正義マウンティングする馬鹿者どもへ
正義マウンティングでしか己の存在価値を示せない若者。
愛ある人間関係もなく、仕事も嫌々やらされているだろうか、勉強も上手くいってなさそうで、部活動に熱を上げれてもいないし、オタクというほど趣味に没頭してもいない。
好きなこと、楽しいこと、夢中になれること、そういうのをまったく持っていないわけじゃないんだろうけど、実のところ真剣に向き合えておらず、到底真の友人とは呼べないようなお仲間付き合いの延長線上にあったり、刹那的な快楽として消費されるだけだったり。
自分が誇れるものってのがない。
だから、悪いことしたやつを叩ければ、そうすることによって己の優位性を示せるから、そしてまた一部の情けない大人たちからは褒められるので承認欲求も満たされるものだし、似たようなことしてる連中がつるむことで連帯感もある、我こそは正義なりという強固な思い込みによって柔軟な思考力を放棄しているので自分じゃ気づけない、説教してくるような奴の言いなりになるんじゃあ逆にマウンティングされているなと感じるものだから全く無視する……。
彼らは社会に受容されているようだが、実のところ阻害されていて、ともすれば被害者かもしれない、親がファシストだったり愛情薄かったりしてかな周囲の環境に恵まれていないとこうなりやすい。
突っ張りヤンキー、暴走族、ロックンローラー、一昔前はこういう集団を形成していたような類の子供たちだ。
しかし、かつてと比べ、昨今では天皇制ファシズムの勃興著しい時勢であるから、さながら小説1984年におけるオセアニアに洗脳され切った子供のような状態(つーかヒトラーユーゲント的だね)へ流れやすかろうし、インターネットメディアの偏った報道(というか扇動)に我知らずかな乗っかって流されてる、最悪はN番部屋事件のように悪魔的思想に傾倒することとすらなりかねない、そんなこんな冗談で済まないし更生困難だし、果ては半グレやヤクザに吸収されてアウトロー街道ひた走る人生を選ばされたりしちゃう。
実のところ、中には素直な子も居て、本当はただ認められたかっただけだったのかもしれない、純粋な気持ちを裏切られたトラウマがあって、捻くれてしまっていて。
どうだろう、そういう子は、ナイーブで、自省的で、いつか気づけると思うんだけどな。
親世代もそういう経験がある方々おられるかなと思う、だから自分の子供もきっとそのうちって、いい子だからって、そんなに悪い子じゃないからって。
社会情勢からしてその望みどれほどだろうかと思える、私は新高校国語教科書(出版社は東京出版だったかな、どれほどメジャーかマイナーか、何校に採用されているんだか調べなかったけど)に掲載された"ゲラダヒヒの平和社会"を知って戦慄を覚えたものだった、あんな情のない話が公教育の場で説かれるのかと思うと日本社会の先行きに暗いものを感じずにはいられなかった、ディストピアという想像が頭をよぎる。
そして、ああ、もちろん、根っからの悪もいるだろうな、権力に物言わせた利益分配集団(チンパンジー的)を形成してその中で地位を争いたがるような子、支配的で、一見優しい気持ちに見せかけた歪んだ父性や子供らしい甘えがあるだけで、そのうえで知性は乏しく精彩を欠いた下も下だ、先達諸兄――まだしも言い訳がましくかな詐欺を働いてかなそれでもなんだかんだ社会貢献しているような人ら――と比べてあまりにろくでもない、そんなのが。
悪いばかりなのがよろしくなくて、悪をやるってのは物のついでくらいなもので、こんなのに注力しているんじゃなくって、ほかにその人の価値を示すような本分があるからこそせめても人間性があるんだろうに。
なんだかんだ、悪いことはよくないなって、本心から気づける知性はあるだろうか、馬鹿は下も下だ、自嘲的なものは中くらいで、万事恥じるところのないものにはもう敬愛の念しかないものだが。
そういう、回り道が必要な子だった、そんな話もある。
そこに自覚的であるべきだと思うよ。
愛か知性か、極まっていくとどちらがどちらだか分からなくなっていくなあって感じる。
そんなに嫌な人ばかりじゃないって、そう思えたら救われるかな、でもほら私はかなりの仙人気質だから、他人との関りは最小限でもお腹一杯なので、たとえば集団ストーカーなんてされた日にはお腹下しちゃいますからね、勘弁してくださいよ。
あんまり追い詰められると妖怪になっちゃいますしね、天来馴染まん性分なんですよ?