第54話:大変なおしごとの人
「なるほど。そんなことが。マナール様も災難でしたわね」
「そうなんだよ。見かけてしまった以上、見逃せないしね」
「それで、わたしの所ですか。察するに、情報をお求めということですね」
私は久しぶりにメフィニスの工房を訪れていた。
最初に来た時と印象がぜんぜん違う。エルフらしい、木材をふんだんに使った地味ながら清楚な建物の中庭で、ハーブティーを振る舞われている。
こうして来たのは、歓待を受けるためじゃない。今後のことを考えてのことだ。
ミュカレーの難題、公開したは良いけれど、やはり厄介だ。大抵のことは冒険者と魔術師が上手く対処してくれるだろうけど、悪いことになるといけない。
なので私は、情報を得る手段の相談に来たわけだ。
メフィニスはちょっと前までミュカレーでも有数の魔術師派閥を持っていた。情報網だって、かなりのものだったはずだ。
「……困りました。わたし、情報網の大半を手放そうかと思っているのですが」
「なんだって」
「いえ、これは道理なのです。今のわたしは第七属性に至るのを最優先している身。かつてのように派閥の維持管理に神経を尖らせる余裕はないのです。なので、最低限身を守る程度のものは残しつつ、情報網は縮小していきたいと思っていますの」
「……それは、私に反対する権利はないな」
そもそも、メフィニスに第七属性への道を示したのは私だし。悪いことをしないようにするための対応が上手くいっているともいえる。ここで手のひら返しのように「前のように頑張って情報収集しろ」と言うわけにもいかない。
「とはいえ、マナール様の仰ることもわかります。ミュカレーの治安悪化はわたしの探求にも影響しますので」
にっこりと笑っていうメフィニス。その目は輝いているが、どこか怪しい。何か考え……いや、企みがある顔だ。
「何か考えがあるということだね? あまり迷惑をかけるようなことは望ましくないと思うのだけれど」
「迷惑だなんてとんでもない。むしろ、泣いて喜んで感謝されるくらいですわ」
「感謝? 君は何を考えているのかな?」
「わたしの情報網を、適切な人物に引き継ごうと思います。優秀で、情報を喉から手が出る程欲しがっている所に」
なんとなくだが、その人物は災難だな、と思った。
◯◯◯
ミュカレー領主代理ベルウッドは最近ハーブティーに凝っている。少し前まではコーヒーという国外から入ってくる飲み物を愛飲していたのだが、最近は胃が受け付けなくなってしまったからだ。
しばらくは紅茶でごまかしていたが、それすら辛くなり、ハーブティーに落ち着きつつある。最近は薬草茶に興味が出て来たくらいなので、ある意味健康的な思考ではあるな、と本人は思っているくらいだ。
胃痛の原因はここ最近起きる難題の数々であり、それにまつわるトラブルであり、とにかく大変だ。考えることが多すぎる。
この日も、執務室で多くの書類を前に苦悩していた。魔術師組合が活発にできるようになって以来、出来ることも増えたが、その分見える問題も増えた。これがいいのか悪いのか。なんとも言えないが、ミュカレー自体の経済は活発になっている。
今こそ、自分の手腕が問われている。そんな自覚もまた、若くて小太りの領主代理を悩ませる原因の一つとなっている。
「ふぅ……困ったなぁ。『ミュカレーの難題』の話を聞きつけて、冒険者と魔術師が増えちゃってる。僕の予想より大分早いぞ。なにが起きるか想像もつかない」
冒険者組合と魔術師組合から上がってきた書類を見比べながらため息をついていると、扉がノックされた。
「なにかな?」
「…………」
返事がない。おかしい。家の使用人や関係者ならすぐに聞き慣れた声で返事が帰って来るはずなのに。
嫌な予感がしつつ、ベルウッドは若干震える声で再度問いかける。
「も、もしかして、お客様かな?」
「相変わらず察しが良くて何よりですね」
「………ぬあっ」
聞こえた声と、こちらの許可も得ないでドアを開いて入ってきた姿を見て、二重に驚いた。
見た目は美しいエルフだ。かつては禍々しく感じた全身の魔術印は失われ、今はゆったりした服から白い手が伸びている。
「メフィニス殿……何用で?」
「良いお話を持ってまいりました」
満面の笑みで言われた言葉に戦慄が走る。
この『万印の魔女』が持ってくる話がただの良い話であった試しがない。利益と同じくらい、苦労が伴うのだ。まるで、何かを得るためには犠牲が付き物だと言わんばかりに。
「よ、良いお話ですか。聞かせて頂きましょう。あ、今お茶を用意させますね……」
「ご安心を。今日はお疲れのベルウッド領主代理をねぎらうために、わたしが飲み物を用意いたしておりますから」
そういうと、室内のテーブル上にどこからか取り出したグラスを置き、そこにやはりどこかから出した陶器から飲み物を注ぎ始めた。
ドワーフの作だろうか、ガラス製の流麗なグラスに琥珀色の液体が注がれていく。
「怪しいものではありません。ヴェオース大樹境で取れた薬草を調合したものです。疲労回復を始め、特に胃腸の調子を良くしますの」
「……ほ、本当にただの薬草なのですか?」
近づいてじっと液体を見つめるが、特におかしな所は見当たらない。そもそも、ベルウッドごときにこの魔女の作るものの良し悪しなどわかるわけないのだが。
「ベルウッド、こと薬草に関しては、わたしは貴方に嘘をついたことがないはずですよ?」
「……そうでした」
これは本当だ。どうもベルウッドはこの魔女に気に入られているらしく、たまにこうした差し入れを貰うことがあった。本人としては当惑するばかりだが、これはメフィニスにとっても利益があるからこその行動だった。元気でいてくれた方が良い程度には、この領主代理は優秀なのだから。
「いただきます。……ふぅ。……なんだかもう胃の辺りがすっきりしてきましたな」
「そうでしょう。特別製ですから。それで、今日の要件ですが……」
来た。薬を飲んだ以上、拒否はできない。いや、彼女が現れた以上、ベルウッドには拒否できないような話なのだ。それがわかっているから、薬を飲んだ。最近は本当に辛いので。
「なんでしょう。僕にできることでしょうか?」
「わたしの使っていた情報網を貴方に引き継ごうと思います」
「……は?」
意味がわからなかった。脳が理解を拒否しているようだ。
「ですから、わたしが派閥維持に使っていた情報網。今は少し弱くなってしまっていますが、それを貴方に差し上げます」
とんでもない申し出だった。ミュカレー有数の魔術師が持っていた情報網を使わせると言っているのだ。実現したらとんでもないことになる。魔術師協組合が所有している通信魔術と合わせれば、有用にもほどがある話だ。
「…………それをやって、貴方にどのような利益があるのですか?」
それ故の問いかけだった。ベルウッドには有り難い話。だが、メフィニスにとっては自分の影響力を弱めるだけの提案に思える。
「わたしは魔術の研究に専念するので、情報網を維持するだけの余力がありませんから。貴方なら、使いこなせるでしょう?」
「……買いかぶりですよ」
「嘘ですよ。こうして何年もこの町で領主代理をできる者が、凡人であるわけがない」
否定しようとしたら、はっきりと言い切られた。ベルウッドとしては、精一杯頑張っているだけなのだが。
「わたしの望みは、平穏な研究環境です。貴方が情報を得ることで、ミュカレーの治安は安定しますからね」
「それはまあ、そうですが」
領主の役割なのだから当然だ。ちなみに、実はそう考える貴族自体がちょっと珍しいことをベルウッド本人は自覚がなかったりする。
「話は決まりですね。では、さっそく色々とお教えしましょう。しばらくは様子を見てあげますよ。ああ、それと薬も差し入れましょうか。きっと、色々あるでしょうから。人も紹介しますね」
「あ………いえ……う……」
笑みを浮かべて話を始めようとするメフィニス。それを見てベルウッドは一瞬だけ、話を打ち切ろうとしたが、どうにかこらえた。
自分としては断りたいが、ミュカレーと仕事のためには受けるしかない。
彼にはそれが痛いほどよくわかった。情報は今、自分が最も欲しているものだ。それを使いこなす苦労を負ってでも、手に入れなければならない。
「なにかありましたか?」
「いえ……宜しくお願いします」
色んな感情が混ざりつつも、領主としての悲壮なまでの覚悟を秘めた瞳で答えるベルウッドを見て、メフィニスは何度目かの満面の笑みを浮かべた。
この有能な領主代理を、『万印の魔女』はかなり気に入っているのだ。自分の立場と能力を考えて、逃げ出さない覚悟を持つ貴族。損ばかりしているが、それだけで終わらない男。率直に言って好ましい。
「では、授けましょう。わたしが作り上げた、この町の目と耳を」
悲壮な顔をして自分の言葉を待つベルウッドを見て、メフィニスは「たまりませんわ、この瞬間」などと思うのだった。