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うみコト!〈 第2部 〉  作者: こむらまこと
第2幕「ようこそ裏横浜へ!」
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2-6.「かまいたち」

 超高速回転する4つの円月輪(チャクラム)が、明の(やわ)い肉体を八つ裂きにせんと、高架下の広大な空間を踊り狂っている。

「失せろ!」

「ヒギャッ!」

 明は、性懲りもなく手を伸ばしてきた海河童の顔面を(したた)かに蹴り飛ばすと、背後から襲ってきた2つの円月輪をギリギリのところで追い払い、足元に注意しつつ隣のダルマ船に移動した。

(円月輪の相手もキツいけど、悪意を持っているだけに海河童の方がよっぽど危険だな。多少不安定でも、できるだけ川面から高さのある足場を選ぼう)

 息をつく暇もない円月輪との攻防により判明したのは、自力では円月輪を斬ることはおろか、掠ることさえ不可能ということだった。武術においては素人に毛が生えた程度の実力しか持たない明がどれだけ工夫を凝らそうと、あたかも磁石の同極同士が反発するかのごとく、円月輪は〈水薙〉の刀身を軽やかに避けてしまう。また、円月輪が反応するのは〈水薙〉だけではないらしく、円月輪同士が互いに衝突を避けて軌道を修正する様子も何度か見られた。

(多分だけど、ある程度は自律的な動作をするように仕込んであるのだろうな。どの時点で思いついたのかは知らねえけど、楽しんでやってるだけに(たち)が悪いぜ)

 明は、古びた釣り船に立つヘンリーを肩越しに盗み見た。

 遠目にも分かりやすい悠々とした男の佇まいに、明は軽い苛立ちを覚える。

(未だに逃げも隠れもしていないということは、俺が『人間』には攻撃しないと踏んでるのだろう。見透かされてるみたいでムカつくけど、その通りだよ)

 円月輪の撃破などというまどろっこしい事をせずとも、今すぐ釣り船に戻ってヘンリーに〈水薙〉を突きつけさえすれば円月輪の動きを止められるだろう事は、とっくに思いついている。それでも、公的機関において怪異や妖への対処を専門とする部署に務めている明としては、そのような安易かつ浅慮な手段は避けたかった。

 何故なら、ヘンリーが広い意味での人間だからである。 

(完全に怪異化しているとはいえ、相手は元人間だ。さっきの話し振りからすると、戸籍を持っている可能性すらある。刃を向けるのは、あくまで最終手段とするべきだ)

 となると、やはり円月輪そのものを無力化する以外に道は無い。そして、九鬼龍蔵や伊良部梗子のような優れた武術の腕を持たない以上、明が取りうる手段はひとつしかなかった。

「水薙」

 明は、見える範囲に海河童や他の妖が居ない事を確かめると、〈水薙〉を口元に寄せて小声で話しかけた。

「今から、手短に作戦を説明する。この作戦には、お前の力が必要だ」

 ひゅんっ。

 波型の刃を持つ円月輪が、斜め上方から急降下してきた。明は、一旦言葉を切って円月輪を遠くへ追いやると、ダルマ船や小型の舟を何隻か隔てた位置に浮かぶ比較的大きなダルマ船を目指して駆け出した。

 不安定に(かし)ぐダルマ船の舳先から舳先へと乗り移り、頭上を仰いで4つの円月輪の現在位置を把握すると、再び〈水薙〉を口元に寄せ、作戦の内容を端的に伝える。

「不動金縛法は知ってるだろ? あれを、韋駄天でやってみようと思う。前例は無いけど、俺とお前の力を合わせれば出来るはずだ」

 不動金縛法は、先輩である榊原楓が得意とする呪術のひとつである。不動明王と自己が同一の存在であると想念し、不動明王の力を自己のものとして行使するという難易度の高い術であるが、その分、その効力は絶大なものとなる。

 そして、明が今から試みようとしているのは、この不動金縛法を、天部の神・韋駄天で応用しようというものだった。人間の反応速度では触れる事すら叶わない円月輪も、俊足の逸話で名高い韋駄天の力を持ってすれば容易に打ち破れると考えたのだ。

 もっとも、この術の実現にはそれなりの時間と集中力が必要となるため、協力者の存在が必須条件となる。水晶に手出し無用と伝えている以上、明が頼れるのは水薙だけだった。

「よし。少し錆びついてるけど、強度に問題は無さそうだ」

 明は、目的のダルマ船に辿り着くと、見晴らしの確保も兼ねて、居住部分と見られる構造物のトタン屋根によじ登った。

 ギチギチと軋むトタン屋根の上で態勢を整えると、迫り来る4つの円月輪を見据え、引き続き作戦の要点を説明する。

「時間がかかり過ぎるから、今回は数珠も陀羅尼も使わない。お前には、野分の〈変質(オルタレーション)〉を解除した時みたいに、俺の霊力を極限まで引き出してほしい。遠慮は無用だからな」

 予想通り、水薙からの返事は無い。それでも、明は信じて疑わなかった。

 水晶と心を通わせ、自らの過去を手紙という形で詳らかにしてくれた水薙ならば、自分の願いを聞き届けてくれるに違いないと。

「ほらよ! これで最後だ! 俺をガッカリさせんじゃねえぞ!?」

 遠く離れたダルマ船の向こうから、ヘンリーのがなり声が聞こえてきた。

 直後、5つ目の円月輪が宙高く舞い上がり、他の4つと合流して絶妙に連携しながら、高架下の広大な空間を駆使して加速し始める。

 明は、〈水薙〉を上段に構えると、ひんやりとした金属製の柄を強く握り締めた。

「まずは、風天(ふうてん)の力で隙を作る。頼んだぞ」

 そう言い置くと、八方位と天地を守護する十二天のうちの一柱・風天の姿を観想し、瘴気に満ちた幽世の虚空を袈裟斬りにする。

「風天真言――『オン・バヤベイ・ソワカ』!」

 ごうっ!

 一陣の豪風が、川と高架に挟まれた狭い天地に巻き起こった。

「うわあ!?」

「きゃっ」

 あらゆる魔障を吹き払う神聖な風の威力に、川面にひしめく船たちはどよめき、5つの円月輪は遥か彼方の河口まで一気呵成に押し流され、水晶と少年も空中戦の中断を余儀なくされる。

「クソッ、なんちゅう風だよ!」

 ヘンリーもまた、激しく動揺する釣り船の上で怯んだ様子を見せたものの、それでも負けじと顔を上げると、狂犬の笑みで吠え立てる。

「馬鹿野郎が! どれだけ吹き飛ばそうと、大元をどうにかしない限り、お前は永遠に襲われ続けるんだよ!」

 ヘンリーの言葉通り、風天の力が弱まったと見るや、5つの円月輪は河口付近で二度、三度旋回すると、強力な磁力で吸い寄せられるように、凄まじい速度で川を遡り始めた。

 いくつもの橋を潜り抜け、おびただしい数の不法投棄船の舳先を掠めながら、5つの円月輪はみるみるうちに明との距離を縮めていく。 

 そんな中、明はトタン屋根の上に立ったまま、今度は〈水薙〉を下段に構えて完全に目を閉じていた。

 がら空きになった明の急所を狙って突進してくる5つの円月輪には頓着せず、頭の中で丁寧に真言を響かせながら、俊足の神・韋駄天の姿を観想する。



〈オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ〉



 瞼の裏に、甲冑に身を固めて宝剣を手にした武神の姿が浮かび上がってきた。

 霊力が(みなぎ)り、水薙の力と絡み合いながら身体の隅々にまで広がるにつれ、武神の姿はより鮮明になり、手を伸ばせば触れられそうな生々しい質感を帯びてそこに顕現する。

(韋駄天……)

 明鏡止水の境地の中、明は韋駄天と自己の同一化を、動的な心像(イメージ)によって成していく。

 己の手を。

 己の脚を。

 己の耳を。

 己の目を。

 己の心臓を。

 全てを委ね、溶け合い、梵と我はひとつになる。 



 シャララン……

 シャララン……



 涼やかな鈴の音が、彼方から響いてくる。

 小川のせせらぎに似た優しい音色が、慈雨のように降り注ぎ、あまねく世界を照らしだす。



〈スベテノマショウヲ ウチホロボスベシ〉



 無明(むみょう)が晴れ、あらゆる事象が解き明かされる。

 明はゆっくりと、その(まなこ)を見開いた。






 幽世の淀んだ川面に、5つの平たいリングがプカプカと浮いている。

(……何が起こった?) 

 少年の姿をした妖はハッと我に返ると、たった今目にしたはずの光景を必死で思い出そうとする。

(あの人間が、妖刀を下段に構えて動かなくなったところまでは覚えている。でも、その後の記憶がまるで無い。というか、そもそも認識出来ていなかったのか?)

 式神の少女の主である青年が、風天真言によって円月輪を吹き飛ばした後、妖刀を下段に構えて目を閉じたところまでは確実に記憶している。しかし、その後の事となると、どんなに脳味噌を振り絞っても、何ひとつ思い出せないのだ。

(人間の肉体には限界がある。幽世では現世よりも自由度の高い動きが可能とはいえ、視認出来ない程の速度で動くなんて、普通は無理なはず。だとすると、考えられるのは……)

 少年は、ダルマ船のトタン屋根に佇む青年に視線を戻した。

 妖としての長きに渡る生において、人間の術者たちが神仏の力を借りて怪異や妖と渡り合う場面は何度も目の当たりにしてきたし、その中には妖である自分を唸らせるほどに優秀な者も沢山いた。

 だからこそ言えるのだ。

 あの青年は、極めて異質であると。

「かまいたち」

 少年の口から、とある怪異の名前が零れ落ちた。

 領域を犯した人間を、つむじ風に乗って斬りつける怪異。

 無論、あの青年が怪異ではないことなど百も承知であり、「知らぬ間に斬られていた」という共通する事象から連想したに過ぎない。

 妖刀を右手でついて凛と佇むその姿は、むしろ――

「ほら! あなたも見てたでしょう?」

 式神の少女の溌剌とした声が、少年を現実に引き戻した。

「…………」

「へへんっ」

 少女は、小さな胸をエヘンと大きく張ると、眩しいくらいに誇らしげな笑顔を少年に見せたのである。

「我が主はね、とっても凄い御方なんだから!」

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