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うみコト!〈 第2部 〉  作者: こむらまこと
第2幕「ようこそ裏横浜へ!」
15/18

2-5. 船の墓場

 幽世(かくりよ)の川の水が、液状軟体生物(アメーバ)のような不気味な動きで明のスニーカーに覆い被さろうとしている。

「散開!」

 明は水晶に命令を飛ばすと、古びた釣り船から手近なダルマ船へと素早く飛び移り、躊躇いなく〈水薙〉を呼び出した。

「水薙!」

 明の呼び声に応じ、フルメタルのGショックとして右手首に収まっていた〈水薙〉が、青白い光を放ちながら妖刀としての本来の姿を取り戻す。

「おいコラァ!」

 見るからに尋常ならざる妖刀の出現に、ヘンリーが口から唾を飛ばしながら苦情をぶつけてきた。

「そんな規格外の武器を初っ端から持ち出すなんて、反則だろうが!」 

「悪いけど、出し惜しみはしない主義なんだよ」

 明はヘンリーの苦情をすげなくあしらうと、少し離れた空中で全方位を警戒中の水晶に向かって、堂々と伝達事項を叫んだ。

「水晶! 俺に万が一の事が起きたら、速攻で()()()に知らせてくれ! この場は俺と水薙だけで切り抜けるから、手出しは無用だ!」

「かしこまりました! 我が主よ!」

 明の意図を瞬時に汲み取った水晶は、力強い声で了承の意を返す。

「ケッ、自信満々で結構なこった」

 そんな2人のやり取りを見て、ヘンリーがつまらなさそうに舌打ちした。しかし、すぐに元の悪人面に戻ると、ビシッと格好をつけて明を指差す。

「良いだろう。そっちがその気なら、こっちも手加減無用でやらせてもらうぜ!」

 そう言って、くたびれたコートの内側に手を入れると、いつの間に忍ばせていたのか、ジャグリングで使う直径30cmほどの平たいリングを取り出した。

「よーく見てろ」

 顔の横にリングを掲げてニヤリと笑うと、反対側の手でリングの表面をスッと撫でる。

(あれは!?)

 象形文字にも似た独特な文様がリングの表面に浮かび上がるのを見て、明は我が目を疑った。

(妖狐文字だと!? しかも、あの字体って)

 妖狐文字とは、その名の通り妖狐の間でのみ用いられる文字である。地域や階級によっていくつもの流派や系統が存在するとされ、明の記憶違いで無ければ、ヘンリーが用いたのは五尾以上の妖狐にしか使用が許されない「葛ノ葉流」と呼ばれる流派の字体だった。

(それを、妖狐でもないこの男が何故?)

 明が唖然としているうちに、妖狐文字が刻まれたリングが陽炎(かげろう)のように揺らめき、禍々しいオーラを放つ円形の刃物へと変化する。

円月輪(チャクラム)!?」

「そーら、よっと!」

 ヘンリーは、出来たての円月輪を人差し指でクルクルと回すと、公園でフリスビー遊びでもするような軽いノリで投げつけてきた。

「ッ!」

 ブオンッ。

 とっさに避けた明の側頭部すれすれを、超高速回転する円月輪が大気を鋭く切り裂きながらすり抜けていく。

「どうだ、(すげ)えだろ!」

 ヘンリーが、鼻高々といった顔でふんぞり返った。 

「これはな、俺の65番目の女、五尾の常夏(とこなつ)から教わった技なんだぜ!」

「クソッ、またか!」

 狙いを外して失速すると思われた円月輪が、大きくカーブを描いた後、再び加速をつけて接近してきた。

 明は、不安定に揺れるダルマ船の上でどうにか体勢を整えると、〈水薙〉を上段に構えて円月輪を待ち受ける。

(よし、今だ!)

 間合いを見定め、超高速回転する円月輪を両断すべく、気合と共に〈水薙〉を振り下ろす。

「うおっ!?」 

 円月輪が、ふわりと〈水薙〉の刀身を避けた。

「つうっ……」

 勢い余ってもんどり打った明の首を、円月輪の凶悪な刃が無慈悲に引き裂こうとする。

 明は体勢を崩したまま、とっさに〈水薙〉を振り上げた。

 ヒュンッ。

 円月輪が、またもや〈水薙〉を避けた。

 明は急いで体勢を立て直すと、〈水薙〉を大きく振って円月輪を追い払い、くるりと背中を向けて他のダルマ船へと飛び移った。

(足場が悪過ぎる。作戦を練るにしても、もっと安定したところを見つけないと)

 円月輪が再びカーブを描こうとするのを視界の端に認めた明は、手頃な足場を見つけ出そうと必死に辺りを見渡す。

「ギャハハハッ!」

 釣り船の中で一部始終を眺めていたヘンリーが、腹を抱えて笑い転げた。

「おいおい、とんだへっぴり腰が居たもんだな! 伝家の()()が泣いてるぞ?」

 そのまま笑い転げた勢いで、ついさっきまで浸水していたはずの船底をダンダンと踏み鳴らす。

「ほら見ろよ! ()()()()幻術はだな、俺の298番目の女、女天狗(にょてんぐ)(すもも)から教えてもらったのさ! 足元が覚束(おぼつか)ないなら、いつでも戻ってきて良いんだぜ?」

「丁重にお断りさせてもらうよ!」

 大声で言い返しながら〈水薙〉を振って円月輪を追いやると、ヘンリーが立つ釣り船を数秒間だけ凝視する。

(見た目には、浸水は完全に収まってる。でも、とてもじゃないが近づく気にはなれないな)

 ヘンリーが明確に敵となったこの状況において、ヘンリーの口から出る言葉は全て疑ってかかるべきであると明は考えていた。それを踏まえると、今現在目にしている釣り船の光景こそが幻術であり、先ほどの浸水が未だに続いている可能性も充分に有り得るのだ。

 いずれにせよ、現段階で釣り船に戻るのは得策ではない。

「うおっ!?」

 別のダルマ船に飛び乗った明の足が、脆くなっていたトタン板の継ぎ目を踏み抜いた。

「くそっ……」

 即座に足を引き抜いて円月輪に向き直ろうとしたところで、踏み抜いたトタン板の隙間から低い唸り声が響いてくる。

 ぐるるるるる……

 直後、明の乗ったダルマ船がガタガタと激しく揺れ出した。

「!!」

 反射的にひとつ前のダルマ船に逃げ戻ったところで、獣のような咆哮と共に、ダルマ船の隙間という隙間から吸盤の付いた触腕(しょくわん)が飛び出してくる。

 ごおおおおおお……

 地の底から響くような低い咆哮と共に、何十本もの巨大な触腕が、平穏を乱した闖入者を捕えるべく船体や川面を激しく叩きながら暴れ狂う。

(この触腕は、タコじゃなくてイカだな。クラーケンの(たぐい)か?)

 (すんで)のところで触腕の魔の手から逃れた明は、円月輪の動向も意識しつつ、触腕の持ち主がダルマ船から這いずり出てきた場合に備えて、使えそうな真言の候補を頭の中に列挙しておく。

 しかし、明に迫り来る脅威はこれだけでは無かった。

「うわっ!?」

 突然、足首が強烈な力で掴まれた。

 見下ろした先には、頭に皿を乗せた小さな妖が、厭らしく笑いながら船の側面にへばりつき、今にも明を川の中に引きずり込もうとしている。

「海河童か!」

 明はその名を叫ぶと同時に、海河童の手首を〈水薙〉で峰打ちにした。

「ギャアッ!」

 海河童が、だらしない悲鳴を上げて明の足首から手を離す。

「ギギ……」

 海河童は、赤く光る目で憎々しげに明を睨みつけると、手首を抑えながらすごすごと川の中に退いていった。

「地味に痛えな……」

 明は、スボンの裾を捲り上げて生々しい痕がついているのを確認すると、海河童の赤く光る目を思い返して表情を険しくする。

(あの海河童、悪鬼化してたな。あそこまで酷いのは、(おか)でだってそうそう見ないぞ)

 明は、円月輪に向かって再度構えをとると、暴れ狂っていた触腕がダルマ船の中に引っ込んでいくのを横目で見つつ、この川の幽世が覚悟していたよりは穏やかである理由について考察してみる。

(あの触腕については何とも言えないけど、悪鬼化した海河童があんなにあっさり引き下がるのは意外だったな。それだけ、水薙の力に恐れをなしたって事か)

 明は、首を動かさずに視界内の光景にさっと視線を走らせた。

 この川の幽世について明が知っている事は、それほど多くはない。ダルマ船を始めとした大量の不法投棄船が流れ着いている事と、その不法投棄船に、これまた大量の怪異や妖が棲み着いている事。それ故に、川の両岸には特殊な結界が構築されている事。そして、地元の関係者たちからは「魔窟」、あるいは「船の墓場」と呼ばれている事くらいである。

 そのような場所に生身の人間がふらりと迷い込もうものなら、血肉に飢えた怪異や妖たちにあっという間に囲まれて、髪の毛1本残さずに喰い尽くされてもおかしくないはずだった。

(それでも、あの海河童以外は全然襲ってこないということは、水晶と水薙を警戒しているからとしか考えられない。連中の気が変わらないうちに、とっとと決着をつけねえと)

 明は、〈水薙〉を握る手に力を込めて円月輪を正視すると、(つね)のように厳かな声で真言を唱えようとする。

 そこへ、ヘンリーの間延びした声が割って入ってきた。

「なんだよ、誰も船から出てこねえじゃねえか。これは予想外だったなあ」

 ダークブロンドの髪を掻きながら眉根を寄せてボヤいていたヘンリーだったが、やがて、そろりとコートの内側に手を入れると、平たいリングを4つも取り出した。

「まあ、それならそれで、難易度を上げてやるだけだけどな!」

「おい、まさか」

 明が止める間もなく、ヘンリーの手の中に2つ目の円月輪が出現した。

 あろう事か、その刃は草刈機の刈刃のようなノコギリ状になっている。

「ふざけんじゃねえよっ!」

「スリル満点の大攻防、期待してるぜ!」

 ヘンリーは悪巧み顔で舌なめずりをすると、ノコギリ状の円月輪を思いっ切りぶん投げたのだった。





 おぞましい形状をした円月輪が自分の主に襲いかかる光景を前に、水晶は平静を保ったまま、ひたすら周囲の気配を探り続けていた。

(誰かが、私を見ている。大勢の怪異や妖たちの気配に紛れて、少しずつ巧妙に、私に近づいてきている)

 その時、水晶の首筋に、極小の針でチクリと刺したような小さな違和感が走った。

「そこにいるのね!」

 身を翻すと同時に、自分に向かって投げつけられた丸い物体を、オオミズナギドリの力強い翼で薙ぎ払おうとする。

 べちゃっ。

「……泥団子?」

 水晶に向かって投げられたのは、やや水分が多いだけの普通の泥団子だった。

(妖力もほとんど感じられないし、本当にただの泥団子だわ。どうして、こんな意味の無い攻撃を?)

 自分の翼にべっとりと付着する泥汚れを見て、水晶は戸惑いを感じる。 

 すると、泥団子が飛んできた方向から、少年の声でせせら笑いが響いてきた。 

「へへっ、ざまあねえぜ」

「あなたは!」

 ダルマ船の影から出てきた妖の姿に、水晶は即座に迎撃態勢を整える。

 その妖は、水晶と同じくらいの背丈をした少年の形をとっていた。シルバーチェーンとベルトが付いたV系の服装に、黒と白のツートーンカラーの長髪。そして、青緑色の瞳の奥に見え隠れする、獣の本性。

 少年の正体が何かなど、考えるまでもなかった。

「お前さ、マジのマジであれを主とか呼んでるわけ?」

 少年は、水晶の威嚇を完全に無視した。

 代わりに、円月輪の攻撃を必死で躱す明をクイッと親指で示すと、子供らしいぷっくりとした頬を子供らしからぬニタニタ笑いで大きく歪める。

「動きもトロいし、顔もイマイチだし、おまけに服もダッセェときた。仕える相手を考え直すべきだと思うぜ?」

「なんですって!!」

 少年による手酷い侮辱に、水晶は全身が燃え盛るような激しい怒りを覚えた。

(よくも、私の大切な御方を!)

 カッと頭に血が上り、衝動的に術を発動させようとする。

 しかし、少年のニタニタ笑いが更に深まるのを見て、水晶は間一髪のところで式神としての理性を取り戻した。

(そう。そういう魂胆なのね)

 水晶は、何事もなかったように術の発動を収めると、冷静な眼差しで目の前の少年を観察する。

(実力では叶わないから、計略で私の怒りを誘発して、どうにか自分に引きつけようとしている、というところかしら)

 水晶は、明からの伝達事項を思い返した。少年もあのやり取りを聞いていたとすれば、水晶が「依頼主」の元へ向かう事は何としても阻止したいはずである。逆に、水晶が明に加勢する展開も避けたいはずで、そう考えると、少年の幼稚じみた振る舞いは彼らにとっての最適解ということになるのだろう。

 だとすれば、それはとてつもなく滑稽であると水晶は感じてしまう。何故なら、どちらの展開も起こり得ないからである。

(だって、明様があの程度の攻撃に負けるはずがないもの。私が加勢するなんて、もっての(ほか)だわ)

 明が、自分の仕える主が、肉体を持つ人間としての限界の中で、迫り来る魔障を打ち破るべく死力を尽くして闘っているのだ。そこへ、水晶が力を貸そうものなら、明の努力を、想いを、全てをひっくるめた価値を、何もかもを毀損する事になってしまう。

 今、自分がなすべき事はただひとつ。主が自分の闘いに集中できるように横槍が入るのを何としてでも防ぐ、それだけである。

「やっべ、もしかして図星だった?」

 黙りこくってしまった水晶を前に、調子を良くした少年が鼻歌交じりにひらひらと舞う。

「そういや、知ってるか? 田んぼの泥って、虫の死骸とか鳥のフンが混ざってるんだぜ!」

 少年はどこからともなく新たな泥団子を取り出すと、これ見せよがしに手のひらの上で転がした。

「さあて、次は避けられるかなあ?」

「…………」

 水晶は、泥団子を一瞥した。式神としての優れた鑑識眼を持つ水晶の目には、泥団子が同じ空間に3つ重なっていることが容易に判別できる。とはいえ、自分がそれを認識可能である事実を少年に伝えるつもりは毛頭無かった。

(良いわ。明様が決着をつけるまで、せいぜい遊んであげるから!)

 水晶は、円月輪に立ち向かう明を一度だけ振り返ると、まるでごっこ遊びのような空中戦へともつれ込んでいった。

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