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早朝、大量の本がに囲まれた静かな空間でオリヴィアはとある一冊の本を読みながら頭を抱えていた。
うーん、やっぱり優先的に大事なのは働く場所よね?
のんびりとした休日を過ごした翌日、オリヴィアは学院の敷地にある図書館に来ていた。
いつも通り朝早くに部屋を出て学院に向かっていたのだが、道中でふと教室でまたアメリアと鉢合わせしてしまうとあまりロクな目に遭わなさそうだと思ってしまった。なのでちょうど調べたいこともあったのですぐ近くにある図書館に来ていた。
調べたいことと言うのは平民がどのように暮らしているのかで、もし私が平民に落とされることになった時、生きていくために知識は深めておくに越したことはない。
図書館は学院と同じく明朝から開いており、既に受付に職員の方が座っていた。それなりに早い時間だったため流石に私以外にはまだ他の学生は居ない。
平民の暮らしについて書いてある本なんてあるのか疑問ではあったのだが、意外とそれらしい本はいくつかありすぐに見つけることが出来た。
この図書館は学生なら受付に名前を伝えるだけで簡単に本の貸出もできるのだが念の為それは辞めておいた。
もし私がこんな本を持っているのをユラや他のクラスメイトに見つかって理由を尋ねられても困るから。
そういうわけで私は図書館の端で一人で本を捲っている。
元々、多少の知識はあったのだが調べてみれば知らなかったことも多く出てくる。
本当は、実際に街に行って直に見て回るのがいいのだろうけど正直それはあまり気が進まない。
なぜなら、夢の中で私に降かかる死のほとんどが街での出来事だからだ。割合で言えば八割ほど、そして残りの二割はと言うと街に向かう道中にある林で……
つまり死因の全てが街と街に行くまでの道中にあるのだ。
誰だってそんなところ好き好んで行きたくは無いはず。一度どこかで街を見て回らないといけないのはわかっているが流石にまだ心の用意ができていない。
なので今はまだ出来るだけ街に行くことは控えたい……
そういえば、夢の中ではお父様から平民に落とされる際に一応いくらかお金は貰っていたはずだから、いきなり路上生活をする羽目になったり食事も取れないなんてことにはならないだろうけど……それでもどれだけ貰えるかも本当に貰えるか分からないお金を当てにすることは出来ないわよね。
食事処のウェイターや商店の販売員、公共機関の職員などいくつか候補となる職種はあるのだが、私が選んだところで結局、採用は向こうが決めるもので働けるかは分からないので候補以上にはなりえない、先に他のことを考えるべきかしら………?
「はぁ、一体何から準備したらいいのかしら」
「とりあえずは今日提出の課題じゃない?」
誰に対して言った訳では無い、単なる独り言に思わぬ返答が帰ってきたことにオリヴィアの肩が跳ね上がる。
「な……!ごっ、ごほっ!…………けほ…けほっ!
ど、どなたですか……!?」
まさか誰かいるなんて思ってもなかったわ……!
咳き込む口を押えながら、声のした方を振り向くと小柄な体格に褐色の肌とふわふわとした黒髪を持った少年が立っていた。
「俺?俺はジョルジュ・クワイン。シーちゃんなら気軽にジルって呼んでくれていいよ?」
軽薄な態度でおかしな事を言う彼はヘラヘラとしながらそう言った。
ジョルジュ・クワイン……クワイン家と言えば十数年前に功績を立てて爵位を貰った男爵家ね。
最近貴族になったため権力で考えれば下もいいとこだが国王様の憶えがいいため侮ることが出来ない家だ。
この国ではなかなか見ない褐色の肌に真っ黒な髪は自ら名乗った家紋を証明するのに十分だ。しかし、彼の身柄はわかったが彼が何を言ってるのかはさっぱり分からなかった。
「あの、クワイン様?シーちゃんとは誰のことでしょうか?」
もしかしたら私が変な聞き間違いをしてしまったかもしれない……というか、そうであって欲しいと思いながら先程の発言を聞き返すとその願いはあっさり否定される。
「そりゃここには俺とシーちゃんしか居ないんだから、シーちゃんはシーちゃんに決まってるでしょ?それと俺のことはジルって呼んでってば」
おかしい……私の熱はもうだいぶ前に治ったはずなのにまた頭が痛くなってきた。
いや、おかしいのは私の頭ではなく目の前のこの男の方よね?
座っていた椅子を引き、無礼を承知でわざと立たずに座ったままジョルジュ・クワインの方に向き直す。
「はぁ、私はシーちゃんではありません。私はカロリーヌ家の一人娘のオリ…」
「オリヴィア・カロリーヌだろ?それくらい知ってるよ。この学校じゃ有名人じゃん、冷鉄な仮面令嬢ってね」
「……あなた、随分と意地の悪い性格をしてると言われませんか?」
「そうかな?皆からはいい性格だってよく褒められるけど」
それは状況次第で意味合いが変わってくるのでなんとも言えないけど…………ってそれはどうでも良くて。
私が強く非難を込めた視線で睨みつけてもジョルジュ・クワインは何処吹く風で流している。
「あなたの家族はあなたに目上の者に対する言葉遣いや敬意というものを教えてくれなかったようですね?」
「あなたじゃなくてジルって呼んでよ。シーちゃんにとっては一つ下の後輩なんだしさ」
「後輩という自覚があるなら尚更言葉遣いには気をつけなさい。クワイン家の跡取りがその様では今後苦労す」
「ジルだってばー、俺もシーちゃんって呼ぶからさ」
「ジョルジュ・クワイン、人の話を聞きなさい。大体……」
「ジ・ル」
いつの間にかテーブルを挟んだ向かい側に座って、ほら、と人あたりの良さそうな笑顔を浮かべるジョルジュ・クワインに腹立たしさと同時に戸惑いを感じる。
一体どういうつもりなの、この男は……?
今まで私にこんな態度を取ってくるような人物はいなかった。これまでに接したことの無いタイプについ戸惑いを隠すことが出来ない。
大体、男女で相性を呼ぶというのはかなり親密な間柄ですること。それこそ婚約者同士がするような事だ。
百歩譲って私が敬称で呼び合うことを許可したとして彼に一体どんな利点があるというのだろうか?
下手を打てばそれは私の婚約者であるルーカス様やアルベルト家に対して喧嘩を売ってると思われても仕方がない行為なのに。
一体なんのために?カロリーヌ家に取り入ったところで彼ひいては彼の家になにかメリットがあるとも思えない。
どれだけ考えても答えの出ないその問いにオリヴィアは考えるのを辞める。
そうよ、何も難しく考える必要は無い。
今わたしがこの場を離れて二度と関わらなければ、彼が何か考えていたところで関係ないのだから。
そうと決まれば直ぐにこの場を離れよう。
本当はもう少し本を読みたかったけど、教室にはそれなりに人が来ているだろうから、アメリアと二人きりになることは避けれるはず。
集めていた本を抱え黙って席を立つとジョルジュ・クワインはキョトンとした顔をする。
「あれ?どこに行くの?まだその本読みきってないでしょ?」
「静かに読むことが出来なさそうなので、私はお暇しようかと……それでは学年も違うのでもう会うことは無いとは思いますがごきげんよう」
もう金輪際、関わらないと遠回しに伝えるとそれが伝わったのか少し驚いた顔をするが直ぐに悪い笑みを浮かべる。
なに?嫌な予感がし、胸に抱いていた本を握る手に力が入る。
「そっかー、あーあーこのままじゃ俺誰かに今日のこと相談しちゃうかもなー。平民の暮らしについて書いてある本を読んでるオリヴィア・カロリーヌ様に話しかけたら冷たくされちゃったって」
ひくり、と口の端が引きつったのが自分でもすぐにわかった。
「俺は気にしないし全然いいと思うけど、シーちゃん的にそんな本読んでることが周りに知られちゃうって良くないんじゃない?」
「…………脅しているのですか?」
「あ、やっぱり周りには知られたくないんだ」
ッ!!…………油断した、ジョルジュ・クワインのあまりにも軽薄な態度に自分が読んでいた本の存在をすっかり忘れてしまっていた。
そして今それが私にとっての弱みとして確実に握られてしまった。
「……望みはなんですか」
「だーかーらー、仲良くしたいだけだって。その証にジルって呼んでよ。ね?」
そう言った彼の表情からは確かに何かを企んでるようには見えなかった。それに何かを企んでいようがいまいが、私は弱みを握られてしまっているためどの道、選択肢は無い。どうせ嫌味にもならないのだろうがわざとらしくため息を一つつき、手に持っていた本を再び机の上に置き椅子に座る。
「ジョルジュ、これ以上は譲りません」
年下の男に丸め込まれたのが気に入らず、つい不貞腐れたようにジョルジュから顔を逸らしながらそう言うと、出会ってから一番のいい笑顔をしたジョルジュの顔が横目に見えた。
「いいよ、じゃあこれからもよろしくね。シーちゃん」
一年の間だけですけどね、とオリヴィアは心の中で呟き、ジョルジュが出会い頭に言ってきたことを思い出す。
「はぁ…………あと訂正しておきますけど今日提出する課題は当然終わってますから」
ジョルジュはそんな返答が帰ってくるとは思わなかったのかお腹を抱えて笑い出す。
「あは、あはははは。シーちゃんって真面目だね」
「ジョルジュがいい加減すぎるんです」
それから何かと話しかけてくるジョルジュに適当な返事をしながら教室に向かう時間になるまで図書館の隅で過ごした。
♦
学院は週の半分ほどは昼過ぎに終わる。なぜかと言えばそれぞれ家から家庭教師を雇われていたり自分の得意なことを伸ばしたり、女生徒であればお茶会を開催したりと基本的には生徒もしくは生徒の家系の自主性を尊重しているためだ。
そのため今日も学院が昼で終わり、そうそうに帰宅した私がユラと一緒にお茶を飲んでいるとドアがノックされる。
「あ、あの、オリヴィア様はいらっしゃいますか?」
扉越しに聞こえた声で扉をノックした人物に見当がついた。
あぁ、そういえばもうそんな日だったわね……
ここ数日は色んなことがあったせいですっかり忘れてしまっていた。なんとなく今までの彼女の振る舞いと夢の中での出来事を思い出し、また頭が痛くなりそうな予感がする。
そんなことを考えてるうちにユラは手早く先程まで私たちが使っていたポットなどを片付け、客人を招く用意をしている。その手捌きは目で追えないほど速く、いつの間にか私の手元にあったはずのカップまで無くなっている。
いつの間に…………?
テーブルの上は先程まで使っていたのが嘘のように綺麗になっており、ユラは既に部屋の隅で新しくお茶を入れる用意をしている。
まったく、準備が早いんだから…
「ユラ、入れて差しあげて」
「かしこまりました」
ユラが扉を開けると、金色の髪を揺らしながらおずおずと一人の少女が入室してくる。
少女は緊張を顔に宿しながら頭を軽く下げる、その姿はさながら肉食獣の前に佇む小動物のようだ。
「その、失礼します……」
「ようこそお越しくださいました、ミス・アメリア」
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