二人の旅路
ラグリオスの喧騒は、数日前と何ら変わりなく街を覆っていた。行き交う人々の雑多なエネルギー、露店の呼び込みの声、そして時折混じる剣戟の音や怒声。この街では日常茶飯事の光景なのだろう。私とリィナは、そんな雑踏の中を、あてもなく歩いていた。先の「災厄のゼイオ」との一件は、一部の者たちの間で英雄譚として語られているようだが、所詮は一時的な熱狂に過ぎない。
「ルゥアさんは、これからどうするつもりなんですか?」
ふと、隣を歩くリィナが問いかけてきた。その声には、いつもの快活さに加えて、どこか探るような響きが混じっている。ゼイオを倒したことで、私たちは一時的に街の英雄扱いをされたかもしれないが、それが恒久的な安寧を意味しないことを、情報屋である彼女は誰よりも理解しているはずだ。
「目的は、最初から変わっておりませんわ」
私は前を見据えたまま、静かに答えた。
「この世界を覆う、歪んだ魔力偏差制度。それを根本から覆すこと。そのためには、その制度を絶対の法として運用し、人々を支配する元凶……中央帝国ヴァレリオスが誇る最高法務機関、大法院エクラティアの崩壊こそが、私の目的です」
大法院エクラティア。それは、魔力偏差によって人々の階級を決定づけ、奴隷制度を合法化し、魔力異常者を「違法存在」として摘発・粛清する超国家的な権力組織。帝国の神意にも等しいとされ、民衆からは恐怖と畏敬の対象となっている。その頂点に立つ最高院長を始めとする審問官・裁定官たちは、魔力至上主義を絶対正義とし、いかなる異分子も容赦なく排除する。この世界の歪みの象徴。私の敵そのものだ。
私の言葉に、リィナは息を呑んだのが分かった。彼女の知る『ルゥア=フィロス』の力の規格外さは理解していても、その目的の壮大さまでは想像していなかったのだろう。
「だ、大法院エクラティアって……それ、本気で言ってるんですか? 帝国そのものを敵に回すようなものですよ……」
「本気でなければ、このような危険な力を行使し、このような道を歩むはずもありませんわ」
きっぱりと言い切ると、リィナはしばらく黙り込んでしまった。何かを考えているのか、あるいは、私という存在の途方もなさに改めて打ちのめされているのかもしれない。
「……リィナ、貴女は?」
今度は私が問いかける。
「貴女は、なぜ私についてくるのです? お金や情報が目的、というだけではなさそうですが」
私の言葉に、リィナはびくりと肩を震わせ、視線を泳がせた。図星だったのだろう。
「そ、それは……まあ、ルゥアさんみたいな面白い人、滅多にいないですし、情報屋としてビッグなネタになるかなー、なんて……」
歯切れの悪い言葉。私は足を止め、彼女の顔をじっと見つめた。私の視線に耐えかねたのか、リィナは観念したように大きくため息をつき、ぽつりぽつりと本音を吐露し始めた。
「……本当は、私の村のためにお金を稼ぎたかったんです。私の村、すごく貧しくて……。それで、ラグリオスで情報屋になれば一攫千金も夢じゃないって思ったんですけど、現実はそんなに甘くなくて。危険な仕事ばっかりだし、大した稼ぎにもならないし……正直、もうダメかと思ってたんです」
俯き、小さな声で語る彼女の姿は、いつもの元気な様子とはかけ離れていて、痛々しいほどだった。
「そんな時に、ルゥアさんに出会ったんです。あの力を見て……何ていうか、運命が変わったような気がしたんです。あなたと一緒にいれば、何かすごいことができるんじゃないか、私にも何かできるんじゃないかって……馬鹿みたいですよね。結局、ルゥアさんの強さに憧れて、おこぼれに与ろうとしてるだけなのかも……」
最後は自嘲するような笑みを浮かべたリィナの肩に、私はそっと手を置いた。
「貴女が隠し事をする必要はありませんわ、リィナ。貴女の目的が何であれ、私を利用しようと思っていたとしても、構いません。貴女が私を信じ、共に歩むと決めたのなら、それで十分です」
私の言葉に、リィナは驚いたように顔を上げた。その瞳が、微かに潤んでいるように見えた。
「ルゥアさん……」
「それに、貴女は決して無力ではありませんわ。先の戦いでの貴女の機転と『ミラザール』がなければ、私はもっと苦戦していたでしょう。貴女には、貴女だけの力があるのですから」
そう言って微笑みかけると、リィナは照れたように顔を赤らめ、そして、何かを決意したように力強く頷いた。二人の間に漂っていた微かな隔たりが、その瞬間、消え去ったような気がした。
「それにお金の話なら心当たりがありますわ。ついていらっしゃい」
私はリィナを促し、ラグリオスの裏通りへと足を踏み入れた。目指すは、賞金稼ぎ連盟《黒銘録》のギルドだ。
薄暗く、鉄と血の匂いが微かに漂うギルドの内部は、昼間だというのに多くの荒くれ者たちで賑わっていた。酒を酌み交わす者、武具の手入れをする者、そして、壁一面に貼り出された手配書を熱心に眺める者たち。リィナは「うわぁ……本当に柄の悪い人たちばっかり……」と小声で囁いたが、私は意に介さず、手配書の掲示板へと進んだ。羊皮紙に描かれた何十枚もの手配書が、古びた画鋲で隙間なく留められており、中には隅が破れていたり、血痕のような染みが付着しているものもある。他の賞金稼ぎたちも、真剣な眼差しでそれらの情報に目を通していた。
「本当に手配書の数、すごいですね……」リィナが改めて感嘆の声を漏らす。
「あっ、見てください、ルゥアさん! この“毒蛇のオルガ”って女の人、顔がめちゃくちゃ怖いです! 『指名手配の理由、闇市における各種毒物の密売、及び依頼による十数件の暗殺』、懸賞金は金貨五百枚……うわぁ、絶対近寄りたくないタイプですね、これ」
彼女が指差す手配書には、蛇のように冷たい目つきの女性の、やや不気味な似顔絵が描かれていた。その下に書かれた罪状は、彼女の異名に違わぬ凶悪さを示している。
「こちらの“鉄仮面のベロム”というのも、なかなかの悪党のようですわね。指名手配の理由は『主要街道における連続強盗、帝国所属の護送隊襲撃、及び十数件の殺人』。懸賞金は金貨七百枚。顔写真は、その名の通り鉄仮面しか写っておりませんわ。素顔を隠すのは、それなりの理由があるのでしょう」
その手配書には、威圧的な鉄仮面を被った大柄な男の上半身だけが描かれていた。その体躯からは、相当な腕力を持つことが窺える。
「ひぃっ、七百枚! お、恐ろしい……あ、あとこの“小指狩りのエルゼ”っていう人……名前の時点で絶対やばいやつじゃないですか……! 手配書の備考欄に、『捕縛の際は被害者の小指の数に注意。犯人は記念に持ち去る習性あり』って……うげぇ、想像したくない……」
リィナは自分の小指をさすりながら、心底嫌そうな顔をしている。その手配書には、痩身で神経質そうな男の、不気味な笑顔が描かれていた。
「ふむ。“自称・義賊のエルメロ”というのもおりますわね。罪状は『貴族屋敷専門の大規模窃盗、及び帝国博物館からの美術品強奪』ですが、備考に『盗品の一部は貧民街へ寄付されている形跡あり』と。こういうタイプは、正義というものを履き違えているだけの可能性もありますけれど、国家の財産を私するのは許されることではありませんわ」
その手配書には、どこか芝居がかった笑みを浮かべる細身の男の姿があった。懸賞金は金貨四百枚。その目には、ある種の信念のようなものが見え隠れしているようにも感じられた。
「なんだか、こうして見ると本当に色々な悪党がいるんですね……。ラグリオスって、やっぱり物騒な街なんだなぁ」
感心するやら呆れるやら、といった様子のリィナ。私はその中から、手頃な獲物を冷静に物色し始めた。リィナが村に送る資金を稼ぐには、これが一番手っ取り早いだろう。
「こ、これ……!」
不意に、リィナが息を呑む音が隣から聞こえた。彼女が見つめる先には、一枚の新しい手配書。そこに描かれていたのは、見慣れた金色の髪、そして涼やかな目元の少女の姿。間違いなく、私だった。
「『ルゥア=フィロス、通称“跪き姫”。極めて危険な魔術を行使。生死を問わず、金貨五千枚』……な、なんでルゥアさんがこんなところに手配されてるんですか!?」
リィナがパニック寸前の声で叫ぶ。金貨五千枚というのは、破格の懸賞金額だ。
「これなんか良さそうですわよ、リィナ。『“黒牙”のザリオ、近隣の村々を襲撃し略奪。金貨三百枚』。この程度の相手なら、すぐに片が付くでしょう」
「なんでそんなに冷静でいられるんですか!あなた、指名手配されてるんですよ!」
「それが何か問題でも? 私は、私の成すべきことを成すだけですわ。それに、この手配書のおかげで、私の名が少しは広まるのであれば、むしろ好都合かもしれません」
そう言って微笑むと、リィナは「もう、ルゥアさんの考えてることは全然分からない……」と頭を抱えてしまった。
結局、私たちはその日のうちに「“黒牙”のザリオ」とその一味を捕縛した。私の魔力の前では、彼らは赤子同然だった。抵抗する間もなく無力化されたザリオを、リィナが手慣れた様子でぐるぐる巻きにしていく。
「これを《黒銘録》に持っていけば、そこそこのお金にはなりますわ。村への仕送りには十分でしょう」
荷物のように転がされたザリオを見下ろし、私はリィナに言った。
「え、でも、ルゥアさんは一緒に行ってくれないんですか……?」
不安そうに尋ねるリィナに、私は小さく首を振った。
「私は手配されている身ですもの。ギルドに顔を出すのは、さすがに賢明とは言えませんわ。貴女が報酬を受け取ってきてくださいな」
そう言い残し、私は踵を返してその場を立ち去ろうとした。これ以上ここに長居するのは、リィナにも迷惑をかけることになるかもしれない。
「待ってください、ルゥアさん!」
背後から、リィナの必死な声が追いかけてきた。振り返ると、彼女は何かを決意したような、それでいて少し緊張した面持ちで私を見つめていた。
「……あの、もしよかったら……一度、私の村に来てください。大したものは出せませんけど……ちゃんとお礼がしたいんです。ルゥアさんには、ごちそうしますから!」
一気にそう言い切ったリィナの頬は、夕焼けのように赤く染まっている。それは、彼女がなけなしの勇気を振り絞って口にした言葉なのだろう。貧しいと言っていた彼女の故郷に、指名手配されている私を招待するというのは、彼女にとって簡単な決断ではなかったはずだ。
私は、その申し出に、少しだけ驚いたような表情を見せたかもしれない。だが、すぐに温かい何かが胸に広がるのを感じ、自然と微笑みが浮かんでいた。
「それは、楽しみですわ。ぜひ、お邪魔させていただきます」
私の快諾に、リィナの顔がぱあっと明るくなった。その笑顔は、先程までの不安を吹き飛ばすように、太陽のように輝いていた。