春夏秋冬
春夏秋冬というものがある。一年間を、いいや地球の公転の一周を四つに割ったものだ。季節ひとつにつき九十度。
実際、そこに明確な境はなく、五月三十一日から六月一日になると途端に暑くなるなんてことはないのだ。
しかしこれを三つに割らなかったのは頭がよいと言えるだろう。七月から夏なんてことになったら、そのスピードスタートには誰もついていけない。
とにかく、今は春から数えて、いちに、といった二つ目の季節、夏に入ったばかりだ。
高校一年生。これから始まる高校生活に心躍らせた四月は一瞬にして過ぎ、ごろく、と来てしまったわけだが、友達は普通にできた。数学の教室は春夏秋冬に分けられたレベル別クラスの冬。最下位クラスにいるが、これも大した問題ではない。
この二つ目の季節、石和詩にひとつ言えることがあるとすると、俺の周りには女っ気ひとつなかった。
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六月に入ったが、雨はなかなか降らない。この時期だから,
なかなか快晴というわけにもいかないが、青空に雲のちらついた絵にかいたような晴れ模様だ。
生暖かい空気の中でパンをかじり、空を眺める。
綺麗な空を見れば、俺だって心を揺らす。昨日の放課後は自販機の下で合計三百円を拾ったり、『拾ってください』と書いた子猫の箱を『品種改良生物とお幸せに(笑)』に書き換えてペットショップ前に置いたりもした。けれどこの空が、詩の悪事を全て浄化していくようだった。
「飛騨先生が怒ってたぞ。一週間で部活をやめるなんて、後の受験生に影響しかねないって」
鎌田功。中学からの同級生だ。一週間、正しくは八日で部活をやめた俺は、どうやら母校の生徒に迷惑をかけているらしい。
「仕方ないだろう。練習、めんどくさいんだもん」
「・・・・それはとてもわかるが」
こいつは出ても出なくても何も言われない大道芸部に所属し、気が向いた時だけ顔を出している。ちなみに彼女は、いる。
「彼女ほしいんだけど、俺も」
非リア充が一度と言わず口にする言葉をふと呟く。
「でもお前、彼女ができたときのために何かしてるか? お金はないし、服だって適当だし」
ぬぐ・・・・
図星を突かれて声帯の締まりを感じる。
「じゃあいらね」
なげやりに言うと功は
「まあでも、そういうのなしに良いお付き合いができる人が・・・・いないとも言いがたいけれどね」
その発言に眉を上げる。
「・・一万人に一人くらい。もうチャイムなるし戻ろうぜ」
眉が戻っていく。
「そうだな」
ため息交じりに重い腰を上げた。
俺が告白されたのは、まさかその日の放課後、告白されるとはつゆ知らず。
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夏至に近づき、午後四時半、空は赤みのかけらも見せない。じめっとした空気とさんさんと輝く太陽のギャップを感じながら校門前の階段に差し掛かった時、ある女が俺に声をかける。
「石和詩ね」
突然に名を呼ばれ振り向く。
スカァレッドの髪は後ろでひとつに縛られ清潔を象徴し、女性にしては高い身長にスラっと長い脚。鼻筋が滑らかに伸びていて、美しさ、高貴さを覚える。俺は何度かこの女を見たことがあった。名前までは知らないが。
「ああ、うん。そうだけど」
「私はあなたが大好きよ」
・・・・
「ん?」
「あなたの善行には目を見張るものがあるわ。素晴らしい放課後をお過ごしのようね」
ド派手な皮肉だろうか、善行には心当たりがないし、であるにもかかわらず名前は自分のもので間違いなかった。
「人違い・・では?」
名前があっていても、その情報と一致していない可能性は十分、いや一分、二分。やつの言葉を借りるなら一万回に一回くらいはあるかもしれない。
「ええ。人違いよ。もう一度言うわ。私はあなたが好き。石和くん」
この人怖い!
『ええ。人違いよ。』か・・・・こいつは・・・・とっても危ない香りがする。
ーー「まあでも、そういうのなしに良いお付き合いができる人が、いないとも言いがたいけれどね」ーー
功の言葉が頭をよぎる。
その運命の人がこんな頭のおかしい謎女であってたまるか・・・・!
このおかしな子には申し訳ないけれど、俺の高校生活にはまだ希望が残されている・・・・と俺は信じている。
だからここで終わらせるわけにはいかないのだ。
「ええっと・・ごめんなさい、本当にごめんなさい」
平謝りである。頭はどうかしているかもしれないが、紛れもなく美人だ。俺のような平凡な人間にフラれるなんてプライドが許さないかもしれない。
その一点においては申し訳ない。平凡でごめんなさい。
しばらく謝り続けると、彼女はぷいとそっぽを向き、そのままファッションショーのような綺麗な歩き方で去っていった。彼女の背中が見えなくなるまで、その歩きに見惚れていた。
俺のアブノーマルな日常は、ここから始まったのだ。
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パルテノン神殿になぞらえて建設されたという百数段の階段は俺にとって早朝の拷問と化していた。たまに女の子のパンツが見えるラッキースケベもあるが、天秤にかけると階段撤廃に大きく傾く。それほどに長い階段だ。
今日も一段ずつ重い足取りで壁伝いに、より高所に進んでいく。自身の重みに乗じる運動エネルギーに逆らっているのだから、世界の理に立ち向かっているのだから、それは辛いことだ。仕事だ。色んな意味で。
この綺麗な階段目当てに本校を受験する生徒もいるらしいが、合格した誰もが入学数か月目で自らの過ちに気が付くことだろう。
綺麗な凶器も、汚い凶器も、変わらずに恐ろしいものなのだ。
「なあ、功、もう少しゆっくり行かないか? 一段飛ばしはさすがのお前でも無理してるだろ」
功は俺の五段ほど上をぴょんぴょんと上っていく。膝の動きが繊細で軽やかだった。こいつの膝にはでもバネでも入っているのではないだろうか。
「別に無理してないよ。少し息は上がるけど、強制的にペースを決められているわけじゃないんだから。朝の運動も悪くないと思うぞ〜」
『強制的に』というのが部活のことを指す言葉なのはわかる。しかし俺にはこの階段を上がっても、何一つ良い事がないのだ。むしろ悪いことしかないのだ。
やつは無意識ながらクラスの女の子や、ガールフレンドに会えることを一大目標としてこの階段を上っているのだ。
「ゴールしても何も手に入らない階段を上るのは、人間には不向きなんだよ」
「なんだ? ポエムか? 先行ってるぞ」
言い残すと、彼は華麗に階段を滑りあがっていった。どうしてこうも、美男美女は歩行フォームが美しいのだろうか。
なんだか腹が立って、俺も少しだけ綺麗に歩いて見せた。
屋根付きの階段の出口が見えてくる。今日は季節にそぐわず雲一つない青空だ。ガラス張りの体育館に反射して出口に入ってくる光。何がモチーフかもわからない銅像。この景色は、もちろん階段と天秤にかけると容易に負けてしまうが、あながち悪くないと思えた。
銅像の隣に立つ女性も、違和感なくその景色に溶け込んでいた。
「お、おはよう。」
昨日フった相手を無視するのは失礼に値すると思い、声をかける。
「おはようございます。昨日はよく眠れたかしら? その様子だとよく眠れたようね。今日はテストなのだけど?」
不機嫌そうな表情で、とげとげしい言葉で、昨日フラれた女の子の様子とは思えない振る舞い。
それとバカ鎌田、なぜテストが今日だと教えてくれなかった。絶対わざとだろう。
通りすぎる生徒たちがちらちらとこちらを窺って昇降口に歩みを進める。
一人の生徒がこちらを見て言った。
「今日は『あの日』か」と。
今日は彼女にとって『あの日』らしい。それがどういう意味なのか、それくらい詩にも分かっているつもりであった。
機嫌が悪いのもきっと仕方の無いことなのだ。
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「なあ、女の子が機嫌悪くて、そんでもって今日が『あの日』だって言ったらさ、今日は何の日だ?」
功に尋ねる。彼は百戦錬磨だ。
「それはもちろん・・・・」
ゴクリと唾を飲んだりせず、動きの悪い今日のまぶたに意識を向け、ぼうっと答えを待つ。
「誕生日だな」
「・・誕生日? ・・・・」
予想外で素っ頓狂な声も出ない。泥のようなだらけた声でオウム返しをする。
「・・・・別に違うかもしれないけど。いつもと違う日で、女の子が、いいや人間が不機嫌になる日って言うのは沢山あるんだよ。だから適当に言った。誕生日では無いかもな。確率1/365だし。とにかく」
この男、女の子と話には熱い。
「とにかく?」
「この子が可愛い子なら、お前にやりたくは無いな」
「そうかよ」
あの女がどの程度ヤバい人間で、どんな謎を抱えているかは、俺にだって分からない。もちろん功にも。