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この当時のフェルガーナ地方のベグ達の中で大物と言えば、モグール人ではアリー・ドーストとミール・ギヤースのタガーイー兄弟などがいた。彼らは僕のおばあ様のイセン・ダウラトを通して遠縁の間柄だった。他にも、こちらもモグール人で馬管理官出身のカンバル・アリー、アンディジャーン出身のカースィム・カウチン・ベグ、ヴァイス・ラーガリーはサマルカンドの出だった。そしてなんといっても一番の大物は、宮廷長のハサン・ヤークーブだった。
豪快な人柄で、文武に優れて馬術の達人だった。ただし度量が狭くて何かにつけて傲岸不遜な、手に負えない人物でもあった。
僕が内城に入って数日後、招集を受けたベグ達が次々に入城しつつあった時、その中でも彼の到着だけは格別の重きをなしていた。既に予定の期日を越えていたとはいえ、その報を受け取った時の僕は、来るべき時が来たかとの心境だった。
広間に辿り着く遥か前から、遠慮のない足音が響いてきた。すぐに歓迎の意を表すことができるように、身構える。突風のように天幕を跳ねのけ入ってきた彼は、ひざまずくことなく僕の目の前まで進んできて、そこで初めて気が付いたとでも言うように、僕のことを見下ろした。
「若君の一番の家臣、ハサン・ヤークーブが参りましたぞ!」
一瞬、意も言われぬ空気に場が包まれる直前、やっと彼はひざまずいて大音声を発した。
「迅速な帰還に感謝する。忙しいところだったろうに」
「なに、ウマル・シャイフ様ご直々の命で重大な任務に携わっておりましたが、かような報せを聞いたとならば。取るものもとりあえず馳せ参じました」
その重大な任務とやらはマルギーナーン方面のただの略奪だったと聞く。おそらく受けた主命以上の熱心さを発揮していてこの到着となったのだろう。
「思えばウマル・シャイフ様の元で数々の難敵を打ち果たしてきたこの身、御身元から離れずにいれば、このようなことには決してなりませんでしたのに」
大げさに嘆いてみせる彼の姿は、一見演技のようには見えない。案外本当に悲しんでいるのかもしれない。
「父も頼りにしていたそなたの武功、ぜひ僕にも捧げて欲しい。そうすれば、父の葬儀も早晩執り行うことができるだろう」
「造作もないこと。攻め寄せてくる敵など全てこの私が打ち果たして見せましょう」
とりあえず顔合わせは無難に終わり、僕はそのまま城の補修に関する報告を受けていた。ある場所では壁を塗り直し、ある場所では出城を造ったりしていた。物資も滞りなく城内に運び込まれていて、全ては順調に進んでいるようだった。彼は部屋の端の方へ引き下がり、待ち構えていたように人だかりができる。曲がりなりにも有力者である彼に取り入ろうとする者達は、後から後へと引きも切らない。
僕はどうにかして気にしないようにしようと努力はしていたのだけれども、話は耳に届いてしまうし、つい様子を覗き見てもしまう。だいたい、ハサンの声が大きすぎるのだ。まるで遠慮というものがない。
漏れ聞こえてくる話題だって、割りに際どい内容だったりする。つまり、僕に対する印象を本人のいる場で述べているのだ。ここで一喝できなければ君主として失格なのだろうけれども、そのような芸当は今の僕にはとてもできそうにない。彼を取り巻いている連中はさすがにわきまえているようで、僕と目が合うと気まずそうに下を向いたりしている。
そうこうしているうちに、彼の声は段々に大きくなってきて、とうとうその場全員に向かって問いかける形になりつつあった。
「このような若年の君主を推戴することになった以上、今まで以上に我らは力を合わせてうんぬんかんぬん……」
いいことは言っている。本人の目の前でなければ。
その後の付き合いでわかったことなのだが、彼は特に何か深い理由があって傲岸な振る舞いをしているわけではない。何かを強く主張できる機会があると、一席ぶち上げずに我慢するということができない性分なのだ。かといって破滅的な願望があるわけではなさそうで、毎度問題にならないぎりぎりのところで引き返す繊細さも持ち合わせている。そしてそれを自分の影響力と思い込んでいるのだが、あながちそれが間違いでもないあたりが腹立たしい。
「君たちのような経験豊かなベグが仕えてくれて心強いよ。これからもどうか僕を支えておくれ」
僕としては、そう言わざるを得ない。それに、そのように考えていたのは本当のことだった。狙い通りの言質を手に入れた彼はにんまりと大きく笑い、対して僕はひきつった笑みで答えるのが精いっぱいだった。そばに侍るサンガクはもう噛みつきそうな顔でハサンのことを睨んでいる。彼のそんな顔を見るのは、初めてのことだった。
ハサンはその後も饒舌だった。屈託がないと言いかえてもいいくらい、本心を隠そうともしていなかった。そのように、平気で人前で内面を晒すことができる彼のことを、呆れると同時に、どこか羨ましく思わないでもなかった。