その王子様は運がついているのです
「トワレテ王子様~、私と踊らないで帰るなんてひどいです~!」
夜会会場に響いた無遠慮な声に退場しようとしていた王子達は足を止めた。
名前を呼ばれたキャメル色の髪をしたトワレテ王子はにこやかに振り返るが、彼の隣にいた婚約者の侯爵令嬢レストは一瞬で微笑を消し、能面のような表情で声の主を見つめる。
王子の笑顔を見て安心したのか、呼び止めた少女が責めるようにレストを詰った。
「レスト様ったら、またトワレテ様を独り占めする気ですね! 幾ら婚約者でも楽しい夜会を途中で切り上げさせるなんて横暴です~」
トワレテ王子が夜会やパーティーを途中で退出することは珍しくない。
王子は多忙故仕方のないことだったが、一部の令嬢達の間ではトワレテが他の令嬢とダンスをするのを、レストが嫉妬して強引に切り上げさせているという噂があった。
婚約者の侯爵令嬢であるレストは真っ白い髪に淡い水色の瞳をした美人ではあるが、少しきつめの顔と淡々と話す口調のためか冷たいイメージがある。王子であるトワレテはキャメル色の少し癖がある巻き毛とたれ目気味の琥珀色の瞳のため、端正な顔はしているがどこか可愛らしい顔つきだ。それに無口ではあるが、いつも柔和な笑みを湛えて柔らかい印象であったため、婚約者に振り回されているのではないかと思われていた。二人の婚約自体もレストが宰相である父親に強請って無理やり結ばせた等と言われたこともある。
しかし、あくまでも噂であった。
現に王宮に勤務する者の話ではトワレテの方がレストに夢中だという証言もある。
だから、今まで面と向かってレストへ指摘する愚か者はいなかったのだが、今回それをやらかしたのは新興の男爵家の娘で、常識がないと有名なコウカという令嬢だった。
「幾らトワレテ様が優しいからって、嫉妬で夜会を途中退場させるなんて婚約者失格です~。今日は絶対、私と踊ってもらうんだから~! それにお父様にも紹介しようと思って、連れてきたんです~」
ピンク色の可愛い巻き髪を揺らしながら頬を膨らませるコウカの隣には、床まで届くほど不自然に長い金髪を垂らしたカワーヤ男爵が満面の笑みで揉み手をしていた。
「いやはや、娘が非常に殿下と親しくしていただいていると聞きまして、今夜の夜会では是非ご挨拶をと考えていたのですよ」
モミモミモミモミ、揉み手で火でも起こせるのではないかと思うくらい両手を擦り合わせながら迫るカワーヤ男爵の瞳は、商人から成りあがった者らしくギラギラと野望に満ちている。多額の寄付と賄賂で男爵にまでのし上がったカワーヤは、今度は上位貴族どころか王族とのパイプを持ちたいと考えたらしい。
確かにここ数日、至る所の夜会やお茶会でコウカがトワレテ王子に話しかけている姿が目撃されていた。しかし、本来男爵家の令嬢如きが自ら王子に話しかけてくる行為など許されるものではない。トワレテもレストも何度かやんわり注意をしたが全く効き目はなく、貴族になったばかりで距離感が掴めないのだろうと仕方なく大目にみていた。
それを知っていた周囲の者たちはカワーヤ男爵の言葉に、あれは親しいのではなくつきまといだと呆れており、レストもまた苦言を呈した。
「殿下はお忙しいので、挨拶であれば後日改めて王宮へお越しください」
そろそろ本人に自覚させねばと強い口調でピシャリと言い捨てたレストに、コウカが目に涙を浮かべる。
「ひどい! そうやっていつも私を虐めるんですね! 私が格下の男爵家だからって蔑んで、ひどい! ひどいです!」
「おお、コウカ! 可哀そうに。私がもっと上位の爵位を賜っていたのならこんな辱めを受けることなどなかったろうに!」
繰り広げられるチープな親子三文芝居に周囲は眉を顰める。しかし演じている当の本人と父親だけは悦に入っているのか、大袈裟に騒ぎ立てた。
ひどいのは貴方の頭の構造です。と言いかかった言葉をレストはぐっと飲みこむと、隣のトワレテの表情をそっと窺う。
トワレテは微笑を浮かべたままだったが、レストと目を合わせると一瞬だけ表情を顰める。
微笑が消えたのは一瞬だけだったのでレストの他は誰も気づいていなかったが、王子の表情を見たレストは少し青ざめ夜会会場の入り口を一瞥すると、冷たく言い放った。
「私は男爵家の人間だからという理由で蔑んだりはしません。ただ貴女はもう少し世間の常識を学んだ方がよろしいかと存じますわ。今の貴女の言いようはとても貴族に相応しいとは思えませんもの。それからカワーヤ男爵、貴方の賜った男爵の位はそんなに軽いものではありませんことよ? それでは予定が詰まっておりますので、お先に失礼」
少し強引に話を切りあげ王子の腕を引くと、促すように退出しようとしたレストにコウカが指を突き付ける。
「えぇ~⁉ ひどい~。私のどこが常識がないって言うんですか~! そんなお婆さんみたいな真っ白い髪をしたレスト様の方がトワレテ様に相応しくないのに~。 トワレテ様だって、レスト様となんか婚約破棄して私を婚約者にしたいはずだもん! レスト様が怖くて言い出せないだけなんだから~」
「我が娘のコウカは可愛いですからね。高慢ちきな婚約者からトワレテ殿下が心変わりなさるのも無理はありません」
どういう頭の構造なのか全く理解できない反論を始めたカワーヤ男爵親子に、レストは苛立ちも露に溜息を吐いた。
不敬罪で捕らえることも可能だが今は一刻も早く退出したい。
どうしようかと迷ったレストの耳に、どこからか小さな音が聞こえた。
『きゅるるるるるる』
ハッと顔を上げたレストはギギギギと王子に向けて首を動かす。
音は、微笑を消して無表情な顔になったトワレテからであった。
この音がし出したら危険信号であることは長年、この王子と付き合ってきたレストであれば明白であり、震える手でトワレテの袖を引く。
「殿下……」
「レスト、もう限界だ……」
蒼白になったレストに、それまでずっと黙っていたトワレテが苦々し気にコウカへ向かって地を這うような声を上げた。
「レストの髪を悪く言うな。最近多様化が進み、黒やピンクなど多彩なカラーをお目にかかるが、私はやはり白がいい! 断然白派だ! 白以外認めん!」
「えぇ~、つまりレスト様と婚約したのは白い髪だったからなんですか~? それなら私も白に染めればいいのかなぁ? でもこの色、気にいってるし~」
回りくどい言い回しではあったが、普段無口な王子が婚約者への熱い想いを語ったことに周囲の令嬢から嫉妬と羨望の歓声が上がる。だが、空気が読めないと定評があるコウカには全く伝わらないばかりか斜め上の解釈をし、自分のピンク色の髪を撫でつけ困り顔になる。
そんなコウカに苦虫を潰したような表情をしたトワレテが、レストの白い髪を一房掴むとその髪へ口づけを落としながら甘く囁いた。
「私の婚約者はレストだけだ。レスト以外考えられん。それから語尾を伸ばすな。私は切れが悪いのは嫌いだ。一気に出し切りたいタイプだからな。……あぁ、レスト、もう我慢できない。早く帰ってこの滾るモノを吐き出させてくれ」
「殿下……外に馬車は待たせておりますから、もう少し我慢なさって」
衆目を集めているにも関わらず、婚約者に迫る王子の少し濫りがわしい言葉に勝手にR18を想像した周囲の者達が顔を真っ赤にし、やはり王宮の噂の方が正しかったことを知る。
周囲からの生暖かい視線を受けた王子達だったが、トワレテの手をギュッと握り返したレストは、彼の瞳が虚ろになってゆくのを見て戦慄すると、コウカ達を無視し出口の方へ向かおうと踵を返した。トワレテ王子が爆発して大惨事になる前にとにかく早く退出したかった。
しかしそんなレストの内心の焦りを知らないコウカが歩き始めた王子達を追いかける。
「逃がさないんだから!」
「くそ、また波が襲ってきた……」
コウカの叫びにトワレテの呟きは搔き消されたが、レストだけは聞き逃さず咄嗟に足を止める。走りこんできたコウカがレストに体当たりをしようとしたが、二人が足を止めたため、バランスを崩した手が咄嗟に紐のような物を掴んだ。
その瞬間、ずるんっ! という効果音が聞こえたような気がして皆が辺りを見回すと金髪の頭部が大理石の床に落下している。
「ひぃぃぃぃぃ! 頭が、頭がぁ!」
「きゃぁぁぁぁ! お父様の頭がもげたぁ!」
カワーヤ男爵の悲痛な叫びとコウカの大絶叫、更に床へゴロンっと転がった頭部に、殺人事件かと思ったご婦人方から悲鳴があがる。しかし、よく見ればそれが金髪のカツラだったことがわかり胸をなでおろす。
けれどツルツル頭を両手で抑え膝から崩れ落ちるカワーヤ男爵と、金色のカツラを父親の頭部だと勘違いしてパニックになるコウカの姿に、周囲の者たちが哀れみと嘲りの視線を送った。
「やっぱりヅラだったんだ」
「本人はずっとひた隠しにしてきたのに、気の毒に」
「男爵も不運ね。娘に暴露されるなんて」
さながら喜劇のような展開にカワーヤ男爵親子の周りは人垣で溢れるが、足を止めていたトワレテ王子からまた例の音が聞こえる。
『ぎゅるるるるるる』
その音にレストは今にも泣きだしそうな顔でトワレテを見上げた。
「殿下……」
「クソが……だが、この隙に帰れるな」
厳しい眼差しでカワーヤ親子を睨みつけてボソッと零したトワレテだったが、レストと目が合うとゴクリと唾を飲みこむ。
退場するのを邪魔してきたのもコウカだったが、彼女のお陰で会場が混乱したのは運がついていると言えよう。不自然に前かがみで歩くトワレテを隠すようにレストは夜会会場から抜け出すと、外に待機していた馬車へ素早く乗り込んだ。
「可及的速やかに帰城してください」
只ならぬ王子の様子とレストの強い口調に馭者が息を飲み、馬を走らせる。
馬車に乗り込んだトワレテだが一向に座ろうとはせず、レストに壁ドンをする格好で中腰体勢のままだ。不安そうに見上げるレストに微笑を浮かべるが、馬車が揺れる度に、その眉間の皺が増えてゆく。
「座ってはどうです?」
「こう昂っては座れない」
段々と頭が下がり、顔を近づけてくるトワレテにレストが息を飲む。
「殿下、まだダメですわ」
「ずっと我慢していたのに?」
「でもこんな所ではダメです」
「レスト、もう限界だ。今すぐここで」
「もうすぐ王宮に着きますから、どうかそれまで我慢なさってくださいませ」
「くっ! ……レスト」
苦しそうに囁いたトワレテだったが突然急停止した馬車に体勢を崩し、レストの胸に顔を埋めてしまい動きを止める。
その時、外の御者の悲鳴が聞こえた。
「や、夜盗です!」
数秒、刻が止まったかのように静止していた二人は、御者の叫び声に慌てて離れたもののトワレテは舌打ちすると素早く腰にサーベルを帯剣した。
「おのれ、ラッキースケベを邪魔しやがって!」
「殿下、そんなことより命の危機です!」
「そんなことじゃない! だが、くそ! 一瞬フカフカの感触にあっちの意識が吹っ飛びかけたが、やはりダメだ!」
トワレテの言葉と共にバターンと乱暴に扉が開かれ、数人の男達が下卑た笑いを浮かべて馬車の中を覗き見る。
夜盗達を睨みつけレストを背に庇ったトワレテは小声で囁いた。
「許せ、レスト……」
「……殿下、まさか」
王子の言葉にレストは全身総毛立つ。
トワレテは腰のサーベルを鞘ごと引き抜きベルトを外すと、くるりと夜盗に背を向けた。
自分の方へ振り返ったトワレテを見上げたレストは、表情の抜け落ちた彼の顔とスラックスのウエスト部分に掛けられた親指を見て絶望の表情を浮かべると、すぐさま両手で顔を覆った。
それを見た夜盗達が喜々として襲い掛かる。
「やっちまえ!」
振り上げられた凶刃。
ずり下げられたスラックス。
双方が月明かりに照らされたその刹那。
ビッシャアアアアアアアア!!!!!!!
「う、うわああああああ!!!!!」
闇夜を切り裂く悲痛な断末魔の叫びが街道に響いた。
◇◇◇
よく晴れた昼下がり、豪奢な王族用の私室では王子とその婚約者が定例のお茶会を開いている。
いつものように和やかに始まったかのように見えたお茶会だが、使用人達が廊下へ下がり二人きりになると婚約者の令嬢は小さく溜息を吐いた。
「やり過ぎです。正直、死ぬかと思いましたわ」
優雅に紅茶のカップを傾けながらレストが少しご機嫌斜めに呟くのを、トワレテはバツが悪そうに明後日の方へ視線を逸らして、茶菓子のクッキーを口へ放り込む。
「だから、許せと言っただろう。だが、たまたま近くを巡回していた騎士団がいたから助かった。やっぱり私は運がついてるな」
「それでも、もう少し自重してくださったら良かったのに」
「無茶を言うな。途中で止められるわけないだろうが。私は切れが悪いのは嫌いだからな」
クッキーを咀嚼しながらドヤ顔を決めたトワレテに、レストは遠い瞳をして無の表情になった。
夜会の帰りに襲ってきた夜盗は、悲鳴を聞いて駆けつけてきた騎士団により、取り押さえられた。
夜盗はヅラを暴かれた(暴いたのは実の娘である)カワーヤ男爵が雇ったならず者であった。
夜会で恥をかかされた(何度も言うが、恥をかかせたのは娘である)腹いせに王子の馬車を襲わせたらしい。カワーヤ男爵は前々から悪い噂があり夜盗は夜会帰りの貴族から金品を強奪するために元々あの付近に待機させていたそうだ。
勿論、二人がこうしてまったりとお茶を飲んでいるということは、襲撃は失敗に終わり男爵は捕まったわけだが現場は酷い有様だった。騎士団に捕らわれた夜盗たちは余程酷い目にあったのか泣き叫び、歴戦の騎士達でも思わず躊躇する程、辺り一面惨憺たる様子であった。
その時のことを思いだしレストは身震いをすると目を伏せる。
「あの馬車は廃棄だそうですわ。王宮官吏の方が泣きそうな顔で廃棄処分の指示を出しておられました」
「まだ数回しか乗っていなかったからな。だから早く帰りたかったのに夜盗どもが邪魔したのが悪い」
「夜盗に掴まらなくても間に合わなかったのではないですか?」
「だから散々我慢できないと言ったではないか。いっそ、野グ「はい! それ以上、言ったら婚約破棄しますよ!」
伏せていた視線を上げ氷の微笑を浮かべてトワレテの言葉を遮ったレストに、王子の瞳が泳ぐ。
あの夜、断末魔の悲鳴をあげたのは王子達ではなかった。
捕縛された夜盗は泣いていた。もう、ひんひんひんひん泣いていた。
それというのも王子の放った排泄物(ア〇レちゃんが持っている棒に刺さったピンク色のとぐろを巻いたアレ)を頭から被り悪臭を放っていたからである。
王子の排泄物は何かもう凄かった。
「何、食ったらこんなに出んだよ……」
騎士団が思わずそう零す位の量、そして悪臭も圧倒の王族クラスだった。腹が下っていたので液状になっていたのも悲惨さに追い打ちをかけた。
あの夜会、コウカが絡んでこなければ、王子は早々に切り上げる予定だったのだ。
そう、実はトワレテはあの日猛烈にお腹が痛かったのである。
美味しいと思って果実水を飲み過ぎたのか、身体にいいという幼馴染の護衛である筋肉ダルマの言葉を信じて生卵を牛乳と一緒に一気飲みしたからなのか原因は不明だが、とにかく夜会が始まって少したってから猛烈に下腹部が痛みを訴えてきたのだ。
挨拶にやってくる貴族達との会話の途中だったため、何とか堪えたものの、王子の大腸は暴風警報まっしぐらであった。
それでも王子という体面を守るため話しかけてくる輩を上手く捌き、油断すれば門を素通りしようとする物体Xをフルパワーで押し留めて漸く退場するところだったのだ。
それなのに、あんな馬鹿親子に掴まって時間をロスした上に馬車まで野盗に襲われ、王子のイエローゲートは持ち堪えられなかったのである。
「最初から夜会会場のおトイレをお借りすれば良かったのに」
呆れたように呟くレストの言葉にトワレテが眉を寄せる。
「流れなかったらどうする! 父上も叔父上も我が国の王族男子は皆、一回の量がとてつもないのだぞ! 最近流行りの節水式なんぞであの量が流れるか! タンクレスなどクソだけに糞くらえだ!」
「殿下、そのシャレ全然うまくありませんから。むしろ女性に聞かせるには最低のやつです」
氷点下の眼差しを向けるレストにトワレテは言葉に詰まると、目に見えてしゅんと肩を落とし小さくポツリと呟いた。
「……婚約破棄か……レストはしたいのか?」
トワレテの言葉にレストは驚いたように目を見開く。
無口だと言われているトワレテだが、気心知れた婚約者であるレストの前では饒舌だった。今だっていつもの軽口のつもりで、いつもの王子なら「そんなこと言うなよ~」とお道化て切り返してくると思っていたのだ。
それなのに真面目に訊いてくるトワレテに、レストの方が焦ってしまう。
「? え? 先程の言葉、本気にしたんですか? やだ、冗談ですよ! 私は殿下と婚約破棄なんてしませんからね」
「だが、しょっちゅう腹を下すような情けない男など嫌だろう? 腹痛の波が来ている時は会話する余裕もないからレストに頼りっきりだし、夜会等の行事がある度に何故か決まって腹を下すし」
ふわふわのキャメル色の髪がどんどん項垂れて、声音もいじけたように落ち込んでいくトワレテの様に、レストはパチパチと瞬きをすると苦笑を浮かべた。
「もう……何年一緒にいると思ってるんです? お腹が弱くても、見栄っ張りでそれをひた隠しにしている殿下も、全てトワレテ様だから許せるんです。その位、私は殿下のことを大好きなんですよ」
「レスト!」
滅多に聞くことができないツンなレストの告白にトワレテが勢いよく顔をあげる。
そのままレストの隣へ移動しようと立ち上がって、動きを止めた。
『きゅるるるるるる』
トワレテから放たれた聞きなれた警戒音に、一瞬でレストがすんっとした表情になる。
「……殿下、念のために伺いますが昼食は何をお召し上がりになりました?」
「ぐっ……腸内環境正常化に良いというヨーグルトを少々」
「少々とは、具体的にはどの位ですか?」
にっこりと笑顔の圧力を向けるレストに、トワレテが下腹部の痛みに堪えながら視線を逸らす。
「バケツ一杯ほど……」
「おバカーーーーー!!!!!」
おバカー、おバカー、おバカー、というエコーが王宮に木霊する。
けれど王子付きの侍女達はいつものことだと廊下に控えたまま微動だにせず、トワレテは痛む腹に手をあてながら苦悶の表情で言い訳を始めた。
「レストとのお茶会を邪魔されたくなかったんだ!」
「邪魔しているのは他の誰でもなく殿下本人ですけれどね!」
「全てはこの私の脆弱な腸が悪いんだ……って、うおおおおおおおっ! ヤバイ! くる! きっとくる!」
「ホラー観劇の定番科白はいりませんから、歩けるうちにさっさと行ってきてください!」
「俺が戻るまで待っててくれ! すぐ戻る! 必ず戻る! アイルビーバック!」
脂汗をかきながら、ニヒルな笑顔を向けたトワレテにレストの頬が引き攣る。
「いいから、はよ行けーーーーー!!!」
小刻みでぎこちなく歩きつつ自室に併設されたトイレに籠ったトワレテを見送って、レストは盛大に溜息を吐いた。
「あ~もう、本当に困ったちゃんなんだから。……でも何でか、大好きなんだから、私も相当困ったちゃんだわ」
「私もレストを愛している! 婚約者がレストで良かった! やっぱり私は運がついているな!」
呟きに返事がきたためレストの顔がボンっと赤くなる。しかしトワレテが入ったドアが微妙に開かれているのを発見して、こめかみに青筋を立てた。
「殿下! ドアは締めてしてください! てか、どんだけ地獄耳!」
「はっはっはっ! うぅ! ……また波が来た! レスト! この波を越えるまで待っていてくれ! やばい! この量、流れるか!? とりあえず、一旦流そう! ああ、やっぱり便器の色も髪色も断然白だな。レスト、愛している!」
「全然、嬉しくないんですけど!? 人の髪を便器の色にたとえないでくださいよ! それに鼻が曲がりそうになるほど臭いので早くドアを締めてください!」
「はっはっはっ! 照れるな、レスト。愛している!」
今日も今日とて王城に響く二人のやり取りに、王宮務めの者達は思考を無にして微笑を浮かべる。
この国の王子様は運がついている、らしい。だからこの国は今日も平和である。
私の腹もよく渋ります。それも今日はやめてぇという時に限ってピーピーになります。
こんな話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。