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第二十二話



 カンバル・アリーという男が僕の幕下にいた。モグールの生まれで、元々はユーヌス・ハンのそば仕えをしていた。その後馬郡管理を任せられるようになり、お母さまの輿入れに付いてフェルガーナに移り住んで、お父さまのベグとなり、僕の下で大ベグまでになった。


 今やフェルガーナのモグール人の顔役であり、僕の宮廷でも押しも押されぬ立場にある。支配する地域もかなりのものだし、なぜかおばあさまの覚えまでいい。そんな人物なのだが、僕は、苦手だ。


「どうもどうも、ご主君様。

ご機嫌はいかがでしょうかね。」


 モグール人の取り巻きを引き連れて、揉み手をしながら、嫌な笑みを顔に浮かべてねっとりとした口調で話しかけてくる。


「被害が出ているのに機嫌がいいわけもないだろう。

それで、今度は何の用だ。」


「おっと!言われてみれば当然のことでしたな。

今回の戦闘では我らモグールの兵からも犠牲者を出してしまいました。痛ましいことです……。」


 身振りも顔つきもわざとらしいせいで、どうも心からそのように言っているようには感じられない。どうせここから何か面倒を言い出すのだろうな。と思うとなおさらうんざりした気分になってくる。


「そうそう!

このような被害が出たというのも、着いて早々ろくに地形を確かめもせずに城に張り付こうとした事が原因なのは周知のこと。

手配をしたマウラナーイェ殿に責任を取らせるというのも、実に理にかなったお話。

いえね、ここだけの話、私は別にマウラナーイェだけに咎があるとは思ってはおりませんよ。しかし、やはり彼は責任を取るべき立場におられる方なわけで、あのような処置を取られたのはやはり英断というべきか……」


「何が言いたいのかな。

先生…マウラナーイェへの処分が軽すぎるとでも言うつもりか。

だとしたら不遜、」


「いえいえとんでもない!

バーブル様の裁可に口をはさむつもりなど毛頭……。

しかし、戦死した兵たちのことを思いますと、どうにも。

少しだけ考えていただきたいのですが、果たして彼らはあのような場所で命を落とすのが妥当だったと言えますでしょうか。」


 そのことを言われるとなんとも弱る。なぜなら、僕とて同じことに思いをはせていたわけであって。


「モグール達の間で不安が広がっております。この先同じように使い潰しにされるのではないか、おっと言葉が過ぎましたね、しかし彼らはそのような言い回しで自分たちの内心を語っております。ともかく、そのような気持ちを抱えたまま、ともに馬を並べて戦っていては後々災いの種にならないとも言い切れません。」


 出た。と僕は思った。

これは彼らが好んで使う手段だった。戦のさなかで不満を並べ立て、報酬が上積みされないと兵を退くと脅してくるのだ。僕の軍勢の少なくない部分をモグールに頼っている現状、それだけはなんとしても防がねばならない。


「だったらどうせよと申すのだ。新たに土地をよこせというのなら無理な話だぞ。

ハサン・ヤークーブの出奔後、フェルガーナは再編成されたばかりだ。今すぐ組み替えるというのは混乱を招く。」


「いえいえ、何もそのような面倒をなさらなくとも。

目の前に空白となっている土地があるではないですか。

イスファラのダルガはイブラーヒーム・サールーに脅されてでしょうが、今は反乱軍に与しております。

これを平定した後、すんなりと元の鞘に収めるわけにも行きますまい。

そこで、この城攻めにて一番の功労者となったもの、すなわちバハードゥルを獲得した者に、イスファラを与えるというのはいかがでしょうか。」


 わが意を得たり!とばかりにカンバル・アリーは畳みかけてくる。

バハードゥルというのはモグールに伝わる風習であり、その戦で最も勇敢だった者が最初の分け前を得ることができる、勇者の分け前という意味の言葉だ。

モグールの伝統をことさらに主張するのは、バハードゥルをモグールのうちの誰かが獲れるだろうという自信の表れだろうし、あらかじめその言葉を周知しておけば、いざ獲れた時になおのこと栄誉を誇ることが出来る、という算段だろう。


 なるほど彼の言葉には道理があり、僕としても彼らモグールがさぼらずに攻城戦に励んでくれるのは願ってもない。彼の口車にまんまと乗せられるのが、若干面白くないところであるが。


「では、此度の戦の勇士にイスファラを与える。

明日にでも全軍に布告することにする。精々励め。」


「ご英断に感謝いたします。

我らモグール、誓って一層の奮迅をお見せしましょう。」


 イスファラ攻城戦の結果にて、バハードゥルが与えられる!

このことは僕が思っていたよりも皆の心に強い印象を与えたみたいだった。まだ始まってない戦においてバハードゥルを約束するというのは、あまり褒められることではない気がするし、何より分け与えることができる土地というのも、無限にあるわけではない。

なのだが、突撃の開始を今か今かと待ちわびて、雄たけびを上げながら自分たちの所属を表す幟をたなびかせている軍勢の姿を見ていると、毎回でもこれをやってやりたい気分にもなってくる。

結局、王というのは自分の家臣達に分配してやれる、十分な土地を所有するというのが第一なのだ、ということを実感させられる。


「バーブル様、そろそろよろしいか。」


鎧を一部の隙も無く着込んだカースィムが声をかけてくる。


「あ、うん。始めるとしようか。

……というか、お前もバハードゥルは狙うと言っていなかったっけ。こんな後ろに陣取っていて大丈夫なのか?」


「なんの。どうせ開戦直後は思うように進めずに混戦となりましょう。

一当たりして、戦場が多少落ち着いたところを見計らって、一気に突き抜けるつもりでおりますれば。」


「そうか、好きに振るまってくれて構わないんだけど、くれぐれも不覚だけは取るなよ。若くはないんだから……。」


 まぁ、ひょうひょうと受け答える彼の様子から、彼がどこまで本腰を入れるつもりなのかは掴みきれない。僕は高台に立ったまま、右手を高くかざし、全軍が息をのんで視線を注ぐのがわかる。先ほどまで鼓舞のつもりか、あるいは勝利を確信しているのか、激しく輪乗りをしていたモグール達も足を止めて注視している。空を切るようにして、右手を下ろす。その途端に、騎馬が、歩兵が、剣や刀や槍や盾を持って丘を駆け降りる。

比喩などではなく、実際に大地が轟きうごめいているのが、足裏から伝わってくる。


「すごいな、これは……。」


 これを僕が指図したのかと思うと、じんわりとした興奮が湧き上がってくるのを感じてしまう。


 真っ先に抜け出したのは、やはりモグールの面々だった。

アリーの息子、ムハンマド・ドーストが手綱を馬体に叩きつけながら全力疾走をすれば、近頃売り出し中のアフマド・タンバルが低い騎乗姿勢で猛追する。

敵はたまったものではないだろう。初日に策がはまり、相手の出鼻を挫くことに成功し、この先も行けるかもと希望を持ったところに、この猛攻撃だ。

先だって籠城戦を経験した身としては想像するだに怖気が振るう展開だが、同情するわけにはいかない。

再び視線を先に向けると、一番槍が敵陣に突っ込んだあとと見えて、もうもうとした土煙が立ち上っていた。



 この日、アリー・ドーストも刀を振るった。アフマド・タンバルも刀を振るった。

カースィム・ベグも、カンバル・アリーも、進んで刀を振るったが、この日バハードゥルを獲たのは意外な人物だった。


 先鋒同士が衝突し、一通り斬ったり斬られたりし合ってるところに、僕の方の陣営の一隊が追いつこうとしていた。カースィムでもあるまいし、漁夫の利を狙う輩が他にもいたかと思ったが、鈍重な動きを見るにそのような意図はなさそうだった。いかにも重そうに大槌を構えながら、のそのそと前線に加わり、


……ぶうんと一振りするや否や、敵兵の四、五人は吹っ飛んだだろう。

離れた場所にいる僕でさえぎょっとしたのだ。対峙していた敵兵はもちろん、馬を並べていた味方の兵までもが、あっけにとられた顔を彼に向ける。それを一顧だにせずに、まるで重たい荷物を担ぎなおすかのように、再度槌を振るう。その姿勢に崩れはない。彼を支えている、馬の方がたたらを踏んでいることで、やっとその重さが見て取れるくらいだ。少し遅れて、鈍い打撃音がここまで届く。


 そのような動作を何度か繰り返すだけで、いつの間にか彼の一隊は敵陣のかなり奥深くまで斬りこんでいた。別段気負って突出しようとしている様には見えない。農夫が邪魔な下草を刈り込んでいるだけ、一見そのような当たり前の風景に見えかねないあたりが異様さを際立たせていた。


「おい、あのすごい勢いで攻め進んでいるのは……。」


「あの幟はサイイド・カースィム殿の部隊ですね。

新たにベグになられた。」


 もちろん、その男の顔を知らないわけではない。口数の少ない大人しい男で、その巨体と相まって牛のような印象を受けたのを覚えている。まさか、このような武を見せられるとは思っていなかった。


 戦場は完全に彼を中心にして回りだしていた。それこそ鋤を引く牛のように、ゆっくりと、着実に前に進む。ベグ達は彼が開けた穴にねじ込むようにして兵を続けるが、追いつこうはずもない。

しまいには誰も彼の前に立つ者がいなくなり、その代わりにということではないのだろうけれど、彼は大きく振りかぶった槌を、城門へと叩きつけた。一際大きな音が、あたりに鳴り響く。


誰がバハードゥルを獲るべきか。知れたようなものだった。




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