第55話:向いてない男
この町に住んで一ヶ月以上経ち、わかったことがある。
どうやら、私は日常生活に向いていないらしい。それに気づいたのは、住ませてもらっている工房に全く変化がないからだ。ワファリン氏の家具を置いて以降、殆ど物が増えていない。もっとこう、お洒落に家具を配置するとか、家の周りを小綺麗にするとか、色々あると思う。
思うのだが、いざ何かしようと思うと、何も思いつかないのだった。
これも全て、『沈黙の塔』での生活が原因だ。魔術師にとっては最高の環境だったが、人間らしい生活を経験する機会は殆どなかった。いや、人によっては部屋を綺麗に整えたり、服装にこだわっていたな。
つまり、私に日常生活をする才能がないということだろうか。
そんなおぞましい結論に辿り着いた私は、信頼できる友人にして隣人であるイロナさんに相談することにした。
「なるほどぉ。そういうことだったんですね。朝ご飯食べてる時に深刻な顔をしだしたから、何か物凄いことが起きたのかと思いましたよー」
カレーをスプーンに乗せて口に運びながら、ほっとした様子を見せるイロナさん。ちなみに今日はバターチキンカレーの店に来た。お気に入りで私も三回目の来店だ。
「なんというか、自分のアイデアに具体性がないんだ。いい感じの部屋で暮らしたいなぁ、という思いはあるんだけれど」
「家具に調理用の魔術機なんかは置きましたけれど、あんまり出番がなさそうですもんね」
「まあ、ね。イロナさん達のお世話になっているからね」
現状、主に食事などはイロナさん達と共にしている。なので魔術機の調理器具の出番はないし、あまり物が増えない生活をしているので家具の中も賑やかにならない。
掃除はこまめにしているけど、引っ越した時からあまり変わっていないのが我が家の現状だ。
「たしか、リフォームのための資金を貯めてるって言ってましたよね?」
「そうだね。そのうち大きく内部をいじることになると思う。でも、その方向性が定まらないんだ」
「ふむふむ。すると、今のうちに練習も兼ねて色々考えるってことですね。そして、そのコーディネートをわたしに任せてくれる、と」
「い、色々と教えてくれると嬉しい」
イロナさんに全権を任せるのはちょっと怖いな。カレー用の設備とか作りかねない。いやでも、アルクド氏と暮らしている家の中は小綺麗かつ上品に収まっているから大丈夫なはずだ。ここは信じよう。
「こういうのはまず、プロに聞くのが一番です。マナールさん、ドワーフの職人さんとお知り合いでしたよね。そちらに行ってみませんか?」
イロナさんの口から出たのは、思った以上に現実的な提案だった。
◯◯◯
「こんにちは。ワファリン氏はお元気かな?」
「ん? おお、マナールさんじゃないか! いやあ、もっと頻繁に来てくださいよ。親方、あんたに会うと機嫌がいいんだから」
そんなわけで、私はイロナさんと二人でワファリン氏の工房に来たのだった。屋根も高く、敷地も広い作業所は相変わらず賑やかで活気に満ちている。
「こちらへどうぞ。すぐに呼んできます」
入口にいたドワーフに声をかけたら、なんだかとても歓迎された。部屋の隅に設けられた椅子とテーブルのスペースで待っていると、ワファリン氏がすぐにやってきた。
「おお、マナール! 久しぶりじゃないか! 元気にしてたか?」
駆け足で来たワファリン氏が笑顔で握手を求めてくる。それにイロナさんと応えると、すっかり元気な様子でどっかと椅子に座る。
「そっちの娘さんは、あの家の子だな?」
「ああ、イロナさんという。とても世話になっていてね、家のことで相談していたら、ここに来たほうがいいということになったんだ」
「あの家に何かあったのか? 頑丈そうだが、確かに古いからなぁ」
言いながら、弟子が慌ただしく持ってきたお茶をガブガブと飲み始める。私の隣のイロナさんがにこやかに話を始める。
「マナールさんの家をどうリフォームするか相談していたんですが、具体的な想像ができなくて」
「恥ずかしながら、ワファリン氏と家具を持ち込んだ時から殆ど変化がなくてね。何をどうすればいいかも検討がつかない」
私達の話を聞きながらお茶を飲み干したワファリン氏は「ふむ」と言ってから、立派なヒゲに手をやって十秒ほど考えた。
「二人共、家を建てた経験はあるか?」
「ないね」
「ないです」
「それじゃあ、仕方ねぇ。家を一軒建てるってのはな、決めることが沢山あるんだ。世の中、改築が趣味みたいな貴族もいるんだが、そうでもなけりゃ家やら部屋を大改造するってのは考えるのも難しいもんだ」
たしかに。私もイロナさんも家についての知識があまりにも乏しい。これは無謀な戦いに挑んでいたということか。
「こういう時は、その道のプロに聞くべきだと思ってきたんだけれど」
「正しい判断だ。二人にいいものを見せてやるよ。ついてきな」
言うなりワファリン氏が立ち上がりさっさと工房内を歩き始めた。私達も慌ててそれに続く。
何か見せてくれるのだろう。嬉しいが、仕事の方は大丈夫なんだろうか。そんな余計な心配をよそに、ドワーフは作業所の奥にずんずん進んでいった。
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