第二幕:舞台裏から支配せよ
“脚本”というものは、客席からは見えない。
登場人物がどんな表情で、どんな言葉を発していても──
舞台の裏で、誰が照明を操り、どんな場面転換が準備されているかなど、観客にはわからない。
でも、わたくしは知っている。
わたくしが、その舞台の脚本家だったのだから。
だからこそ、操れる。
断罪劇に向けて、王子とヒロインが主役の顔で動き始めるのを見て、わたくしは笑った。
(よろしい。踊っていただこう、思う存分)
だがその前に──舞台装置を整えなければならない。
* * *
「“密会現場”、見つけました」
第一の報告は、側近のマルセルからだった。
父の部下でありながら、なぜかわたくしにだけ忠誠を誓っている男。
長身で、整った顔立ちのくせに、笑い方だけは妙に獣じみている。
彼の忠誠は、忠義というより──破綻した世界への好奇心だ。
「場所は東館の小温室。深夜二時、王太子殿下とミリア嬢が鉢合わせるように日程を動かしておきました」
「うまくいくかしら」
「ええ、ミリア嬢のスケジュールにこっそり睡眠導入茶を混ぜました。少し寝坊して、たまたま王子と遭遇する予定です」
「演出が露骨すぎないように気をつけて。観客の“メタ耐性”は意外と鋭いから」
マルセルはニヤリと笑った。
──ヒロインと王子の“好意の接触”を民草の噂話に乗せる。
そしてそれを“リシアが嫉妬した結果、断罪に至った”という構図に仕立てれば、
従来の断罪劇と見せかけて、実際には“王子とヒロインがやらかした証拠”が先に出る。
わたくしの仕掛けは、決して正面から暴くものではない。
あくまで、観客自身に「これはおかしい」と思わせる構造でなければならない。
そのための“匂わせ”と“既視感”の演出。マルセルはその使い勝手が非常に良い。
(変人は使いこなせば最強。シナリオの常よね)
* * *
次に整えるのは“耳”。
つまり、情報の流れだ。
わたくしの屋敷には、“白薔薇の会”という名の侍女組織がある。
表向きは茶会と刺繍のサークル。だが実態は──宮廷情報ネットワーク。
使用人、門番、料理人、果ては魔導学園の薬草係に至るまで。
彼女たちは報酬と引き換えに、「誰がどこで何を話したか」を密かに記録し、私室の帳簿に届けてくれる。
「第三王子の家庭教師が聖女派と接触を持ったそうです」
「侯爵令嬢がミリア様の護衛に異動されました」
「アルベルト殿下、ミリア様宛てに詩を……いや、これはご自身の作かと」
わたくしは、受け取った情報にコメントをつける。
“情緒的な行動”は裏切りの予兆。“急な贈り物”は交渉のサイン。
──これは舞台じゃない。戦場なのだ。
この情報網は、王宮の公式諜報より遥かに優れている。
なぜなら、報酬が“銀貨一枚”でも動くから。
貴族のプライドなんて、娯楽と噂話の前では無力だ。
* * *
アルベルト。
わたくしにとって、最も危険で、最も哀れな男。
彼は“正義”を崇めている。
だがその信仰は、個性ではなく依存だ。
「正しさ」にすがっていなければ、自分を保てない人間。
そんな彼に、禁書を贈った。
タイトルは『断罪の起源』──この国の黒歴史とも言える内乱を記した本だ。
ある王子が「悪の粛清」として妹を処刑し、その結果王家は分裂、血族は憎しみ合い、王国は滅びかけた。
アルベルトにとって、それは“過去の過ち”ではなく、未来の予言のように響くだろう。
(お前の断罪は、清算ではなく破壊なのよ)
彼がこの本をどう読むか。
その時こそ、脚本が破れ落ちる。
* * *
そしてミリア。
この物語最大の聖域にして、最も壊れやすい中心点。
彼女が無意識に人を従わせる様を、わたくしは何度も目にしてきた。
ある日、庭師の少年がミリアの靴を泥で汚した。
彼女は笑って許した──が、その翌日、少年は別の屋敷に左遷された。
誰もが「聖女を困らせたくない」という理由で、自発的に跪くのだ。
彼女は知っている。
どうすれば、そういう空気を作れるか。
だけど──それを“罪”とは思っていない。
だからこそ、わたくしは手紙を用意した。
内容は簡潔だ。
> 「わたくしが間違っておりました。もしよければ、また茶会をご一緒したく存じます。──リシア」
これは“和解”の申し出。
でもこれは、ミリアにとって最大の試練だ。
なぜなら、わたくしが謝れば、彼女は“ヒロインの座”から降りねばならない。
許された“聖女”ではなく、対等な“令嬢”に戻されるのだから。
さて、ミリア。
あなたは“物語の顔”を続ける覚悟があるのかしら?
* * *
ふと、自分の掌を見る。
――わたくしは今、誰かを操っている。
しかも、“過去の自分が否定してきた構図”そのものを、
わたくし自身の手で、再現している。
善意を装い、敵を用意し、舞台を整えて……
それで断罪の口火を切るのだ。
(わたくしも、“断罪する側”じゃないの?)
そんな疑念がよぎる。
──だが、構わない。
構わない。
なぜなら、これは物語の浄化だ。
わたくしがこの世界に転生した理由が罰だというのなら──その罰ごと、“構造”に返してやる。
* * *
他貴族の不正情報も、着々と集まっている。
リストは厚くなりすぎて、もはや一冊の懺悔録と化していた。
宰相の外孫の賄賂、公爵令嬢の暗殺未遂、聖女派の非公式献金。
これらはすべて、リシアの“自筆の日記”として保管されている。
魔導封印で、わたくしの死または社会的破滅と同時に開かれる仕組みだ。
つまり、わたくしの断罪が“公開スイッチ”になる。
そして、そこからようやく本当の物語が始まるのだ。
「──完成ね」
わたくしはペンを置いた。
文字通りの筆ではない。
この世界の“筋書き”を、頭の中で下書きし、清書し、
そして、焚書するための火種をすべて揃えた。
“悪役令嬢”が、物語そのものを転覆させる日が近い。
(さあ、“物語”を始めましょう)
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