第57話:出会い(カレー以外の)
今、私はかなり自由な状態になっている。理由は二つ、魔術師組合から仕事の依頼がない。それと、これまでの仕事で金銭的な余裕がかなりあることだ。
さすがに自宅をリフォームするのは不可能だけれど、普通に暮らす分なら相当な期間困らない。これも報酬を弾んでくれるベルウッド氏のおかげだね。
そして更に、今日はイロナさんが魔術機士の仕事で家にいない。なので、カレー屋に連れまわされる心配もない。
そんなわけで、私は街を散策することにした。主な目的は、カレー以外の美味しい店を発見することだ。イロナさんと出かけた時、さりげなく誘導しよう。カレーは美味しいけれど、毎回はちょっと困る。彼女にとっての外食はカレーと決まっているようだけど、世の中の人々はそうではないはずだ。
そんな思いとともに、町に繰り出した。仕事以外で一人で出かけるのは久しぶりだな。なんだか、わくわくする。
天気も良く、気温も程よいミュカレーの街角は快適だ。訪れた時ならともかく、今となっては道迷いを警戒しながら歩くこともない。なんだかんだで、仕事では結構移動しているのでね。
散歩がてらのお店探しをしつつ、良い印象を受けた建物を観察するのも忘れない。将来のリフォームに向けて知識を蓄える必要がある。ドア一つ、窓一つとっても家主の思い入れが詰まっている場合がある。
例えば、通り沿いにある小さな武器屋。ミュカレーは冒険者が多いので、武器を売る店が大通り沿いにある。別に中で鍛冶をしているわけでもないのに、むき出しの石造りに鉄製の窓枠で重厚な作りにしてある。扉も金属で補強されていて、鍵も二つだ。泥棒や強盗対策もあるのかもしれない。武器は高いし盗まれたら被害者が出るからね。
他にも宿屋は小綺麗な木組みで壁を白く塗られていることが多い。他の町に行った時はそんなことはなかったから、ミュカレー内の流行があったのかもしれない。
建物の佇まい一つで色々と考えられるものだなぁ。ワファリン氏の工房での勉強が、私の視点を変えてくれたようだ。有難い。
そんな風に街並みを楽しく眺めながらふらついているうちに、気になるお店を発見した。
一階が茶色いレンガ、ニ階部分が白く塗られた品の良い建物だ。
ドアの横にはカップとパンが意匠された看板がかかっており、ここが飲食店であることを教えてくれる。更に、ドアには小さな板がかかっており、「コーヒーとお菓子の店」と書かれ、メニューと金額が並ぶ。……お菓子の店といいつつ軽食がある。更にカレーがない。素晴らしい。
かなり長い時間歩き回って空腹を覚えているし、ここで昼食にしよう。
こういうのは巡りあわせだ。良い店なら幸運で、今一つなら笑い話にすればいい。
今、自分は普通の日々を過ごしているなぁ。満足だ。
そんな風に思った私は、ちょっとウキウキしながらドアに手をかけ入店した。
○○○
見た目と同じく、中も素敵な店だった。カウンターと六つほどあるテーブル席は明るめの色をした木材で作られていて、床や壁もそれに合わせた落ちつき過ぎない色合いでまとめられていた。魔術機の照明で明るく照らされた店内は、酒場ではなく飲食の店であることを主張しているようだ。
「いらっしゃいませ。メニューはどうしますか? お席までお持ちします」
どうやら先に注文してから席につく仕組みらしい。珍しくないやり方だ。柄の悪いのが注文もせずに居座ることがあるからね。
「コーヒーと、何か食事を……」
「今日のランチメニューがありますよ」
「では、それで」
注文を終えて、空いている席に座った。どうやらランチの時間を少し過ぎていたらしい。客は少ない。大分長いこと歩き回っていたようだな、私は……。
窓際の席に座ると、すぐに食事が運ばれてきた。香ばしい香りが漂うパンと、辛そうに味付けられた鶏肉、それと野菜が少々と水。コーヒーは食後らしい。悪くない。
「パンには切れ込みが入っていますから、全部挟んで食べてください。辛さは控えめなのでご安心を」
「承知した。ありがとう」
にこやかに去る店員さんを見送ると、さっそく遅い昼食にありついた。
うん。とても美味しい。今度さりげなくイロナさんをここに誘おう。メニューにカレーがないというのが特にいい。彼女は沢山食べるから量の面で不安だけど、デザートで何とか埋め合わせできるだろう。
「ほら見たことか、私のいった通り美味しいじゃない。こういうお店との出会いが街歩きの醍醐味なのよ」
「左様ですなお嬢様。しかし、初めての町で突然お店に飛び込んでいくのはやめてくだされ。じいの心臓が止まってしまいます」
「その程度で心臓が止まるものですか。噂の魔術都市なのですから、存分に楽しまないと」
食後のコーヒーを飲んでいると、隣のテーブルの会話が聞こえてきた。察するに、貴族のお嬢様だろうか。ミュカレーの外から来て街歩きというところか。優雅というか、冒険心があるというか。この辺りは高級な店が並んでいる通りというわけではないから、後者といえるな。
うん。それにしてもここのコーヒーは美味しいな。海外から少し前に入ってきたというこの飲み物。イロナさんは砂糖とミルクを沢山入れるが、私はそのままが好きだ。この苦みがいい。そういったら年寄り臭いと言われてしまったな。実際そうなんだが。
「もし、もし……。そちらの魔術師さん?」
「お、お嬢様っ。おやめください」
「いいじゃないの。そちらのローブの方、魔術師さんですよね?」
コーヒーを楽しんでいると、急に話しかけられた。すぐ隣のお嬢様から。
「何か御用でしょうか?」
返事をすると好奇心いっぱいに目を輝かせながら、お嬢様が近づいてきた。
「私、ナイレと申します。所用でこの町を訪れたのですが、魔術師の方を街中でお見かけするのは初めてでしたので、ご挨拶をと思いまして」
そう名乗ると、丁寧に一礼された。その所作があまりにも洗練されていて、釣られてこちらも頭を下げてしまった。
「マナールと申します。魔術師組合に籍を置いているちゃんとした魔術師ですよ」
「まあ。魔術師組合。運営に苦戦していると聞いておりましたが」
「最近頑張っているようです。それで、何かご用件でも?」
問いかけると、ナイレ嬢は笑顔のまま固まった。
申し訳なさそうにしつつ口を開く。
「申し訳ありません。おとぎ話から出てきたような魔術師さんがいたから、つい話しかけてしまいました」
「お嬢様、さすがに失礼ですぞ」
「構いませんよ。良い店に入れて楽しく思っていたところですから」
「失礼しましたわ。お詫びに何か……何かあるかしら?」
ずいぶんと人の良いことだ。私は全然気にしていないというのに。
「そうですね……。庶民向けでおすすめのお店があれば教えて欲しいです。どうもこの町はカレー屋ばかりで」
「カレーはこの街の名物ですものね。私、しばらく滞在しますので、良いお店を見つけたらご連絡致しますわ。街歩きが楽しくなりますね、爺っ」
「は、はぁ。そうですな」
隣にいるお年寄りは微妙な顔だ。若者の街歩きに付き合うのは大変だろう。程ほどにして欲しい。
「それでは、私共はこれで」
振り返れば短い会話を済ませるとナイレ嬢は流れるような動きで店を出て行った。支払いはしっかりお爺さんがしてから。
「…………」
急に静かになった席で、コーヒーを飲みながら、あることに気づいた。
連絡すると言っていたけれど、どうするつもりなのだろう?