第四幕:断罪劇のリハーサル
“あらかじめ結末が決まっている劇”ほど、演出のしがいがあるものはない。
観客はすでに結末を知っている。
悪役令嬢は婚約破棄され、王子は正義を語り、ヒロインは涙ながらに赦しを乞う──
誰もが、それを“予定通り”と信じて、息を飲む瞬間を待っている。
ならば、あとはその“予定”を、
誰にも気づかれないように、すり替えてしまえばいい。
(リハーサルは完了。仕込みも万全。あとは本番を待つだけ)
わたくしは静かに紅茶を啜りながら、最後の台詞を心の中でリピートする。
「……お前との婚約は、ここに破棄する!」
王子・アルベルトがそう告げた瞬間。
彼の声と同時に、魔導端末から一斉に流れる音声と映像。
その内容は、貴族たちの不正取引、暴力沙汰、聖女ミリアの“選別的癒し”の記録……
そして、そのどれにもリシアの関与はない。
ただ一冊の“懺悔録”に、淡々と記録されていただけ。
誰もが、“悪役令嬢が断罪される瞬間”を目撃するはずだった。
だが、その直後に知るのだ。
本当に断罪されるべきは、誰だったのかを。
* * *
「リシア様、お時間です」
侍女長のノーラが声をかける。
その声音は抑制された礼節と、わずかな緊張に震えていた。
わたくしは静かに席を立ち、鏡の前に立つ。
黒を基調としたドレス。
深紅の刺繍が、まるで血のように映える。
指にはエルノート家の印章指輪。
わたくしが、わたくしである証明。
──このドレスは“処刑衣装”だ。
「似合っております」
ノーラがぽつりと呟いた。
わたくしは目を合わせないまま、問いかける。
「悪役らしく、という意味かしら?」
「……いえ。“最後の舞台衣装”という意味です」
一瞬、言葉に詰まった彼女の声音が、嘘ではなかったと知れる。
彼女は、この舞台が“終わり”であることを、どこかで感じ取っている。
(彼女もまた、“観客”なのだ)
舞台の上に立つ役者と、すぐ傍に立つ観客。
両者の距離は、あまりにも近いのに、決して交わらない。
* * *
舞踏会場は、すでに幕が上がっていた。
照明魔法によって、光が差すように計算された舞台中央。
赤絨毯の端には玉座、その前に王子。
舞台袖のように並ぶ貴族席の群れ。
そして、天井から吊るされた投影水晶が、全国に中継を届けている。
断罪劇は、いまや“年に一度の興行”として扱われていた。
貴族たちは半ば娯楽として観に来ているし、庶民は「今年の悪役はどんな顔か」と好奇心に満ちている。
「今年はエルノート家の令嬢らしい」
「去年の侯爵家よりは上品な物言いが期待できるわ」
「婚約破棄の理由はやっぱり嫉妬? それとも魔法の暴走?」
「いや、わざとらしい噂の流し方だって話もある」
笑い声。嘲り。期待。
──舞台の台詞よりも、観客の“期待”こそが、台本を決めている。
(だけど、今回の脚本家は、わたくし)
予定調和を崩すのは、観客の油断が最も高まったその瞬間だ。
* * *
壇上には、わたくしの“共演者”たち。
アルベルトは毅然とした面持ちで立っているが、
その指先はかすかに震えていた。
──なぜ震えるの?
“予定通り”なら、緊張する理由などないはずでしょう?
ミリアは、わたくしに視線を向けては伏せ、また向ける。
聖女としての“赦し”の構えを見せながら、心中は揺れている。
彼女も感じているのだ。
これは“普通の断罪劇”ではないと。
* * *
リハーサルは、前夜に済ませた。
私室の机の前で、マルセルが録音端末を回し、
わたくしは脚本通りに“懺悔”の台詞を読み上げた。
「わたくしは、王子に嫌われて当然の女……」
「ミリア様に対して、嫉妬と侮辱を……」
「この国の秩序を乱した、咎人ですわ……」
演技ではなく、真に“悪役”を引き受ける覚悟の声。
その録音が再生される時、同時に魔導端末からは別の情報が流れ出す。
わたくしの声に乗せて、
聴衆が“情緒的に油断している瞬間”に、
事実だけが静かに、けれど容赦なく叩きつけられる。
暴かれるのはミリアの裏の行動、王子の偽善、貴族の腐敗。
わたくしの“懺悔”は、そのすべての引き金になる。
* * *
その夜、ノーラが最後に言った。
「リシア様。……私は、あなたの味方でいたかった」
それは、どういう意味かと問う前に、
彼女は一礼して、部屋を出ていった。
(わたくしの味方、ね)
それは、“物語の中では敵でしかいられなかった”という意味にも聞こえた。
たぶん、わたくしが悪役でなければ、
彼女もまた、共演者ではなく、本当の“友”でいられたのかもしれない。
でも、舞台は始まってしまった。
舞台に立つ者は、“私情”を持ち込めない。
脚本家であるなら、なおさらだ。
(だけど、心が震えないわけじゃない)
観客が待ち望む“予定調和”。
それを裏切ることに、快感と同時に恐怖があった。
もし誰も真実を見てくれなかったら?
もし、この仕掛けがすべて“自己満足”に終わったら?
(……それでも、やるの)
この世界の“脚本”が、あまりにも不公平だったから。
だからわたくしは、悪役の衣装を着たまま、
舞台ごと、燃やしてやろうと決めたのだから。
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