ロマンチスト
昨日も帰りは遅くなってしまった。その日は家に直帰であったが、今日、二人の放課後は早かった。
チャイムと同時に教室を出て靴を取りに向かう。道中、隣のクラス最後方の席に座る椿紅と目が合った。まだホームルームをやっているようだ。意味ありげに笑い、足を速めて見せると、彼女は顔をゆがめた。
席を立てないもどかしさと戦う表情は笑えた。待ってやる義理はないが、これに免じて五分ほど待ってやろう。
そして五分が経過した。諦めて靴を取り階段を下る。
「早く行けばいいじゃない!」
階段の上のほうから凛々しくも女性らしい声が響いて聞こえる。
全くもって意味不明である。
彼女はどうやらツンデレを履き違えているのではないか。
残り五段ほどになった階段の途中で立ち止まり、彼女を待ってやる。
二段差まで縮まったあたりで歩き出すと、以降彼女は文句を言わず綺麗に二歩後ろを歩き続けた。
階段でも相変わらずのドラクエ歩きに笑ってしまうが、彼女は気づかなかった。
坂を下り、一つ角を曲がると駅が見えてくる。この駅には特急が止まる。
詩にとってはそれが中々喜ばしかった。特急に乗れば、次の駅で降車なのだ。
今日はいつもより帰りが早かったせいか、ダイヤが嚙み合わなかった。次の電車は各駅停車で十分後。
特急は二十分後だった。
「あらら」
駅自体はあるものといえばスーパーマーケットと交番とジャンクフード屋くらいだ。
「十五分くらい時間つぶしていくけど」
「無理」
俺は地下にあるスーパーに入り、お菓子コーナーを通過してアイスコーナーへと向かう。
アイスを一通り物色する。アイスコーナーに来たらアイスを物色する。
しかし椿紅はそれをしない。退屈そうに俺を見て、周りを眺め、時々俺のほうに意識を戻す。
夏前のフライングアイスに興味がないとは、まだまだわっぱだぜ・・・・尻が青い。
尻を見ているとなんだか殺気を感じた。血の気の多いやつだ。
熱覚ましにアイス一つくらい御馳走してやろう。
普通サイズのアイス売り場から、子供向けの小さなアイスの売り場へと一歩身を移し、チョコ味のコーンアイスを二つ手に取りレジに通す。
ピンク色のテープが貼り付けられたアイスを一つ椿紅にやった。
「夏前のアイスが年間で一番安くて一番おいしいんだ。」
目を丸くし、「え」とか「あ」とか「ごめん」なんて言った後に彼女は財布を取り出す。
「あー、金なんて・・・・」
ここはきっと、男として金を受け取るべきではなかったのだろう。
俺だって買値の倍、百円を見せられなければ受け取らなかった。
百円玉を見ると、「授業料だと思えば安いものだ」なんて自己解決して、ちゃっかり儲けてしまった。
「・・・・・・・・んっ!ん~、やばい、すぉい、やばすぎぅわ!」
「これは俺の感性ではないけど、食べてからしゃべったほうがいいと思うぞ。椿紅基準なら」
この十六年、ここまで美味そうにアイスを食べる人物を見たことがなかった。俺がアイスならこのように食べられたいものだ。
同じ種類のものを買ってよかった。このアイスが特別おいしいものに感じられそうだ。
「うまいな」
「別に・・?」
見ほれるほどに明るい、楽しそうな顔をして彼女は見栄を張った。
この表情をして、本心からうまくないと言っているのであれば、彼女は役者か何かを目指すべきだろう。
きっと女優やモデル、SNSの著名人なんか、なにをやっても注目されるんだろう。
突然、遠い存在みたいに思えた。
俺たちはアイスを三分ほどで平らげ、婦人服屋の隣にひっそりと並んでいる小さなゲームコーナーに向かった。ユーフォーのような形をしたお菓子のゲームは食わず嫌いでやっていないので、三つ並ぶ小型のクレーンゲームの一番左、五円のチョコボールのゲームをやる。
一回十円と良心的に見えるが、一回で確実に二個を獲得しなければ元が取れない。一つも取れないことはよくあるが、十円と一回の値段が安いため何度も挑戦してしまう。実はもっとも悪魔的な台である。
普段は三十円を使って四つくらいしか取れないのだが、女の子の前だからだろうか、今日は二十円のうちに五つとることができた。
そのうち二つを椿紅にあげようとすると。
「褒めてるの?」
なんだかよくわからないことをつぶやくと自分の財布から十円二つを取り出し、投入口に器用に二つ続けて入れる。
一度目で俺が端に寄せてしまった部分を綺麗に崩す。アームで二つ取り合計五個を落とした。
「おお・・・・」
続けて二回目、先ほどと同じ場所から三つつかみ、正規ルートで落とす。
振り返るとニタっと笑う。
ふんふんと鼻歌を歌いながら続けるのを、俺は後ろから眺めた。
工場のように決まった方向に流れ、次々に奪われていくチョコレートを見る。
美少女とデートをしているような立ち位置で後方腕組み。
二度おいしかった。
「椿紅ってクレーンゲームめっちゃうまいんだな」
チョコを五つ一気に頬張りながら感心する。
「あなたには敵わないけれどね?」
「え゛っ」
どこまでとげとげしいのだ、この子は。
仲良くなれたと思ったのだけれど。
なんだかんだ言っても、詩のさくらに対する印象はとても良いものとなっていた。逆もまた然りである。
「俺この後軽く食べて帰るけどどうする? 帰るか?」
「帰るわ」
少々落胆するが、どうせ明日もついてくるのだろう。
「そうか」
椿紅は帰らず、俺たちは二人でフライドポテトを食べてからそれぞれの家に帰った。
変な奴だ。
>>>>>>
つい数日前まで迷惑そうにしていた俺だが、恥ずかしながら最近楽しい日々を送ってしまっていた。
今日にいたっては、駅に娯楽が足りないなどと脳内で文句をたれながら放課後のことばかり考えていた。授業はあっさりと終わり、またいつもの時間になった。
今日は雨だった。
雨の日は床に近いものすべてが水に濡れていて、それに触れなければいけないときはげんなりする。雨が嫌いだ。
雨が好きだとか、ジンクスがあるだとか、そういったロマンチストがよくいるが、俺はとにかく雨が嫌いだ。
特にバスや電車の中。差した傘はどこに置けばいい。足に挟むのだろうか。それでは股が濡れ、お漏らしをしたみたいになってしまう。横の手すりにかけるわけにもいかない。
仕方なく膝前に立てているが、片手がふさがってしまうのだ。これでは本が読めないし、携帯電話を触るにも不便だ。
俺は今まさに電車に乗っていた。隣の椿紅は傘袋を持参し、電車の中で使用していた。なんて几帳面な女。それでも彼女は足の間に挟むなんて品のないことはせず、傘の落ち着く場所が見つからないようで、膝の前に立ててうずうずとしていた。
ほれ見たことか。
俺と同じ体制で向かいの窓を眺める。
「雨、好きか?」
・・・・
一瞬考えたのか、沈黙が流れる。
「好き。綺麗じゃない? 雨って」
少し期待していたが、自分とは意見が違った。しかし気落ちはしなかった。顔立ちの綺麗なやつに「そうだ」と言われると正しい気がしてしまう。
きっと結婚詐欺や宗教勧誘にまんまとかかるタイプだ。
ロマンチストの彼女は、窓の外を眺める。その横顔を俺は見るが、彼女の目に、見惚れの色は見えなかったように思えた。
大嫌いな雨の日の電車だ。私は雨が嫌いだ。雨の日の電車はもっと嫌いだし、雨の日の座れない電車は最も嫌いだ。ストレスで腹痛になって泣きそうなる。たまに、ちょっとだけ、泣いてしまったこともあったかもしれない。
だから雨の日はどこでもいいから空いている車両に乗る。立つのはもってのほかだし、座っていて周りの人の傘が自分の服に当たったりしたら、きっと露骨に嫌な顔をしてしまう。
今だって自分の傘の置き場が見当たらず、腹が立っている。それと、
「はいこれ」
そういって彼に傘袋を手渡す。傘を立てている位置が私の膝に近い。水をつけられたりしたら大迷惑だ。
「ありがとう、ほんとに」
傘を袋に収めると、足の間にはさんで「ふう・・」と息をつく。
こちらの気も知らずに、ムカつく。
どうでもよくなって、私も脚の間に同じように挟んでやった。
「魔女になったみたい」なんて心の中でふと思い、我に返って勝手に恥ずかしくなった。
彼はスマートフォンを取り出し何か打ち始める。手が空かなくて困っていたのだろう。
石和詩は最近悪さをしていない。たまに自動販売機を利用するふりをして釣銭口の様子を見ていたりするが、その時は後ろから太腿のあたりを軽く蹴り飛ばしている。
ペットショップから苦情が入った時には本当に頭がおかしいのではないかと思ったものだが、こうして
放課後を一緒に過ごして・・・・否、監視をしていると、根本から悪人ではないのは明らかだ。
さくらにはわかりやすい比較対象がいたのでなおさらである。
大したことはしないのだろうが、余計なことばかりするため、放っておくと彼自身がいつか損をするかもしれない、私のように。
そう自分に『言い聞かせた』。
詩の悪事は大したものではないし、自分が痛い目を見るとしてもそれが大きな損にはならない。むしろ彼にとって役に立つ失敗になるだろうとは、わかっていながら。
「そうだ。ライン教えてよ。最近よくつるむじゃん?」
つるむとは心外な言い方だ。いいわよ、というと彼は国一つ沈んだかのような顔をした。
人の表情を読み間違えることは自分にはよくあることだし、大前提読めない人間相手だ。気にせずにアドレスのコードを見せると、表情が戻る。
「ーーかよ・・・・」
石和詩が何か言う。頭を貫くような痛みを感じる。
「ーーーーーーっ・・・・」
慌てて席一つ分だった間隔を三つほどに広げる。
「どうした・・?」
近づいてくる彼から、とっさに離れてしまう。
違う、彼はきっと悪くないのだ。気持ちを落ち着かせ、席を二つ詰める。
痛みは収まり、自らの危機を感じて高鳴った鼓動も安全を確認して静かになる。
「大丈夫じゃない・・・・」
「なんかごめんな」
「反省して」
優しく微笑んでいた。目じりに涙を浮かべながら、俺に、大丈夫だとそういっているような。いや、『ような』ではない。間違いなくそういう顔で。
何かがおかしい。彼女がおかしいとは前から思っていたが、違う。今感じる違和感、違和感というよりほぼ確信だが、おかしいのは、ずれているのは、俺の彼女に対する理解なのかもしれない。今まで『変な奴』で済ませていた自分が情けなくなるくらい、俺の理解は決定的にずれていた。
>>>>>>
隣町まで電車で移動し、少し大きなゲーセンに行った。格ゲーは面白かったし、椿紅はやはり、クレーンゲームが人並み以上に上手かった。
俺は何かに気づいてしまうのが怖くて、椿紅の観察を極力控えた。それは同時に、彼女を観察すれば、十中八九何かを見つけてしまうだろうという確信でもあった。電車での一件から、拗ねた子供のようにそっぽを向いたままの詩を、さくらは心配そうな顔で見ていた。
俺は彼女に、何も言わせたくなかった。
向かい合ったゲーム台は実際よりはるか分厚く、クレーンゲームのガラスを隔てて見えるお互いの姿は途方もなく遠いものに思えた。二十四時間ある六月十五日の、ほんの一瞬が、何が起こったでもなく二人をあいまいに遮断した。
誰一人、悪くなかった。
>>>>>>
「そういえばお前、最近椿紅さんと仲良さげだよな。あの子狙いって、お前は本物のロマンチストだな。この前ポエマーって言ったことも撤回してやる」
コイバナに燃える鎌田は頭の横で指をぶんぶんと振りながら言葉を連ねていく。
やめてくれと、そう発するつもりだった。が、遅かった。
「あの子、僕の彼女と中学が同じだったみたいなんだよ。思っていることと逆のことしか言えないって、信じられるか? 彼女は困っているのかもしれないが、なかなかにエモいと思うんだよ、僕は。僕も君の味方だって伝えておいてくれよ・・・・って冗談だ。友達が狙ってる子口説いたりしないよ」
避けてきたものが、必死に知るまいとしていたものが一瞬にして俺の中に流れ込んできた。一日だ。たった一日も猶予を与えてくれなかった。彼の言ったことは、俺の感じていた違和感に完全に一致した。
「まだ信じてないだろう・・? まあ安心しろよ。ほかの友達はまだしもお前にそんなことしないさ」
あの告白からだ。そこから、初めからすべて、すべて、すべてのものが俺の勘違いでできていた。
「そうだ、日によってそれが解けるって聞いたんだけど本当なのか? 快晴の日は普通に会話できるって聞いたんだよ」
・・・・快晴の日
頭の中を泳ぐように記憶を巡らせる。
唯一あった快晴の日。唯一彼女が攻撃的だったひだ。
心をえぐる。
思い違いなんて言うものでは済まされない。彼女は初対面で俺に悪口を言うほどに、俺のことを嫌っていた。帰りについてきたのは生徒会の仕事を越権する監視。
ただ問題児に優等生がついて監視していただけ。
「なあ詩・・・・」
「うるさい・・少し黙ってくれ」
少し落ち着かねばならない。それに必死でだった。
「あ痛っ・・!」
痛い。何が起こったのか理解するのに時間がかかった。
外の世界にほとんど意識がなかった俺の額を、鎌田は強く弾いたのだ。デコピンだ。
「さっきは悪かったけどさ? 理不尽に当たるのは良くないし、第一僕はそれが嫌いなんだ。明日までには治しておけよ」
・・・・・・
「あんの自己中が・・・・って、俺の言えたことじゃないな」
ほんの少し、雀の涙ほどだが、落ち着いた。