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第二十話

モグール人の国、モグール・ウルスは、かのチンギス・ハンを祖とする遊牧民の国家だ。

この世全ての価値ある土地を、ナイル川のほとりは取り損ねたとはいえ、その手に収めた彼の子孫たちは、遊牧民の宿業と言えなくもない、内紛と裏切りを繰り返し、いくつかの国家に分裂した。

勢力を弱めたとはいえ、それらはそれでも大帝国と呼ぶにふさわしい規模と威容を兼ね備えていた。やがてその中から僕の祖先、ティムール・ベグが現れマー・ワラー・アンナフルを統一し、その北東部に隣接するアルタイを本拠にしていたモグールもその傘下に収まった。

ティムールの死後、やはり内乱と分裂に帝国が悩まされ始めると、モグール人は再度自らの国を立ち上げるべく、傘下から独立したのだった。


ところで、遊牧民というのは新興の勢力の方が強力である傾向が強く、新興の勢力というのは、常に辺境の地から誕生する。北方であることが多い。

帝国から独立したモグール人たちは、基盤は堅固であったものの、もはや純粋な遊牧民であるかと言えば疑問であった。支配者層には都市に居住している者も多かったし、イスラームによって教化されている者も多かった。

彼らは、新興の騎馬民族、例えばカザフやウズベクといった部族に押され、草原地域からオアシス都市周辺での生活を余儀なくされた。


そういった事情のあるモグール・ウルスであるが、現在の大ハンこそが僕のおじであるマフムード・ハンであり、彼の弟であるアラチャ・ハンが、小ハンとしてトルファンを治めていた。


さて、そんな彼らの下に、おそらくはヒサール派閥とそりが合わなかったのだろう、サマルカンドの一部のベグ達が招き入れる意向を示し、マフムードおじ様は、サマルカンドへ向かって進軍し始めた。

モグール・ウルスというのは、今なおチンギス・ハンから続く風習を数多く残しており、特に軍容は往時そのものの姿である。そう聞くと稲妻のような勢いで敵に攻めかかるのかと思うかもしれないが、実はそうではない。モグールは、進軍を開始してからも、勝利を確信できるまでは急いで攻めかかることはしない。この時も、カンバーイという土地にユルトを張ると、機が熟するのを待つことにした。


そうこうしているうちに、ヒサールからバイスングルが到着してしまい、サマルカンドの内部では彼の政権が発足してしまった。一方で、モグールの方にも、マフムードおじ様の乳兄弟キョケルダシュであるハイダル・ベグが参陣し、体制を万全にした。


かくして、両者はカンバーイの地にて激突することになったのだが、若き皇帝バイスングルを先頭とする、サマルカンドとヒサールのベグ達の意気は天を衝くばかりだった。

モグールの先陣を務めるハイダル・ベグは、騎馬を降りて塹壕を掘り、弓と銃で迎え撃つ選択を取ったのだが、重装甲で固めたバイスングル軍の騎兵に蹂躙の限りを尽くされることになった。

緒戦の惨状を目の当たりにしたモグールの大ハンは、それだけで勝機なしと判断し、あっさりと軍を戻すことを決定した。かくしてバイスングルはその初陣を大勝利で飾り、彼の大テントの面前で、とらえたモグール兵の斬首を行った。

その数があまりにも膨大だったせいで、あたりの地面が血でぬかるんでしまい、全て斬り終えるまでに三度もテントの位置を変える必要があったほどだと言う。


そのような知らせが、台座に腰かけた僕の下へ次々ともたらされた。

喜ばしく、ないわけではない。だが、今の僕たちは、次々と頭首が交代するおかげで棚上げされているものの、サマルカンドとは敵対している状態だ。マフムード・ミールザーの時のように、あまりに混乱を極められるとこちらも困るのだが、万全になられると、こちらに目を向けられる余裕ができてしまうわけで、それはそれで芳しくない。


早々に恭順の使者を送り、関係を修復すべきか、あるいはもう少し様子見をすべきか。議論はすれど、結論は出ない僕たちを、新たな事件が驚かせることになる。



「イブラーヒーム・サールーという名前の若者でして。ウマル・シャイフ様の下で小者をしていた男なのですが、些細な失敗をとがめられまして、宮廷を追放された過去がございます。」


ハージーとサンガクに鎧をつけさせている僕に向かって、カースィムが報告する。


「イスファラ城で暮らしていたようで、金曜礼拝の折に、フトゥバにバイスングル様の名前を読んだと。

もちろん騒ぎになったのですが、あらかじめ手を回していたようで、彼の手の者が瞬く間に鎮圧し、イスファラのダルガを捕え、今は街ぐるみで我らに反抗の意を示しております。」


モスクで集団礼拝を行う際に、指導者であるイマームがフトゥバという説法を行うのだが、その中で神の御名に続いて主君の名を唱えることになっている。イスファラにて、その部分で僕の名前ではなく、バイスングルの名前を唱えたことによって、彼らは叛意を露わにしたことになる。


「バイスングルの手引きだと思うか?」


「いかがでしょうか……。そうであるならば、即座に呼応してもおかしくないと思われます。

イブラーヒーム・サールーが博打を打つために、バイスングル様の名前を使っただけかも知れません。」


「だとしたら、甘く見られた物だな。

大した後ろ盾もない癖に、僕相手ならば城を守れると踏んだわけだ。

……まぁ、実際僕には、城攻めどころかほとんど全ての合戦の分野において経験がないわけだが。」


「マウラナーイェ殿がいる限りは、あの方にお任せしてしまえば問題ないでしょう。

それに、城攻めなどちょっとやそっとの経験などでどうにかなるような物ではござらん。

とりあえず囲んでみて、相手が根負けするまで待つ。大体がそのような物ですぞ。」


そのように気楽に考えることができるようになることが、既に経験のあらわれだと言えなくもないし、そもそも彼自身が全軍を率いるわけでもないわけで、僕は彼の言葉を鵜呑みは出来なかった。

幸い、そのイブラーヒーム・サールーとやらが謀反を起こしたのは春だったので、休戦期に入るまでにはまだまだたっぷりと時間がある。


シャーバーン月(1495年4月)、僕たちは、イスファラに向かい、乗馬したのであった。


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