第68話:八つ当たり
自分のやっていることは八つ当たりだという自覚がマツサにはあった。
マナールと名乗る自分の師を目にした瞬間、あまりにも多くの感情が溢れ、最後に残ったのが何とも言えない怒りだった。
我ながら子供っぽいとは思う。きっと、何百年生きても変わらないのだろう。
本当は昔のように笑いながら抱きつきたい気持ちもあった。
しかし、今の自分は『沈黙の塔』における古参の魔術師であるという自認が強い。重鎮といってもいい立場が、自分の本心を留めた結果が、この怒りなのだと思う。
実際、八つ当たりにも関わらず、この勝負は悪くない話だ。『塔』の暴走とも言える行動を止めるか、自分の下に師が帰ってくるか。
何も損はない。
ただまあ、なんというか腹は立った。
ある日突然、師はいなくなった。
いつものように仕事を片付けて、挨拶をしようとしたら部屋はもぬけの殻。引き継ぎの書類があるだけだ。
予感はしていた。師が第七属性という魔術師の最高域に到達しているのは何となくわかっていた。
そしてそれは、更に上の大先生と呼んでいる師匠の師匠と同じ行動を引き起こすことも。
第七属性に至った魔術師は、どこかへ消える。
理由は様々らしい。一つの極みに至った者の心境の変化なのだとは思う。
どことなく自分はそれを覚悟していたが、あまりにも突然であっさりとした別れは、思ったよりも心に効いた。
何十年ぶりかで現れた大先生に街作りの協力を依頼され、その流れの中で生まれ変わろうとする師を見たときは、その場で目覚めさせようか物凄く悩み抜いた。
そして思ったのだ。「目覚めた師と出会い。再び楽しい毎日を送ろう、と」。
あの絶望しかなかった幼少期から救い出し、魔術と生活を与えてくれて、大事にしてくれた師の傍にいたい。自分の長い寿命はそのためにあるに違いない。
そう思っていたら、目覚めた師は自分で勝手に楽しく町で生きていた。『塔』にいる自分に連絡を取るそぶりすらない。それどころか、休みのたびに女と町に出かけて楽しく食事や買物をなどをしているではないか。
実をいうと、マツサは結構前からマナールの動向を把握していた。その上で、接触の機会を待っていたのである。
そして、自分ではない存在がマナールの周囲にいることにフラストレーションをため、この爆発に至る。
本人も自省しているが、「持ちかけた勝負は悪い判断じゃない」という現実が、この行動を後押ししていた。
「やはり、こういう魔術では微塵もゆるぎませんねぇ。先生ぇ……」
瓦礫の山どころか、ほとんど焼け跡となった屋敷の跡地で、全身を魔力の輝きで包みながら、マツサは上に向かって言う。
視線の先、上空には、魔術のロープで拘束されたヨファーナを抱えたマナールがいた。もちろん無傷だ。
「許可があったとはいえ、こうも更地になってしまうとは。怒られるかな……」
ヨファーナを地面に横たえながら言うマナールは、あくまで穏やかだった。周囲はがれきの山、地面は高熱でまだ燻ってすらいるのに、まるで動揺していない。
ああ、まさしくあたしの先生です……。
自分の知っている師はこんな感じだった。若い頃はそうでもなかったと言ってはいたが、仕事に同行する時はいつも落ち着いていた。この人が慌てる時は、本当に危ないときなのだ。何度かあって死にかけた。
「このくらいでは駄目そうですねっ」
声と共に、マツサは鋭い語気で短い呪文を唱える。杖の先端が輝き、身につけた魔術具が発動する。
杖の先端から魔力の刃が伸びる。よくある魔力の刃を作成する魔術だが、絶えず色が変わる、酷く賑やかな魔術だ。
「行きますよ!」
「いや、危ないよ。それは」
無限とも思われる色彩を帯びた光輝く刃。それを鞭のように長く伸ばし、しならされて振り回す。
狙いは正確で、少なくない数の直撃がマナールを襲う。
その度に、刃の色と同じ光が彼の体の周囲に散った。
強力な魔力障壁による防御だ。魔力同士がぶつかり合って、寄せる波のように激しく散っている。
やはり。属性を細かく変えれば防御に専念しますね。
これはヨファーナに授けた魔術の応用だが、有効なのは確かなようだ。
第七属性の魔術師とは、魔術の本質を掴んだ者のこと。
まだその境地に至ってないマツサは、そう理解している。
大魔術師ミュカレーと少なくない時間を過ごしたなかで、何となくそれだけはわかった。第七属性の魔術師は、詠唱を殆どしない。手足を動かす感覚で、魔力を操っている。
これは、エルフや一部の獣人といった、魔術が得意とされる種族でも不可能なことだ。
それを彼らは可能としている。理屈はわからないけれど。
厄介なのは、こちらの魔術の正体がわかると、無効化されてしまうことだ。魔力を操って発動する魔術をなかったことにする。そんな無茶苦茶を、彼らは可能にする。
その対策として用意したのが常に属性が変化するこの特別な魔術なわけだが。
……防御に専念されると貫けませんね。
そもそも、魔術師としての腕前が上であるマナールの防御魔術が堅すぎる。単純に扱える魔力の量が違うのだろう。分厚い壁を殴っているようだった。
見た目が人間なだけで、完全な別の生き物ですね。アレは。
師は新生の魔術で体を作り替えた。恐ろしい人体実験だが、その成果もまた恐ろしかった。得体が知れない。あの莫大な魔力をどこから調達しているのか。自分には検討もつかない。
「腕を上げたね。マツサ。悪いけれど、私も生活があるから反撃させて貰うよ」
「随分と楽しそうな生活ですものね!」
反撃が来る前に、剣の魔術を解除。虹色の刃が砕け、周囲に散らばったかと思うと、マナールに殺到する。一つでも突き刺されば致命傷の攻撃だが、障壁を通ることはないだろう。
この攻撃は時間稼ぎだ。マツサは杖をしまい、地面を蹴って加速。マナールまでの距離を一気に詰める。更に両手の魔術具を起動。拳が魔力の光に包まれる。
魔術では勝ち目がないが、体術なら別だ。
マナールの身体能力は人間と同等。身体能力なら獣人の自分が圧倒的に上だ。そして、近接戦闘だけは、自分が師を上回るとはっきりと言えるものだった、
薄い籠手型の魔術具は、今日のために作った特別製だ。相手の防御魔術を解除することに特化した魔術を仕込んである。マナールの使っている魔術障壁もそれほど珍しいものではない。削った上で、一撃くらい入れられるはずだ。
「おや?」
「ふん! ふん! ふん! だああああ!」
勢いのついた拳を連続で叩き込む。そのたびに、障壁から白い光が散った。
魔術は効いている。一発殴る度に、障壁が削れる。いや、一枚砕けるが瞬時に新しいものが生み出されている。
「意外と怖いな!」
慌てたマナールが、障壁の向こうから魔術を放ってきた。ただの弱い魔力の矢だ。それも拳で迎撃。距離をとれば勝ち目はない。接近できているうちにどうにか障壁を突破しなければならない。
「でええええい!」
拳を連打する。動きは小さく、早く。威力は大事だが、それ以上に障壁を削る魔術を発動させるのが大事だ。
目の前だが、障壁越しのマナールが困った顔をしている。少し楽しくなってきた。あの顔に一発いれたら気持ちいいだろう。そのくらいしても許されるはずだ。あのまま、先生の世話をしていけると思っていたのに、何も言わずに置いていかれたのを思えば。
「だああ!!」
叫びと共に入れた一撃が、新たな障壁を砕いた。今度は新しいものが出てこない。
やっと品切れですか!?
あるいは、これ以上同じ事を繰り返しても埒が明かないと思われたのか。どちらにせよ、マナールと自分との間を阻害するものはなくなった。
本能的といってもいい速度で判断したマツサは、これまでで一番の速度でマナールの懐に飛び込む。近づいて一発殴れば、終わりだろう。あの体は魔力関係以外は普通の人間と同じようなもののはずなのだから。
確実に勝利に近づいている。そんな予感と共に最後の踏み込みを行ったマツサが聞いたのは、申し訳なさそうに声音の師匠の言葉だった。
「仕方ないな、これは」
直後、マツサの全身が衝撃に打ち付けられ、宙に舞った。
「……かっ」
回避する間もない。魔力の衝撃波。それも、マナールの全身から発された。まるで、自分を魔術の杖に見立てたような一撃だった。
攻撃に集中して、目の前にいたマツサには躱しようがない。
……なんとか、着地を。
空中で姿勢を変える魔術具を発動させ、地面に下りようとした瞬間だった。
今度は光輝く魔術のロープが次々に自分に襲いかかってきた。
拳で振り払おうとするも、あまりにも数が多かった。いつしかマツサはロープに拘束される。
防御魔術が……、展開できない?
まずい、と思った瞬間。マツサの体はそのまま地面に叩き付けられた。