第79話:今、帰る所
ヴェオース大樹境で最も深い場所は地下にある。
危険な森林の奥深く、その内部に比べて意外なほど粗末な入口から深く深く。呆れるほど深く潜る洞窟がある。
私はマツサに言われるまま準備をした三日後に、その場所にいた。二人がかりで物凄い早さで大樹境の中を駆け抜けたのは言うまでもない。
大地の底とでも言えばいいのだろうか。長大な洞窟を下るうちに周囲の景色はどんどん変わっていく。硬い地面を思わせる茶色から、岩を思わせる黒。そしていつしか、壁は透明がかった輝きと魔力を帯びるようになっていった。
「これは……周り全部魔石だね? 天然の岩石が変異している?」
「さすがは先生。仰るとおり、この先にいるドラゴンさんの影響ですね。その魔力で周囲の環境まで変えちゃってるんですよ。ここから先は魔石取り放題。ミュカレーの人達がここに辿り着いたら世界中大騒ぎでしょうね」
「そうか。君は『塔』にここの報告もしていないんだね」
「はいっ。これは我が一門だけの秘密です。実はヴェオース大樹境制覇してますって、ちょっと言えませんよねー」
なるほど。『ミュカレーの書』があれほど多岐に渡っているのは、マツサを始めとした弟子たちも協力したからか。それなら納得だ。
その上で、情報を『塔』にも報告せずに秘密とした。ミュカレー発展のためか、師匠の関係か。両方だろうか。
「この道を作ったのは師匠かな? こうまで都合よくドラゴンの所にたどり着けるとは思えないんだけれど」
私達が歩いているのは、なんと階段だ。魔術の明かりで照らす下で、驚くほど歩きやすい。まるで、職人が作ったようだが、そんなものがこの場に入り込む余地はない。
「いえ、この道はドラゴンさんが作ってくれました」
「なんだって? 意思の疎通がとれるのかい?」
「大先生はとれたみたいです。ちょっと上の方で魔石の層にあたったら何かしはじめまして。みるみる内にこの階段ができていったんですよ」
それを下っていったらご対面です。と当時の驚きを頑張って伝えてくれる。ちょっと見たかった。いや、そのためにはヴェオース大樹境を踏破しなきゃいけないのか。ちょっとやだな。
「ドラゴンが招き入れたか。少なくとも、害意がある存在ではなさそうだね」
「はい。そうでなければ、あたしもこの場にはいません」
もし、この場に眠るのが悪い意思を持つドラゴンだったら、今頃大変なことになっていただろう。下手をすれば、私だって目覚めることはできなかったかもしれない。
周囲は神秘的な光景だ。私達の魔術に反応して、壁やその奥までキラキラと輝いている。まるで、星空の中を歩いているようだ。
その景色に見とれつつ、たまにマツサと雑談をしながら長い階段を下るうちに、その場所についた。
「先生、こちらですよ」
辿り着いたのは広い平坦な空間。先程までが通路なら、ここは広場だ。頭上に浮かべた光源だけでは照らしきれないくらいの広さを感じる。
マツサが光の魔術を追加しながら口を開く。
「こちらが大先生とヴェオース大樹境のドラゴンのおわすところです」
光が強くなり。広場の全容が顕になる。
そこにあるのは水晶のように透き通った魔石の壁の中に眠る、巨大なドラゴン。
白銀の鱗に、鋭い形の頭を持った、素早そうな流麗な外見のドラゴンだった。
その上大きい。ちょっとした城くらいのサイズはあるだろう。
ドラゴンは、壁のこちら側に頭をもたげるような形で、眠りについていた。
そして、その頭に触れる形で石の中にいる人物がある。
「師匠……」
目を閉じて、満足げに微笑む女性が、そこに眠っていた。ローブではなくワンピース姿の、気楽な格好でドラゴンと共に眠る姿は不思議な調和を感じられる。
大魔術師ミュカレーの見た目は、私の知るものと変わらなかった。
赤い髪、よく整った顔つき。実験で髪と同じ色に染まってしまった赤い瞳は閉じられていてわからないが、そのままだろう。
見た目的には二十代中頃。いつの頃からか、この人も歳を取るのをやめていた。
「師匠……こんな若者みたいな姿勢で眠りにつかなくても……」
『ようやく会えたと思ったら! 本当に失礼な弟子だねアンタは!』
何気なく呟いたら、しっかり反応されて、物凄く驚いた。
「し、師匠? 意識があるんですか?」
「大先生……ドラゴンとの対話で基本寝てるはずじゃなかったんですか?」
『そんなん百年以上前の話だからね! 色々とどうにかしたのさ! まあ、後はアンタ達が来たらわかるようにしてたんだけれどね』
師匠は相変わらずだった。目の前では目を閉じている美女なのに、頭の中でやかましく話しかけてくる。
「師匠、色々とやってくれましたね……」
『アンタのためでもあるよ。えーと、今はマナール? でいいのかね。現地の子とも楽しく過ごしてるようで何より』
どういうわけか、私の現状まで把握しているようだった。謎だ。
『二人とも、いい顔してるね。このドラゴンと百年以上やりとりしてる間に色々と新しい技を生み出したのさ。いや、意外と話のわかるやつでね』
「あー、詳しく教えて頂いても?』
『もちろん』
それからしばらく、私達は師匠からこのドラゴンのことを聞いた。
どうやら、師匠が魔術で接触した時点で、このドラゴンは自我をほぼ失い欠けていたそうだ。世界を越えるほどの力を持った存在は、ヴェオース大樹境を生み出し、魔力へとゆっくり存在を還元していく。そんな流れだったらしい。
それを師匠が呼び止めた。薄れかかった自我を少しずつ復元し、話せる段階まで持ち直させた。
『そして、友達になったんだよ。そんで、ここで寝ながら魔力を使って色々出来ないかと実験していてね』
私達のことを知っていたのはそんな事情かららしい。
「では、こちらのドラゴンとお話できるのですか?」
『今寝てるから無理だぁね。アンタ達とも話したがってたんだけれど。もともと消えかかった自我だから、時間の感覚も曖昧でね。ま、機会はあるでしょ』
それは残念だ。本物のドラゴンがどんなものか、できれば会話してみたかった。
「ではもう一つ。さしあたって、このドラゴンに危険性はないのですね?」
『まあ、大丈夫なんじゃない? なんか面倒あったら、最悪ここから消えるわ。二人して』
「さすがは大先生。あっさりとそんな覚悟を決めるとは」
マツサが感動している。この場合の消えるとは、別世界への移動まで含むからだろう。
ともあれ、ミュカレーを害為す存在でないとわかるだけでもありがたい。
「では、確認もとれたので。苦情の時間ですね。師匠、私が眠っている時から……」
『まあ、待ちなよ。立ち話もなんだ。机と椅子も出すからゆっくり話そうじゃないか』
そう言うと、私達の前に簡素なテーブルと椅子が現われた。ご丁寧に飲み物まである。
「……わかりました。苦情はしっかり言いますからね」
「またこの三人でお話できるなんて感激です。なんでも話しますよー」
嬉しそうなマツサと共に、私も着席した。多分、口元は笑っていたと思う。
それから私達は長時間話をした。それは、苦情だったり、雑談だったり、日常だったり、色々だ。私からの恨み節はかなり受け流されてしまった。遺憾だ。
師匠は余計なことを言ったり、感心したり、昔と変わらなかった。話し好きなのは、本当に変わらない。
どれくらい時間が経ったろうか。もう話疲れたところで、師匠が言った。
『マナール、あんた、通信の魔術陣覚えてるでしょ。ちょっとここに書いていきな』
魔術師組合にある通信機の魔術陣を書くように言われた。たしかに、面白いから覚えていた。素直にこの場に書き残して置くことにする。師匠が悪さに使わないことを祈るばかりだ。
休憩を挟んだ後、師匠が唐突に言い出した。
『よし! 楽しく話したわ! じゃ、二人とも町まで送ってやるから、頑張ってな! 人生を楽しみなよ!』
その言葉と共に、周囲が光に包まれた。
次の瞬間、気づくと私達は、風車の立ち並ぶ草原の中にいた。
「ここは……」
「ミュカレーだね。大障壁と町の間の草原だ」
私がイロナさんと初めて会った場所でもある。どんな魔術なのかわからないが、瞬時に転送するとは。同じ第七属性でも、出来ることの規模が違う。
時刻は夕方だ。夏の暑さを残しながらも、草原を駆ける風は心地よい。
「とりあえず、帰ろうか」
「そうですね」
私はマツサと共に、帰るべき場所に向かって歩き出した。
町の門を越えたところで、マツサが「今日はちょっと宿泊先に帰りますね」と別れてしまった。
私は一人で歩き出す。
行き先はミュカレー北東部。少し人の少ない、居心地の良い区画。
そこには、そこそこ広い敷地の中に、二つの建物を持つ魔術師の工房がある。
庭に新しい花壇がある敷地内、私は迷わず、新しい方の建物の入り口に立った。
ノッカーを六回叩き、中からの返事を待たず、ドアを開く。これは、この家の人に伝わる秘密の合図だ。
ドアの向こうからは室内の空気と良い香りが漂ってきた。もう、夕食の準備はできているらしい。
「おかえりなさい。マナールさん。ちょっと長いお出かけでしたね」
「ただいま。イロナさん。ちょっと厄介ごとでね。夕食、お願いできるかな?」
「もちろんです。どうぞ、お入りください」
イロナさんの招かれるように、私は穏やかな気持ちで、帰るべき場所へと足を踏み入れた。
帰るべき、私の望む、普通の日常生活へと。ちょっと厄介ごとが多すぎる日常だけれど。
とりあえず、次の休日にはイロナさんとマツサの三人で、花壇に植える植物を買いに行こう。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
また、新作を用意していますので、宜しくお願い致します。




