけです」
「馬鹿な……」
「まさか、そんなことで人の心が動くと……!」
観客席から誰かが叫んだ。
「……本当のことだったのか? ずっと噂だと思ってたが」
「王子が……いや、まさか聖女様まで……?」
「リシア様は……罪など、犯していないのでは?」
民衆の“声”が変わる。
それは、演劇でいうところの――観客の視点の転換。
(ようやく、ここまで来た)
わたくしは、魔導端末の中枢に埋め込まれた白薔薇の会の水晶にそっと触れ、最後の映像を流す。
それは、わたくしが自室で“懺悔”を語る姿。
『……リシア=ルクレールとして、わたくしは罪を背負います。
黙って見ていた罪、黙って利用された罪──
けれど、それでも、誰かがこの舞台を壊さねば、
きっとまた、次の“悪役”が必要とされるから』
その台詞が流れる間、
わたくしは観客を、壇上の者たちを、王子と聖女を見渡していた。
誰一人、視線をそらせなかった。
そして。
わたくしはゆっくりと、マントを翻し、頭を下げた。
「これが、わたくしの最初で最後の演出。
……お気に召さなかったなら、謝罪いたしますわ」
その瞬間。
場内から、誰かが立ち上がる音が響いた。
貴族の一人。
そして、令嬢。
さらに平民の男。
次々と、膝をつき、頭を垂れる。
喝采ではない。
讃美でもない。
ただの、敬意だった。
王子とミリアは、もはや何も言えない。
──悪役が、断罪の舞台を奪い返した瞬間だった。
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