第60話:潰えた夢
とりあえず、私は地下へと伸びる階段に向かって風の魔術で空気を送り込むことにした。状態は綺麗だが、ここが閉鎖された工房で、周囲が自然に飲み込まれていたのは事実だ。換気の仕組みも塞がれていて、中で呼吸できるかは怪しい。
「慎重に行動するんですね」
「念の為ですから」
そうこれは念の為だ。なぜなら、魔力感知したところ、人間らしい反応があったのだから。
恐らく、いや確実に、魔術師だろう。ナイレ嬢を亡き者にするために待っている刺客だ。我々の行動を監視して先回りしたのか、ここで待ち構えていたのか。もし後者ならなかなかの頑張り屋と言える。
「中に魔獣や毒蛇などがいると嫌だな。水とか火で掃除したいところですが」
「それはやめてください! 貴重な品が台無しに!」
ついでに刺客ごと倒せるナイスアイデアだったのだが、当然ながら否決された。
「では、気を付けて中を進んでいきましょう」
風の魔術を止めた。中に人がいるから無理にする必要はないだろう。向こうには私の存在を知られただろう。それが狙いだ。せっかくだから確保しておきたい。ベルウッド氏への土産だ。
それと、ナイレ嬢達にはこの件は秘密にしておく。刺客に会った時の反応を見てくれ、と言われているのだ。どうも、ナイレ嬢自体にもなにか陰謀が仕込まれていないかベルウッド氏は警戒しているようだった。
貴族間の権力争いは大変なもので、この機にベルウッド氏ごと亡き者にするのが狙いで、ナイレ嬢と護衛をしている老人が実は裏切り者。なんて想定までしているようだった。
この街に来て一番面倒な案件だ。割と本気で関わりたくなかった。
「……普通の工房のようですな」
階段を降りきった先の通路もまた、綺麗なものだった。白い壁に通路、扉は朽ち果てたのか無くなっているが、ご老人の言うように変わった所はない。
居住区と実験用の部屋、それと倉庫。工房に不可欠な防衛装置の方はどうかな?
「失礼。少し、工房内を調べさせていただくよ」
壁に手を触れて、詳細な魔力感知を行う。うまい具合に、壁に魔術印があった。しかも新しい。つまり罠だ。調べた上で無力化しておこう。
「マナール様は素晴らしい技術をお持ちですな。我が師を軽く超えているように見えます」
ニコニコとご老人に褒められた。この人、魔術師としての実力はそれほどではないはずだが、妙に察しが良いな。
「大丈夫。工房の魔術は使えないようです。それでも危険ですから、私からは離れないように」
いくつか仕掛けを見つけたのでしっかりそれを潰しておいた。いや怖い。そのままだったら、生き埋めにされるところだった。
「マナール様! 爺! なにか強力な魔力を感じたらすぐに教えてくださいね!」
ナイレ嬢が期待に満ちた声で言う。要望には極力答えるが、成果は望み薄だ。私の探知した範囲では、刺客以外の反応は何も無い。
それから数時間。我々は工房の中を彷徨った。
予想通り。何も無い。
「見事に何もありませんね」
「そうですなぁ……」
「まさか、これほど綺麗だとは思いませんでした……」
さすがに疲れたので何も無い部屋の一室で、休憩中だ。水と携行食を口にして、疲れを癒やす。ナイレ嬢もご老人も疲労の色が濃い。大樹境の中を歩いて即探索していることを考えると、とても頑張っていると言える。
「そろそろ、内部も探索しつくしてしまうと思うのですが」
「はい。ですが、次は期待できます。一番奥にある実験設備ですから。倉庫も機材も沢山あるし、何より最重要部分です」
手元の紙を見ながら自身を鼓舞していらっしゃる。この諦めない心の強さは本当に凄い。
「ところで、その紙はどなたが用意したものなのでしょうか? 察するに古文書をまとめたもののようですが」
ある意味、この工房跡よりも気になったのが、ナイレ嬢の持つ紙だ。かなり正確にこの遺跡のことが記されている。相当知識のある者がまとめたはずだ。
「これは私が古文書を解読しながら作成したものです。文書に関しては、少々得意なんですよ」
「お嬢様は大変利発でございますから」
横でご老人がニコニコしている。もしかしたら、物凄く勉学が得意ということだろうか。貴族間の権力争いに疎いように見えるが、それは育ちのためか、本人の性格によるものか……両方かもしれない。
「学者になると、とても良い仕事をなさりそうですね」
「そう志していたんですが、お家騒動で夢が潰えてしまいました」
「本当に残念なことで……」
心底悔しそうなご老人。権力争いから離れて、得意な仕事に打ち込む。ナイレ嬢なりにそんな生き方を考えていたのかもしれない。全部台無しどころか、命の危機に晒されているわけだが。
「まだ諦めるのは早いですよ。財宝というのは最後に見つかるものです」
立ち上がって手を差し出すと、ナイレ嬢は意外なほど強い力でそれを掴んでくれた。