第二十四話
「続いて、アフマド・タンバルを大ベグにすることで、この度の貢献に答えるものとする。」
突然自分の名前が呼ばれ、身体がびくっと反応してしまった。あらぬことに意識を取られていたことがバレやしなかっただろうか。
目の前には、俺の働きを讃えている少年王、バーブル様。
隣には、ほとんど離れ業とも言える戦果を挙げ、俺を第二位の座に引きずりおろした男、サイイド・カースィムの巨体がある。並んで立っているだけでも威圧感を与えるヤツだ。
居並ぶ顔の中に、当てが外れて悔しがっているカンバル・アリー様を見つけた。後ほど嫌味の一つでも言って来そうだが、こんな奴にどうやって勝てばいいんだと言い返してやりたい。
「両名とも、僕の下で成り上がり、ベグの座を得たばかりの者だ。
他の者たちも遅れを取らぬよう、一層に励むとよい。」
一方のバーブル様は上機嫌だった。
広間を出た途端、思った通りにカンバル・アリー様が近寄って来て、企みが不首尾に終わった嘆きを聞かされる。
そんなに悔やむくらいにイスファラが欲しかったんなら、バハードゥルなんて引き合いに出さずに要求すりゃあよかったじゃないか。下手に格好つけようとするからこんなことになるんだ。
カンバル・アリー様は、俺たちフェルガーナに住むモグール人の棟梁ってことになってはいる。覇気に欠けるところがあって、小者臭さを感じさせなくもないお人だが、不慣れな街の生活の中で色々とやらかしがちな草原の民を、なんだかんだでよくまとめている。
仮に俺がバハードゥルを獲っていたら、イスファラは彼が領有した上でモグールの家族ごとに再分配することになっていただろう。なんというか、王国の中にもう一つ小さな王国が存在しているようなものだ。
「確かに此度は不首尾に終わりましたが、程なくホジャンド方面へも出兵する運びになりましょう。
改めてそちらで得る土地を求めればよいのでは?」
「そうだな……。
あそこもアフマド様が進軍してきた際に、敵方に傾いたままだったな。
余力が出来た今、軍を解散せずにそちらに回すことも充分考えられよう。
一つ献策してみるとするか。」
まぁ、素直なところもなくはない。あっさり俺の言を受け入れると、ぶつぶつと呟きながら向こうへと消えていった。どこかで考えをまとめるつもりかもしれない。
カンバル・アリー様にせよ、他のモグール人にせよ、今のところはバーブル様を立てて行く気になっている。何かと嫌味を混えてバーブル様に絡みに行く彼にしても、面倒が起こらないうちにお伺いを立てに行っているに過ぎない。
俺には、そのことが少しだけ気に入らない。
バーブル様が年少で頼りにならないって言ってるわけじゃあない。
元をたどれば、モグールが彼の父親についていた事が気に入らなかった。
彼の父親、ウマル・シャイフ様は、大胆な策謀を用いる人だった。
ウマル・シャイフ様の兄アフマド様と、先代モグール王のユーヌス・ハン様と争っていた頃、ウマル・シャイフ様は兄の側に立ってモグールの拠点だったタシケントを攻めようとしていた。
ウズベクのシャイバーニーも一族を率いてアフマド様の側に立っていて、両軍チル川を境に睨みあっていて、いざぶつかろうとした時、突然ウズベク族がサマルカンド軍を襲い始めた。誰もがモグール軍と密約があったと思った。しかし、モグール軍は一瞬戸惑った後、サマルカンド軍ごとウズベク軍をめたくそに打ち破り始めた。
実際にどんな談合が合ったのかは、語られていない。だが、一番旨い目を見たのはウマル・シャイフ様だった。戦場に立って機をうかがっていた彼は、手薄になったタシケントに、易々と入城したのだ。
つまり、彼はアフマド様とシャイバーニーと、いっぺんにペテンをかけやがったのだと。誰の目にだってそう映る。
その戦で、モグールもサマルカンド軍も大勢死んだ。ウズベクなんて一族離散だ。
クトゥルク様の輿入れで手打ちは済んだといえ、いまフェルガーナに住んでるモグールも、家族を失ったってやつは少なくない。
なのに、みな気を取り直して心機一転がんばっていこうなんて雰囲気だ。
別に戦で死ぬのは悼まれることなんかじゃないし、バーブル様にまで非があるとも言わない。
だが、怒りまで忘れちまうのはどうなんだ。
戦を経験してるはずの年寄りほど、無かったこととして済ませたがる。
若者の多くも、特に何も思っていないか、そもそもそんなことを知らないかだ。
俺のように不満を持っているやつはほとんどいないし、持っていたとしても口にすることは出来ない。
不満?家族を失った悲しみ?それともむざむざと騙された事に対する怒り?
俺の胸に渦巻いているこれは、そんなことなのか?
いや、どれも違う気がする。そうか、俺は、ウマル・シャイフ様が羨ましかったんだ。
己の謀略一つで戦場を塗りつぶし、次々に領土を切り取る。
俺がバーブル様の立場だったなら、こんな小競り合いで汲々としたりせず、サマルカンドを即座に落としてやるのに。
そんなことに今更気づいて、けれども、胸のつかえがとれて、爽快な気分だった。
今、俺の顔に浮かんでいるのは凶相だろうか。
じっと立ち尽くしたままの俺を、一人の小者が不審そうに眺めていた。
俺は即座に顔の表面だけで笑顔を作り、そちらに顔を向けてやった。
そいつはそれを見ると、ほっとしたような様子でどこかへ歩いて行った。
俺も、行き先が思い当たらないままに、足を踏み出すことにした。
作った笑顔を顔に貼り付けたままで。




