第十七話
僕のもとにマフムードおじ様からの使者がやってきた。
おじ様の長男のスルターン・マスウード・ミールザー、つまりは僕のいとこであるんだけれど、彼の婚礼の引き出物を届けに来たという事であった。
アーモンドとピスタチオを形どった見事な装身具だったのだけれども、彼が運んできたのはこの装身具だけに留まらなかったようである。
「実はあの使者、ハサン・ヤークーブの親族であるようでして、またバーブル様の下を訪れる前に彼の屋敷に入っていくのが目撃されておりまして……。」
「またか……、さすがにそれも街の噂で聞いたと言い張るのは無茶じゃないのか?」
「それは大した問題ではありますまい。大事なのはその会談の内容でして……。
使者は直接にマフムード様の陣営に与するよう詰め寄ったそうです。ハサン殿は言を左右にして直接は答えなかったそうですが、最早これは……。」
「……それが仮に本当だったとしても、やはり今すぐには動けないよ。
処断する口実としては弱い気がするし、何より捉えようとして、感づかれでもしたら面倒なことになってしまうし。」
「弱腰であるとは言いますまい。私としても形ある証拠を押さえたわけでもないですしな。
しかし、彼の性分です。増長を続ければいずれあちらの誘いに応じることになるのは間違いないかと……。」
確かに。宮廷長として任命されてからおよそ半年、彼の増長は歯止めがかからなくなっており、僕とだけではなく他のベグ達との間にも様々な軋轢を引き起こすようになっていた。
それは彼の元々の資質である小心さからすると不自然な程であったのだが、裏にそのような密約があったのだとすれば、腑に落ちないこともない。
「アフスィの行政官を任されているウズン・ハサン殿曰く、アフスィで過ごされている弟君、ジャハーンギール様を擁立しようとする一派がいるとのこと。」
「うん、それは先生から聞いた。
ウズン・ハサンは先生の熱心な弟子でもあるからね。連絡は密に交わしているようだ。
でも、担げる神輿があるから集おうって連中はどうしたって出てくるらしいじゃないか。
片端から処断するわけにもいかないし、まさかジャハーンギールをどうかするとは言わないよね。」
「まさか、そのような事は申し上げませぬ。実際に行動せぬ限りはどのような派閥を作ったところで国は乱れませぬ。
ただ、ハサン・ヤークーブだけはサマルカンドと通じてしまっている。
サマルカンドの意を受け、バーブル様を追放してジャハーンギール様を擁立する。その結果フェルガーナは丸々マフムード様の影響下に入ることになる。立役者のハサン・ヤークーブは立身出世思いのままでしょうな。
それがこの密約の目指すところであるかと思います。
内容については信じろとは申し上げませぬ。ただ、通じていることのみをお考えいただければ。」
カースィムは珍しく頭を下げたまま話を続けている。ランプの光が、その横顔を赤く照らしている。
この位置からだと、彼の頭頂部も見下ろすことができる。何を思うでもなしに、しばらくそのままでいた。
「……ホージャ・マウラナーイェ・カーズィー、ウズン・ハサン、アリー・ドースト・タガーイー、そして私カースィム・カウチン。
祖母様であられるイセン・ダウラト・ベギム様のご意見を伺うことをお勧め申し上げます。」
「わかった。手配してくれ。」
「かしこまりました。近いうちにご足労願うことになります。」
結局、これが政争というやつなんだろう。
その晩、僕は寝室で横たわりながら一人考えた。
ハサン・ヤークーブも、カースィム・カウチンも、ウズン・ハサンも、アリー・ドーストのやつも、お互い助け合うことを目的に生きているわけではあるまい。僕の、あるいは神のためになることは積極的に為そうとするだろうけれど、自分以外の重臣が立場を強くしていくという事は、とても歓迎できるところではないのだろうと思う。仮に自分が陣営内での争いはしまいと心に決めたところで、立場が上になった相手が自分を害そうとするのではないか、などと考えが及んでしまうこともあるわけで、やはり誰よりも強い権力というものに人の心は惹きつけられるものだ。
ハサンは、衆群の中でもとりわけ立身を遂げた。元々の立場も高かったのだが、先の会戦での貢献も大きかった。今のその立場は、他に並び立つ者もいないくらい。
しかし、失点も多い。人格者でもない。同僚たちとの軋轢も目立っている。
そこらへんを、付け入る隙と、彼らはとらえた、のかもしれない。少しうがちすぎだろうか。
僕はため息とともに寝返りをうった。薄い、しっとりとしたシーツが月明かりに波を打っている。
出来るのならば、彼に直接会って問いただしたかった。
もちろん、彼は、そのような事実はないとしか答えないだろうし、それをしたら、両者の間には、結局決定的な亀裂が入ることになるだろう。
「あの頃だったら出来ていただろうな……。」
半年前の、野を黒く染める軍勢に、激しく攻めたてられていた籠城戦。
あの時、皆がい揃っていた広間でなら、このような疑惑は率直な言葉で問いただされていただろうし、彼もあの大声でがなり返して来ただろう。
あんなに皆の心がまとまっていたというのに、季節が一つうつろうだけでこの有様……。お父さまが王であった時は、常にあの籠城戦の時のように、宮廷も一つにまとまっていたのだろう。つまり、今、この事態を引き起こしているのは他でもない、僕の力不足が原因だ。
眠らなければならないとわかっている時ほど、それは訪れてはくれない。
僕は月の光、星の瞬きすら煩わしく感じながら、いつまでも天井を見上げていた。




