最悪の転
「おい石和、下校時間だぞー」
担任の声がして目が覚める。
なぜか化粧をしてこないうちの担任は、六時半になるとこうして教室の様子を見に来る。
「今日は一人か。珍しいね。大勢か、それか鎌田といると思ったよ」
「功と残ってることはない。あいつはすぐ帰るからな」
「ふうん、それで、どうしたんだ? 一人で残って」
彼女は教卓に上半身を乗せ、足を浮かせた。苦しそうに「ぐぐぐ」と言う。
自分で乗ったんじゃないか、と俺は思う。
「女の子に振られた」
「なんだそれ! おもしろそうだな、話せ!」
担任はさらに身を乗り出し、教卓は後ろ足を上げて前に斜める。
「おおっと・・・・」
間一髪、床に足をついて転倒を免れた。
「いやだよ。だって先生面白がってツイッターとかに書き込むでしょ」
「まてよ、確かにこんなキャラでやらせてもらってるけどな? 私のことなんだと思ってんだ?」
俺が本気で言ったことに担任は突っ込む。
「話すとしてもうちの家族団欒くらいにしてやるから、言ってみなよ」
「先生が、他の教師相手だと後輩キャラ演じてかわいがってもらおうとしてること、とかもうちの家族団欒の話題にしてもいいですか?」
「やめてほしいです」
彼女は「話す気はないか・・」と残念そうにする。
「ないです」
「じゃあ女の子に振られた君に、助言をあげよう。私は女の子に振られて、すぐ次に行くやつが一番嫌いだが、女の子に振られてへこたれてるやつが二番目に嫌いだ。一番嫌いなヤリチンはまだ私の周りにはいない。だからこのままだと、私に一番嫌われることになる。嫌われたくないだろ?」
「別に」
「黙れ」
機嫌の決して良くない詩の、機嫌相応の返事に彼女もまた気分を害する。
強い圧の込められた一言に、思わず「はい」と声が出る。
「お前はさ、もっと好きなように生きるべきなんだよ」
「はあ?」
心外である。思わず喧嘩腰な声が出た。
自分勝手に生きてきたが故、彼女に目を付けられ、嫌われ、俺は彼女を好きになったのだ。
「石和、お前な、好き勝手にやってるつもりかもしれないが、それで何か得をしたことがあるか? 自販機で拾った百円くらいのもんだろ。つまりはそういうことなんだよ」
彼女が何を言っているのかさっぱりだった。
「意味が分からん」
「お前の突飛な発想と外れてる頭のタガに『打算』を入れればお前は文句なしの腹黒になれるのにな・・」
『打算』か。
「別に腹黒になりたかないっすよ」
「腹黒とは言わんけど、お前はもうちょっと自分が得することをするべきだな。例えば女にフられたのなら、その女を落とすために手を尽くすんだ。まるで自然にそうなったかのようにね」
『まるで自然にそうなったかのように』彼女に順応する。とはなかなか悪い考えではなかったが、「でもさ・・」と俺は返したが、彼女は分かったように俺を諭す。
「人の打算なんてな、案外誰も気にしてないし、悪く思わないもんだぜ?」
「俺はそのかっこいい先生口調が少し不快ですけどね」
「え、嘘??」
心の芯からショックを受ける彼女には、少し笑えた。
>>>>>>
「『打算』と、そう言われたのか?」
電話越しに功は聞き返す。
「そうだ」
「あの教師のことは気にするな。あれはバカちんの匂いがする」
・・・・・・・・・・
じゃああの会話は何だったんだ・・・・
まさかフラれるとはな。功は心底不思議そうに呟く。
傷心であったために詩の心に中々響いた言葉たちを全否定し、功は友人のお悩み解決に頭脳を使う。
「お前さ、椿紅さんのこと大好きなんだろ?」
「はあ・・? え、ええっと、うんまあ、あー、うん。うん。」
こんなことを聞かれるとは思ってもみなかったため、焦る。
「じゃあさ」功は誰もいない部屋で、白い歯を覗かせて言う。
「もう他のこと、どうでもいいんじゃないか?」
「なにいって・・」
もうどうでもいい、ってどういうことだろうか。
何か通ってはいけない、圧倒的近道を見つけ出せる気がした。
「その話、詳しく」
「自分で考えろよ」
・・・・
「ふざけんな教え・・」
すぐに言い返すと、俺の言葉を遮るように、彼はもう一言放った。
「それくらい」と。
「どうなってもいいんだな?」
ヤケになって俺は奴に言ってやる。
「ああ、かまわないよ。すごく楽しいと思うから」
「楽しいのは見てるお前だけだろうが」
いいや、と功は少し笑いながら返す。
「約束する。僕よりお前のほうが楽しむだろうな」
電子音が鳴り、通話が切られる。『じゃあな』の一言もなしに通話を切るのは失礼なのではないだろうか。
・・・・『どうなってもいいんだな』か。
「一体俺はどうしたいのやら」
自らが宣言したことに、やれやれ顔をし、一息ついてベッドから立ち上がる。
特に考えがあったわけではないが、俺は姉にメッセージを送る。
〈悪いことをするとき、楽しさとリスク、何:何だ?〉
返事はすぐに帰ってくる。彼女は今、授業中のはずだ。
〈5:5〉
『姉からの着信』
表示していた画面の上に乗りあがってくる。
「姉ちゃん今授業中だろ?」
「ああ、授業中だ。クソみたいにつまらないがな」
姉は小声で愚痴を言う。
「それより詩、私はそれが絶対に面白いと言い切れるなら、3:7でも絶対にやるね。5:5と、3億:7億じゃ話が違うだろ?」
「姉ちゃん・・・・」
俺が感極まって彼女の名をこぼすと、「礼はいらないぜ」と姉は変わらず小声で言った。
「数学出来るようになったんだな・・・・」
・・・・
「おっ前詩!! 姉ちゃんだってな、それくらいの計算できるんだからな? ばっかにすんなよボケ!」
「ーー ・・おい石和! もういい大人なんだから授業中くらい静かにしろ! 携帯は没収だ」
通話は切れる。
「この通話は間違いなく1:9だな」
『功からの着信』と画面に表示される。
「なんだよ」
「お前さ、椿紅さんのどんなとこが好きなの」
突然のコイバナ口調にうろたえる。
「なな、なんだよ急に、何でもいいだろ」
「いやいや僕たち芯は腐ってても高校生だろ? 気になることくらいあるって」
「誰が『芯は腐ってる』だ。分かったよ、答たえりゃいいんだろ・・・・? なんか一緒にいると、なんていうんだろう、例えるなら、パチンコでその日初めてのリーチが出たときみたいな気持ちになれる、って言えばわかるかな・・・・」
「芯から外まで腐ってんじゃねえか。わかんねえし」
「答えてやったのになんだよ・・なんだかぎゅっと体の密度が上がる感じというか、なんというかとにかくハイになれるんだよな。なんか爆発しそうになるんだよ。臓物が。って何言わしてんだよ」
詩はもじもじと、顔を赤くして突っ込むが功はもともとキリっとした顔の堀を一層深くして。
ピュアすぎてキモイし表現もキモイ・・・・
「ああ、よくわからんが聞きたいことは聞けたような気がするよ。じゃあ頑張ってくれ」
「がんばるよ。何と引き換えるかはまだ分からないけど」
「いい結果になるといいな。僕にとって」
「どういうことだ」と小突いて通話を終了する。
裏のひとつもない、面白くなればいいという願望。
>>>>>>
なぜ私が目をつけられているか、理由はある。
私の方から目をつけたのだからこちらも睨まれるのが筋である。
ただそれだけなのだろうか。『違うのではないか』と思い始めたのは最近のことだ。
石和は私を避けている。間違いなくあの日。お互いに何となく違和感に気づいた雨の日だ。
彼は何か私に言った。何を言ったのかは分からない。
今、目の前にいる問題児二人が私に連呼している言葉と、何かつながりがあることを私は知っている。
それをどうやっても理解できないであろうことも、何故か知っている。
私がいちばん知りたいこと。
「こいつ何回やっても同じ反応するからいいよな。こりゃあたしらが飽きるのが先かもねえ」
「このーー、飽きても手放すのはね、だってーーーー」
意識が遠のいていく。体が浮くように歩くなり、コツンと地面にぶつかる感覚を最後に、私はこの場から逃げ切った。
もうどうなってもいい、どうにでもなってくれと、彼女たちより弱い私を、何かにどうにかして欲しい。
>>>>>>
「大丈夫かい?」
先程と同じ場所で目を覚まし、体を硬直させる。
彼女らはもう居ない。代わりにいたのは鎌田功、石和の友人だった。
「いいえ、私のこと気にかけておいて」
「それはよかった。じゃあ僕から一つ伝えることがあるんだ」
「僕の友人に関して」
功は、人の反応を見るときの意地の悪い顔で、あえて補足としてそう言った。
さくらの目が、頭が、手元がそれぞれ少しずつだけ心地悪そうに動く。
「そんな反応しなくても、変なこと伝えに来たわけじゃないよ。これからすごく面白いことになる。楽しみにしておきな、あいつは結構やるやつなんだ。じゃあお大事にね」
座っているさくらの高さに合わせてしゃがみ、ゼリー飲料と栄養補給用のスティック菓子を手渡して、去っていく。
「・・ありがとう」
「親友によろしく」
ドアの向こうで声が響く。
その親友の男と関わることは、もうないかもしれない。
頭が痛くなる。部屋には誰もいない。静かな部屋に、耳鳴りが聞こえる。
>>>>>>
======
「ーーうん、そう。問題なかったよ。ゴミだったから別にいいよ」
電話越しに機嫌の悪さが伝わってくる。また何かしょうもないことで苛立っているのだろう。
「バカ姉のいうことも分かった。僕もあれは殴りたいね」
「ごめんって・・・・分かった。もうその呼び方はやめるよ。アホ姉でいいかな」
大声をあげて怒り出したので、この辺でからかうのはやめる。
「もうやめるよ。ごめん、じゃあ頼むね。僕がやったら大問題だし」
≪りょーかい≫と心底楽しそうな声が聞こえる。
======
「で、あんたたちのとこに来たってわけだ! あんたら、私の友達いじめてんだって?」
突然現れた女に、二人はポカンと口を開けた。
「誰だよあんた、ま、あたしらはゴミかもだけどさ」
「いやほんとだよ。しかもいじめてるって、もう誰のことかわからんしねえ」
生意気な態度に、女は一層不機嫌になる。
「たしか、赤い髪の・・超きれいな女の子? だったと思うんだけど・・・・」
金髪と真っ黒髪が顔を見合わせる。
「あの天邪鬼か。椿紅ってやつう?」
その名を聞くや否や、女は悪魔みたいに口角をぐいと上げた。
「そうそう。そいついじめてんの、あんたたちなんだって?」
「いじめって、ガキかよ・・・・別にあたしらは面白いもんで遊んでるだけだっつーの」
「そのいじめ、今すぐやめろ」
女が静かに言うが、二人には応えない。
「ぷぷっ、何それえ、あんたあいつとどんな関係? あ、もしかしてお姉さんだった? ごめんね? お詫びにお姉さんも遊んであげよっかあ」
「お、いいねそれ!」ともう一人も同意の声を上げる。
「姉じゃねえよ。でもいずれ姉になるかもしれないんだ。かわいい未来の妹ちゃんをいじめるガキがいるらしいからぶっ飛ばしてやろうと思ってなあ?」
自信満々に身振りを入れながら話す女に、二人は苦笑するが、心の底では大分気分を害していた。
「あんたさ、そんな息まいといて後で何言っても聞いてやんねえよお? 私はあんたのこと全然知らないけど、あんたは私たちのこと知ってんのぉ?」
「しんねえ。気になるから教えろ」
少し興味がわき、問う。
「言っちゃっていいでしょお?」
「いいよ、言ってやんな」
「私がこの辺で有名な田中二郎の弟。んーでこっちが私の従妹ね。あ、二郎の従妹ってことにもなるわけだ。で、あんたは?」
『田中次郎』の名前を女は知っていた。この町では有名な不良だ。
「田中二郎の妹なのか」
「どう? びっくりしたでしょ! ここで服でも脱いでそのまま駅まで四つん這いで歩いてったら許してやってもいいよお?」
[image id="911"]
「すげえびっくりした。あ、私は石和晴花。詩の姉貴だ」
晴花が名乗ると、田中千佳と田中花は顔を見合わせる。
「デジャブってやつか。兄ちゃんが最近言ってるやつだ」
最近知った言葉に、真面目な顔をする。
「石和晴花って、面白い冗談言うね、本気で言ってるのなら証明してよぉ。今ここで。服脱げば分かるかなあ・・・・?」
千佳の声を聴き、われに返った。
ギャグを披露する芸人のように「はい」とだけ言って晴花はロングスカートのすそをたくし上げ引き締まった太ももを露にする。チカハナはすぐに顔を引き攣らせ、体を硬直させる。
〈クソダサいウサギの刺青、微塵もない羞恥心・・・・〉
〈間違いない。『あの』石和晴花だ〉
眼球を一生懸命互いのほうに向け、テレパシーを送りあう二人だった。
ーー「「すみませんでした」」
頭を下げているのは制服の少女たちだ。
「もうやらないならいいよ。ただ、次やったらどこまででも追いかけ回してやるから」
「「もうしません。誓います」」
「ならよろしい」と言って晴花は手を腰に当てる。
機嫌はすっかり治ってしまった。爽やかな気分の中、彼女は一人言い放つ。
「いい見返りを期待するぜ、ブラザー」
ーーーー「迅速の石和・・・・だと? お前ら、あいつに手出してないよなあ・・・・」
『迅速の石和』その名の通り、ただ物理的に足が速いという理由で付いた通り名だ。
昔、二郎にしつこく迫られた女がいた。女は二郎を拒絶し、次の日から彼の原付の部品はひとつずつ減るようになった。三日ほどたって、二郎の後輩が原付を分解する女を発見し、一味総出で追いかけまわしたが、ついに彼女を捕まえることはできなかった。そして二郎が女に原付をタダで譲り渡すまで、原付の分解、玄関前のバナナの皮、家の前での炙りニンニク屋台、なぜか野良猫が数十匹庭に終結したこともあった。そんないたずらが半年の間毎日続いたという。
それ以来、『石和晴花』の名は町中に知れ渡り、誰もが恐れおののくようになった。
「くっそぉ、今度は何を対価にすればいいんだ・・・・ズーマーちゃん、お前だけは絶対に守り抜いてやるからなあ・・・・」