プロローグ:バッドエンドは私のせい
「断罪劇」が始まるその日、私は静かにドレスを着た。
……この物語は、悪役令嬢が断罪されるお話ではありません。
むしろ、“その台本を書いたのが誰か”というお話です。
婚約破棄、聖女登場、王子の宣言。
お決まりの“断罪劇”に、少しだけ演出を加えました。
──白亜の王宮、その大広間に響き渡る怒声。
貴族たちの視線が一斉に集まり、ざわめきが渦巻く。
「リシア・ヴァレンティナ・エルノート。
お前との婚約は、ここに破棄する!」
正面に立つ王太子・アルベルトの目は怒りに燃えていた。
その隣で、薄桃色の髪を揺らした少女が震えながら、涙を零す。
「リシア様、どうしてあんな酷いことを……わたくし、何もしていないのに……っ」
──これが、この物語のクライマックス。
“悪役令嬢断罪イベント”と呼ばれる、乙女ゲームでおなじみのシーンである。
貴族たちの憐憫と軽蔑の視線が、わたくしに注がれている。
ああ、なるほど。
この感じ──既視感、あるいは脚本通り、と言うべきか。
だってこれは、
わたくしが書いたシナリオそのものなのだから。
「……ふふっ」
わたくし、リシアは小さく笑った。
あまりにも予定調和すぎて、思わず。
口角を吊り上げ、芝居がかった声で応じる。
「殿下のご判断、光栄に存じますわ。
では、これより“物語の本編”を始めましょう──」
そう、これはただの“プロローグ”に過ぎない。
悪役令嬢が断罪されるバッドエンドは、シナリオ通り。
だが──このバッドエンドを利用するのが、本当の始まり。
* * *
回想するまでもなく、この展開は前世の自分──
なろう系乙女ゲーム作家・春川ナツが書いた未発表プロトタイプの断罪シーンそのものだ。
設定は雑、キャラの動機も甘く、感情の流れはご都合主義の塊。
ヒロインはただ“かわいそうな聖女”として守られ、王子はただ“正義の鉄槌”を下すお人形。
わたくし──リシアという悪役令嬢は、読者の憎悪を一身に背負うためだけの存在。
……我ながら、胸糞が悪い。
(よくこんなシナリオ、書いたな、わたくし)
いや、わたくしじゃない。春川ナツだ。
この名前を思い出すたび、胃が捻じれる気分になる。
だけど──だからこそ、わかるのだ。
この物語は壊せる。
構造を知っている者にしか壊せない構造がある。
アルベルト殿下の怒声の裏で、わたくしの胸中は静かに熱を帯びていた。
──王太子・アルベルト。
設定では“温厚で誠実な理想の王子”だったはず。
だが、実際にこの目で見ると、眉間には常に皺が寄り、思考の大半を「正義」に割いているような男。
誰かの過失を断罪することでしか自分の存在意義を見いだせない、強迫的な正義中毒者。
(この人、絶対、前世で炎上系アカウントの中の人だったわよね……)
わたくしはそう確信している。
断罪すべき相手がいなければ、勝手に作り出すタイプ。
その歪さがこの物語の“前提”を支えている。いや、支えさせられている。
そして──ヒロイン・ミリア。
長い睫毛、儚げな声音、すぐ泣くガラス細工のような繊細さ。
この令嬢こそが、シナリオの聖域。
何があっても、彼女は“守られる側”でなければならない。
王子も、教師も、民衆も、彼女の前では膝を折る。
だが。
わたくしはこの五年、黙って観察していた。
──彼女の中には、確かに“何か”がいる。
ミリアは、わたくしをじっと見ている。
涙で濡れた瞳に浮かぶのは恐怖ではない。
勝利者の確信。
自分が赦され、相手が裁かれるという信念に裏打ちされた、聖女の笑み。
(ああ、やっぱりこの子……わたくしが書いた通りに、“歪んでる”)
けれど、あなたに勝ち誇られても困るの。
この物語のプロットを、シナリオを、構造を誰よりも知っているのは、他でもない──
脚本家である、わたくしなのだから。
わたくしは、もう一度笑う。
口元だけ、冷たく吊り上げて。
「──“第一幕”は、これにて終了ですわね。
幕が開いたからには、どうぞ最後まで、観劇なさって」
その声は誰に届くでもない。
けれど確かに、わたくしの中で新しい物語が始まっていた。
悪役令嬢が断罪されるだけの陳腐な茶番を、
真に価値ある結末へと書き換える物語が。
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