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異様な光景だった。
吹きすさぶ強風は相変わらず勢いを弱めることなく、物凄い速度で雲をちぎっては飛ばす。それが血のように赤く染められ、祝福されるべきである朝日なのに、禍々しい。
物々しい恰好の兵士たちが、足音も立てずにすれ違う。松明が、かがり火が、顔を寄せ合って何かささやき合っている男たちの横顔を照らす。ぬめぬめと湿った風景の中で、音だけが極端に絞られているかのようだった。
僕は半ば夢見心地のまま、広間にくぐり入った。閉め切られた室内にぎゅうぎゅうに詰め込まれた大人たちが一斉にこちらを向く。既に会合は長時間に及んでいるのだろう、すえた疲労が漂い、血走った眼差しは圧をはらんでいる。
僕は直ちに踵を返したい気分だった。身の置き所もわからない。それなのに、身体はふわふわと部屋の真ん中を横切ってしまう。段差を一段登った正面に、おばあ様が腰かけてらっしゃった。
「バーブル、こちらへいらっしゃい」
周りをモグールの若者たちにかしずかれ、おばあ様が手招きする。僕が小走りで駆け寄ると、立ち上がって、軽く抱きしめてくれた。そして耳元で
「ウマル・シャイフが亡くなりました」
僕は無言で頷く。そういえば、サンガクは口止めをされていると言っていた。驚いたふりをした方がよかっただろうか。いや、おばあ様相手に隠し事を通せるとは思えない。正直に振舞った方がよい。
「いつものように自分で鳩の小屋を手入れしていたところ、突然外壁ごと崩れ落ち、谷底まで真っ逆さまになったそうです」
おばあ様は一旦僕の身体を放しながら、言葉を続ける。僕の後ろに居並ぶ大人たちにも聞こえるように喋っているようで、ぴんと張られた声色は部屋の隅々にまでよく通る。このことを知ってか知らずか、部屋の中はどよめきで満たされる。
「あなたには、彼の後を継いでもらわなくてはなりません。私も、精一杯手助けをします。だから、できますね?」
少しだけ優しい、諭すような声色になって、聞き直される。わからない。と正直に答えたかった。
恥ずかしい話だけれども、その時は本当に何がなんだかわかっていなかった。生まれてこのかたずっと王子の身であったというのに、お父様の跡目を継ぐということを真剣に考えたことなどなかったのだ。
背後の大人たちが、失望混じりのため息をもらす。部屋の灯りが暗くなったように感じた。僕の中では焦りだけが膨らんで、泣きそうな気分になった。どう振舞っていいのかわからなくなり、すがるようにおばあ様を見つめ返すだけだった。
そのうちに、背後のざわめきが大きくなった。僕がやってくる前からそうしていたのだろうけど、お互いに大声で自分の意見をぶつけ合っている。そこには、僕に対する当てつけもあるだろう、本来だったら表立って口にしないような内容もたくさん含まれていた。
つまり、サンガクが事前に教えてくれていたように、サマルカンドのアフマド叔父に恭順するべきだという意見に加えて、アフスィで暮らしている僕の実弟のジャハーンギールを担ぐべきだと、そんなことを口にする者もいたのだ。
これは、二つの意味で驚くべきことだった。彼らがやろうとしていることは紛れもなく家を二つに割る行為であり、普段だったら口にするなど許されないことだった。それに、ジャハーンギールは僕よりも二つも年下だったのだから。
「静まりなさい」僕の肩越しに、おばあ様が叱責した。沸き立つ鍋に冷や水を浴びせたように、部屋は一瞬で静まり返った。
「アフマド・ミールザーが攻めてきますよ」
おばあ様の言葉に、部屋中がどよめく。どうやらこちらの方は本当に誰も知らなかった様子だ。
「彼らはフェルガーナに、このアンディジャーンに攻め寄せる機を探り続けていました。ウマル・シャイフの訃報もすでにサマルカンドに届いていることでしょう。彼らが、この隙をみすみす逃すことだけは、絶対にありえません」
揺れる松明に照らされて、壁に映る人影たちが、苦悩の形に折れ曲がっていた。絶望のどよめきが徐々に大きくなり、今にも溢れかえろうとしたその時
「うろたえるな!」
先ほどとは違い、今度は遠慮のない叱責だった。室内が水を打ったように静まりかえる。誰もが恐れの表情を顔に浮かべながら、ゆっくりと歩を進め始めたおばあ様のことを仰ぎ見ている。
「状況がわかっていない人がいるようですので、もう一度言います。アフマド・ミールザー率いるサマルカンドの軍勢が、やがてこの地に押し寄せます。そのような時に、あなた達が真っ先にやらなくてはならないこととは、一体なんでしょうか」
誰も、うつむいたまま、答えようとしない。この部屋から一歩出れば、一族を切り盛りしているはずの男たちが、まるで子供のように、お説教を受け入れている。
「この子を、バーブルを君主と仰ぎ、一致団結して脅威に立ち向かわなければならない。そうではありませんか?」
耳が痛くなるほどの静寂が場を包みこむ。もはや、おばあ様に異論を申し立てることができる者などいはしなかった。
「私イセン・ダウラト・ベギムと私を慕ってくれているモーグルの若党達は、志半ばで斃れたウマル・シャイフ・ミールザーの長男、バーブルを主君として戴くことを提案します。皆が私の意見に賛同してくださることを望みますが、不幸にして異論がある方がいらっしゃるなら、すぐさまこの場から立ち去っていただきたい」
皆が、おばあ様にむかってうなだれていた。おばあ様が片手を大きく振って僕の方を指し示すと、そのうなだれていたみんなは、お互いに顔を見合わせながら少し迷った末に、やっとひざまずいてくれたのだった。