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あぁ、やっぱり今日だけは休めばよかった……
教壇の前に立つ彼女を見て嫌な汗が背中をつたうのを感じながら目をそっと伏せる。
「私、アメリアと言います!分からないことも多いんですけど皆さんと助け合っていければなと思ってます、よろしくお願いします!」
そんな貴族社会ではありえない己の無知さを晒しながら他力本願なあまい挨拶とともに転入してきたのは王族にしか許されない輝く金髪にエメラルドの瞳を持った可愛らしい顔をした少女だった。
ずっと夢で見ていた私の終わりを始める存在が現れた瞬間だった。
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今日は私、オリヴィア・カロリーヌが王立学院の上級二年にあがり初めて登校する日だ。いつもであれば既に寮を出ている時間なのだが今朝は気が重くてまだ部屋を出れていない。
……休んではダメよね
その理由というのもここ半年ほど繰り返し見る夢のせいであった。
夢の内容は突如転入生がやってきてオリヴィアの婚約者と仲良くなりそれをよく思わなかった私が手酷く罵ったりと転入生を傷つける行いをし、三年生の卒業前パーティにて私は婚約者から糾弾される。
婚約者であるルーカス様によって婚約破棄を言い渡され貴族社会の噂の的となった私に、家名に恥をかかされたと父は激高し絶縁を言い渡し街に追い出されることになった。
そして、街に馬車で向かう最中に賊に襲われた私は彼らに連れ去られ様々な暴行を受けたあとそのまま死亡。
例え夢の中とはいえ死ぬのは辛くて何とか夢の内容を変えようとしたが結果は変わることは無かった。夢の中では決められた行動しか出来ずに関わらないようにしようとしても彼女に出逢えば罵詈雑言を吐いてしまうし、時には手だって出してしまっていた。
その結果が賊に攫われ慰めの道具にされるなんて毎朝、毎朝吐き気がする。
夢は夢だと分かってはいるのだが夢の中での景色や学院にある花の種類や数、クラスメイト達の顔立ちはっきりと浮かぶそんな現実感が、賊から受ける暴力への恐怖がいつも私の血の気を引かせ手に汗を滲ませる。
──落ち着くのよ、オリヴィア・カロリーヌ。いつもの冷鉄の人形と言われる自分に戻って、所詮はたかが夢なんだから。
部屋のドアノブに手をかけ目を瞑りながら自分に暗示をかける。
勝手に休んでしまえばそれを知った父から呼び出しをくらい罰として数日の間、鞭打ちと食事抜きにされてしまう。
寮で生活する前の幼少の頃受けた罰、それに比べれば学院に行くくらいどうということは無い。
目を開くともう手から汗は引き呼吸も整っており扉を開くことが出来、いつも通り学院へ向かう事ができた。
学院と寮は同じ敷地内にあるため歩いて向かってもそう時間はかからない。寮は男性と女性で別れており学校を挟むように建っている、これは寮の距離が近いと成人前の過ちを犯してしまう事件が多発したため、その危険性を減らすためだ。
いつもより遅いとはいえ普段から誰よりも先に登校はしていて、ここ半年は夢のせいで早く目覚めていたためさらに早く来ていたので学院の門を開ける人とほぼ同じ時間だったくらいなので多少遅れたとはいえまだ他の生徒はチラホラと来てはいるがそう多くは無い。
足早に学院に向かっていると意外な人物が門の前に立っているのが見え一瞬呼吸を忘れてしまった。心を少し落ち着かせてその人物の前に行く。
「おはよう、随分早いね」
「おはようございますルーカス様。普段からこれくらいには来てますので」
「そうなの?」
少し驚いたような表情で私を見る彼はルーカス・アルベール、次期公爵様であり貴族の中でも群を抜いて整った顔立ちをして薄い金色に青色の瞳は全女性達の憧れの存在で学院の生徒副会長もしている。
そして私の幼い頃からの婚約者であり、夢の中で私を凶弾した人物だ。
なぜこんなに爵位も容姿も何もかもが違う私と彼が婚約を結ぶことになったのかと言えば母が若くして一人娘の私を産みそのまま亡くなってしまい、元々上昇志向だった父がこのままでは家が没落してしまうと考え様々なツテを使い、私に対して同情を抱いたアルベール公爵の領主様がちょうど歳の近い子供がいた事でたまたま婚約を結ぶこととなった。
初めて会ったのは私が七歳の時だった、ほとんど部屋に軟禁状態だった私にとって何もかもが初めての存在だった。
綺麗な容姿で優しく手を取ってくれたあの日から私は彼にずっと___恋をしている。
「静かなうちにその日の予習はしておきたいので」
「真面目だね」
それだけが理由ではないが嘘でもない
「ルーカス様こそ今日はお早いんですね」
「今日は新入生が来る日だし、久々の登校なんだから婚約者に挨拶はしとかないとなって」
優しく笑いながらそう言ってくる姿は見るものが見れば彼も私のことが好きなのではと勘違いをしそうになるほど甘い。
だけど私は知っている、彼が私を愛するなんてことは無い。夢をまるっきり信じている訳では無いが夢の中でアメリアと接していた彼は私と接する時とは比べ物にならないほど楽しそうで、嬉しそうで。
何より彼と私とでは立場が違う。元々は我が家の為の婚約、彼には望まない婚約を強いる形になってしまっている。
それに、私の容姿は夢に出てきた彼女とは違って鈍い灰色の髪を腰まで伸ばし目つきも少しキツめで背丈も他の女子生徒に比べれば頭ひとつ分高く可愛らしさとは程遠い容姿だ。
パッと見で威圧感を与える容姿に私が学院で笑わず誰とも会話を録にしないことで周りからは冷鉄の仮面なんて呼ばれてるのは知っている。そんな私にルーカス様が好意を持ってくれるなんて夢を見るのはもうずっと前に辞めた。
現にもう四年ほど同じ学院に在籍しているが会うことが出来るのは月に一度のお茶会の時くらいで、それも婚約者としての義務感で時間を作ってくれていたんだろう、それ以外で彼から何かに誘ってくれたことは一度もない。
もしも夢に出てきた彼女が現実にも現れれば私の方なんて見向きもしないだろう。
それがわかっているからいつからか私から会いたいと、なにかに誘うこともなくなり、顔を合わせる機会は次第に減っていった。
だから今更そんな言葉に一喜一憂なんてしない……
ツキンと胸に痛みが走ることに気付かないふりをして彼から背けそうになる顔を持ち上げる。
「それじゃあ、教室に行きますので」
「あ、ちょっと待って」
「…どう、かしましたか?」
彼の横を通り抜けようとした時、まさか引き止められるとは思っていなくて口ごもってしまった。
「もしかして体調が悪い?顔色が悪く見えるよ」
「はい?」
突然の心配に思わず困惑してしまう。
「それによく見たら目の下にクマが…」
ルーカス様は心配そうな顔をして私の目元に手を伸ばそうとしてくる。しかし、私はあまり今の顔を見られたくなくて思わず俯いて顔を逸らしてしまった。
「公共の場で異性同士が触れ合うのは良くないと思います……」
苦しい言い訳だと自分でも思う、婚約者同士が仲良さそうに触れ合う程度は学院内でもよく見る光景だ。
こんな時夢の中の彼女であればどうするんだろう、楽しそうに笑うのだろうか?恥ずかしそうにはにかむのかもしれない。あいにく私にはそんな可愛い仕草は出来ないし、寝不足による目の下にクマができた状態を好きな人に見せることなんて出来ない、見せたくない。
「なにか隠してる?」
「隠してなんて……昨日の夜、つい本を読みすぎて夜更かししてしまっただけなので」
「ほんと?」
「はい」
ち、近い……
ルーカス様が私の顔に手を添え軽く持ち上げる。
私と目が合う形になったがここで逸らすとまたなにか聞かれそうなので逸らしたくなる衝動を抑え真っ直ぐに目を合わせる。
「わかった、もし悩み事がある時は言ってね?」
「ありがとうございます、では失礼します」
目をしっかり合わせたことが功をなしたのかすんなりルーカス様が引き下がってくれた。
そのまま彼に軽く頭を下げ横を通り抜ける。
今度は引き止められず校舎に入ることが出来た。
ルーカス様と別れた後、自分の教室に行くとまだ誰もおらず電気もついてなかったのでスイッチを押し明かりをつけた後いつもの席に座る。
席は決まってる訳では無いがクラスの誰もが何となくいつもの場所に座っている。
座って一息つくと先程のルーカス様とのやり取りを思い出して顔に熱が込み上げるのを感じる、久々に会えたこともそうだが心配をしてくれたことに嬉しい気持ちになる。
しかし、この後に起きるであろう出来事を思い出し何とか浮き足立つ心をおちつける。
ルーカス様には予習がしたいからなどと言ったが、本当は予習なんてしなくても厳しい父の言いつけで既に学院で習う範囲の勉学は頭に入っている。しかし他にやることもないので今日の授業範囲を予習するために教科書を広げるが内容は全く頭に入ってこない。
夢通りであれば彼女がこの後、講師に連れられこの教室に現れる。
緊張なのか不安なのか分からない感情がドロドロと胸の当たりを這い回る。
そんな私とは対照的に楽しげに教室にクラスメイトがチラホラと入ってくるが、冷鉄の人形と呼ばれている私には話しかけるどころか挨拶をする人もいない。
当然、私の近くの席に座る人もいない。
それ自体は私としても面倒が少なくて助かっている
なぜ冷鉄の人形と呼ばれるようになったかと言えば人付き合いも最低限しかせずに決して笑わず毎日人形のように同じ動きしかしないからだとか。
直接聞いた訳では無いがクラスメイトがそう話しているのを陰から聞いたことがある、当時はルーカス様に聞かれたらと少し焦ったが今となってはもはやどうでもいい。
時計の針が刻一刻と登っていく。
所詮夢だと自分を誤魔化していた、だけど……
私の心は感じ取っている、あの針が頂上に登りきった時が私にとっての地獄の始まりだと。
願わくばあの扉が開いた時、講師の後ろに誰もついてきませんように……
クラスメイトもあらかた揃い各々がお気に入りの場所に座り講師が来るのを待つ。
普段であればまだガヤガヤとしていそうな時間なのに何故かこの日だけは皆が扉を開くのを静かに待っている。
まるで物語の主人公が登場する瞬間のように……
扉が開きいつもの講師が教室に入ってくる。それに続いて金色の髪を靡かせ一人の少女が入り教壇に立つ。
「皆さんには突然の知らせにはなりますが今日から彼女も一緒にこのクラスで勉学に励んでもらいます。彼女は……」
同じく教壇に立った講師が彼女についての説明を始めるが私の耳には何も届かない。
小柄な体躯にふわふわとした金色の髪を肩より下まで伸ばしエメラルドのような瞳は零れそうな程に大きく目尻の方が垂れている。
あぁ、現実って本当に残酷なのね……
緊張しているのかオドオドとした様子で私たちの方をキョロキョロとみている姿はまるで小動物のようで。
__なによ、夢の中よりずっと可愛いじゃない
「私、アメリアと言います」
きっと彼女がルーカス様と仲良くなることも、婚約破棄を告げられることも、遠くない未来に死ぬことになることも変えられない、むしろ足掻けばさらに酷いことになる。
そんな予感を感じながら私は目を伏せた。