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うみコト!〈 第2部 〉  作者: こむらまこと
第2幕「ようこそ裏横浜へ!」
14/18

2-4. ようこそ裏横浜へ!

 氷川丸の前を通り過ぎ、山下公園の南側にそびえ立つマリンタワーを尻目に公園内を西方向へ突っ切ると、山下埠頭や本牧埠頭、ベイブリッジへの分岐が並ぶ複数車線の巨大な交差点に出た。

「どこまで行くんだ?」

「すぐそこだから、黙ってついてこい」

 長い横断歩道を渡り、首都高速道路の高架を(くぐ)る橋の手前で左に曲がると、釣り船や防波堤渡船(とせん)が係留された小さな船着き場が見えてくる。

「ここだ」

 ヘンリーが、川と歩道を隔てるフェンス扉の前で足を止めた。

 その途端、ただでさえ厳しい表情をしていた水晶が、敵意を剥き出しにしてヘンリーを睨み付ける。

「この場所!」   

「一応説明しておくとだな」

 対するヘンリーはというと、式神の少女による「可愛らしい」威嚇などどこ吹く風といった様子で、何重にも巻かれたチェーンをのんびりと外していく。

「所有者の許可は得ているし、なんなら小型船舶の免許だって持ってるからな。疑うなら、後で当局に照会してみろよ」 

 どうでも良さそうな顔で話しながらチェーンを引き抜いて解錠すると、錆びついたフェンス扉を開けて船着き場へと続く階段を降り始めた。

 1人分の幅しかない狭い階段の先には、船外機(エンジン)と生け簀が付いただけの古びた釣り船が、ぽつねんと係留されている。

「よっと」

 ヘンリーは釣り船に飛び乗ると、大道芸の道具を詰め込んだバッグを船尾に降ろした。それから、係留索(ロープ)を手繰り寄せて釣り船を岸壁に寄せると、階段の上で立ち止まったままの明と水晶に胡乱な視線を向ける。

「どうした、乗らねえのか」

「いや、乗らせてもらうよ」

 明は、自分を引き留めようとした水晶を目だけで制すると、すたすたと階段を降りて釣り船に乗り込んだ。

(船体や船外機の状態からして、それなりの頻度で使ってるか、少なくとも定期的な手入れはしているみたいだな)

 船外機のカバーを外して出航の準備を進めるヘンリーを観察しながら、船尾にいるヘンリーが常に視界に入るように斜め後方を向いた状態で舳先に腰掛け、水晶にも自分の隣に座るように指示をする。

 水晶が明の隣にちょこんと腰掛けたところで、ヘンリーが明に頼み事をしてきた。

(ワリ)いけど、解らんしてくれねえか」

「分かった」

 明は素直に頷くと、船の縁から手を伸ばして係留索を解らんし、ついでに岸壁を強く押して船を離した。

 係留索を丁寧に束ね、収納してから水晶の隣に戻ると、待ちかねていたようにヘンリーが船外機を始動させて釣り船を発進させる。

「ライフジャケットなんて小洒落たもんはねえけど、大目に見てくれや」

「今は業務外だし、つべこべ言うつもりはねえよ」

「へえ。案外、大らかなんだな」

 互いの腹を探り合うように会話する間にも、古びた釣り船は船外機の駆動音を響かせながら、元町と中華街の間を流れる川を遡っていく。

 明は、ヘンリーの姿が視界から外れないように注意しつつ、両岸に並ぶ雑居ビルや、川の上空を覆う首都高速道路の高架を眺め渡してみた。

(観光の中心から少し離れただけで、全然雰囲気が違うな)

 コンクリートで護岸された、用水路のような垂直な法面(のりめん)に、鯉が泳げる程度には綺麗な水質。陽光の大半は川の真上を走る高架に遮られ、異国情緒漂う洗練された観光地の要素は微塵も感じられない。

(観光地なんて、大体どこも表の顔と裏の顔を持っているものだろうけど、横浜の場合はこの差が極端過ぎる気がするんだよな)

 開国以来、この国の発展を支え続けてきた国際貿易港を有し、近年では観光都市としても進化をし続けている横浜の、表と裏。光と影。あるいは、虚飾と実像。日本大通りに赤レンガ倉庫、山下公園と、横浜を代表する華々しい観光名所をひと巡りしてきた直後なだけに、この落差は一層際立って見えてしまう。

「お前さ、ここがどういう場所なのか知ってるか?」

 河口から数えて3つ目の橋の下を潜り抜けた後、無言で船外機のハンドルを握っていたヘンリーが、藪から棒に問いかけてきた。

 明はヘンリーの方に顔を向けると、言葉を選びながら慎重に回答する。

「俺は、元々こっちの人間じゃないからな。仕事でも、基本的には(おか)の事案には関わらねえし」

「ふうん、そんなもんか」

 上空が、ふいに明るくなった。

 首都高速道路の高架が一時的に川の真上から外れた事により、束の間、川全体が穏やかな秋の日差しに包まれる。

 明は、怪しまれない程度にヘンリーの顔立ちを観察しながら、ヘンリーの実年齢について考察を試みようとした。

(見た目だけなら、俺よりひと回りは年上に見えるけど。でも、怪異化した人間の外見年齢なんか当てにならないし、考えるだけ無駄か)

 そこで今度は、ヘンリーの日本語の流暢さから、おおよその実年齢を推測してみることにする。

 何度か短いやり取りをした限りにおいては、ヘンリーの操る日本語には全く違和感を覚えなかった。長時間話し込んだ場合には何かしらの不自然さが表出する可能性も考えられたが、それを差し引いても、ヘンリーという男の日本語能力は熟練の域に達しているという印象を受ける。

 もっとも、ヘンリーが日本生まれの日本育ちだった場合、この推理は完全に的外れなものとなってしまう。ヘンリーが異国の出身であるというのは何ら根拠の無い前提、もっと言えば思い込みに過ぎず、国際交流の盛んな現代において、外見的特徴だけで相手の出自を決めつけるのは極めてナンセンスだろう。

 そう思い直した明は、ヘンリーの実年齢を考えるのをすっぱり止めたのだった。

(結局のところ、現時点で確実に言えるのは、盛岡の出身で横浜には去年引っ越してきたばかりの俺なんかよりも、この男の方が遥かに横浜の街に詳しいという事だけなんだよな)

 上空が、再び薄暗くなった。

 首都高速道路の高架が元のように川の真上を覆い、どことなく陰鬱な雰囲気が川全体に漂い始める。

 そして、それを待っていたかのように、ヘンリーが再び口を開いた。

「そんな青二才にひとつ、この街の歴史について話してやろう」

 言うや否や、船外機を手際良く操作して動作を停止させると、船の航行を完全に止めてしまった。

 船外機のいがらっぽい駆動音が消失した事で、周囲には静けさと、遠い喧騒が戻ってくる。

「歴史というと、この川に関係する事か?」

 明は、ヘンリーの不可解な行動にはあえて反応しなかった。出航からこの方、微動だにせずにヘンリーを監視し続けている水晶の様子に気を配りつつ、落ち着いた口調でヘンリーとの会話を進めていく。

「川というか、船の話だな。お前さ、ダルマ船って聞いた事あるか?」

「……いいや」

「へっ、正直で結構なこった」

 ヘンリーが、船外機のハンドルから手を離した。

 両手を身体の横について息を吐くと、在りし日の記憶を懐かしむように目を細める。

「ダルマ船っつうのは、(はしけ)の別名みたいなもんだよ。貨物船と船着き場との間を行き来して積荷を運ぶ、あれの事だ。最近は、とんと見なくなっちまったけどな」

 艀は、大型の貨物船が着岸できない港や河川において運航される、推進器を持たない平底の船である。用途や使用場所によって大きさは様々で、タグボートなどの引き船で曳航して使用する。水深の浅い海や河川も航行できるという利点により大量の積荷を内陸部に直接届ける事が可能となったため、川岸には問屋街が形成され、一時は繁栄を極めたという。

「横浜に限った話でもねえんだが、ほんの数十年前までは、ハシケ運送業に携わる港湾労働者が大勢いた。そいつらの多くは土地を持たない元農民だったからよ、ダルマ船をそのまま家にして、川の上で水上生活を営んでいたんだ」

「家って、まさか家族も一緒に住んでたのか?」

「ああ。今の常識じゃあ、とても考えられないだろうがな」

 そう言って明の顔を一瞥すると、ゆるやかな川の流れに視線を移す。

「だが、時代は移り変わり、大型船が着岸できる近代的な埠頭の建設や、コンテナ輸送システムの登場で、ハシケ運送業者はお役御免になっちまった。ダルマ船も水上生活者もみるみるうちに数を減らし、往時の賑わいは見る影もなしというわけさ」

「そうか、そんな歴史があったんだな」

 ヘンリーの話に、明は感傷と冷静さが入り混じったような複雑な気持ちで相槌を打った。

 海上保安官という、海の安全を守る事を使命とする職に就いている人間からすると、ダルマ船を住居とする水上生活は、とりわけ子供にとっては危険だっただろうという感想が真っ先に浮かんでしまう。とはいえ、ダルマ船での暮らしという特殊な環境でしか得られない経験や感情もあったはずで、それを現代の価値観に基づいて一概に否定することは、少なくとも明にはできなかった。

「そいじゃ、この街についての理解がほんのちょびっとだけ深まったところで、とっておきのクイズを出題してやるとするか」

 ヘンリーが、一転しておどけた口調で喋り出した。それによって、古びた釣り船に漂い始めていた湿っぽい空気が綺麗さっぱり吹き払われてしまう。

 ヘンリーはゆらりと立ち上がると、芝居がかった仕草で大きく両手を広げた。

「今し方説明した通り、コンテナ時代の到来によってハシケ運送業の需要は急速に衰退し、水上生活者の多くは川を去っていった」

 語りが進むにつれ、どこか郷愁を誘うような甘ったるい匂いが、都市部の川特有の生臭い空気中に混じり始める。

「その結果、この川の河口には、不法投棄されたダルマ船が大量に溢れ返る事となったわけなんだが……」

 ヘンリーは一旦言葉を切ると、顔の横で人差し指をピンと立てた。

「さあて、その不法投棄された哀れなダルマ船たちは、一体どこへ消えたと思う?」

「……普通に考えれば、行政が撤去したのだろうけど」

 明は、すっくと立ち上がった。水晶もまた、ピンク色をした海鳥の脚で船底を強く蹴ると、オオミズナギドリの力強い翼を広げて臨戦態勢をとる。

 明は、小さく首を傾げてガンを飛ばすと、古びた釣り船の中にドスを利かせた声を放った。

「いいから、その答えを()()()みろよ。何を企んでるのか知らねえけど、気が済んだら、さっさとカササギのところに案内しろ」

「なんだよ、やっぱり知ってるじゃねえか」

 ヘンリーはやや不満そうに唇を尖らせると、パチンと指を鳴らした。

「!!」

 明の視界が一閃し、周辺世界は一瞬のうちに現世(うつしよ)から幽世(かくりよ)へと切り替わる。

「これは……」

 むせ返るほどに濃厚な甘ったるい大気が顔を覆う中、明はその目を大きく見開いた。

 コンクリート護岸の殺風景な川の景色は、最早そこには無かった。代わりに、トタン板の構造物を載せたおびただしい数の船が、異様な気配を放ちながら、川の上流から下流までを所狭しと埋め尽くしている。

「これが、ダルマ船……」

「こんなに沢山……」

 明も、それから水晶も、何百隻ものダルマ船たちが狭い川面にひしめく圧巻の光景に、しばし見入ってしまう。

「ハハッ! どうだ、驚いたか?」

 ヘンリーが、さも愉快そうな笑い声を響かせた。それから、唇の前で人差し指を立てると、秘め事を明かす時のように声をひそめて囁きかける。

「だが、本当に驚くのはここからだぜ?」

「我が主よ!」

「ッ!!」

 水晶と同じくして、明も異常を察知していた。

「水が……!」

 古びた釣り船が、いつの間にか浸水し始めていた。

 明たちが見いてる間にも、水位はじわじわと上昇し、明の足元を今にも濡らそうとする。 

「聞いて驚け、見て笑え!」

 ヘンリーが、舞台役者にでも成り切ったように、溌剌とした声を張り上げた。

 癖のあるダークブロンドをキザったらしく掻き分けると、自信に満ち溢れた眼差しで明を見据える。

 そして、明の思考を見透かしてでもいたように、自身に関する秘密を意気揚々とひけらかしたのである。

「俺はな、200年以上の長きに渡って、この国に住み続けている。つい最近まで学ラン着てお勉強をしてたお前とは、人生経験が段違いなんだよ!」

「200年!?」

 衝撃の事実に、明は思わず上擦った声を出してしまう。

(200年前というと、開国から更に数十年は遡る。そんなに昔から、この国に!?)

 明は、信じ難い思いでヘンリーを凝視した。

 対するヘンリーは、とっておきの悪巧みをしている悪党のような笑顔で、明を挑発する。

「教えてやろう」

 灰色がかった青い瞳が、水を得た魚のように生き生きとした輝きを放つ。

「東の果ての不思議の国で、俺がどのように生き延びてきたのかを」

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