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第十六話



彼が執り行ったサマルカンドでの統治は、その性質と才覚を同時に垣間見せる歪なものだった。

まず、財務において非凡な資質を発揮した。その座に就くや否や帳簿管理を徹底して行い、小麦の1デュラム、銀貨の1ディーナールといえども彼の目をすり抜けることは不可能となった。最もこれはアフマドおじ様の下で好き放題に利益を貪っていたタルハン族を始めとするベグ達にとっては歓迎出来ないことであったかもしれない。

厳格な法治もイスラーム法に基づいたものであった。民も兵もそれを破ることは決してなかった。


ただ、彼の本質はあくまでも残忍なものであり、慈愛や寛容などからは程遠いものであった。

まず、貧民や力なき者たちの守護者であるナクシュヴァンディー教団にまで租税や兵役を課したことだけはいただけない。ホージャ・ウバイドゥッラー猊下が遺されたご子息達にすら苛斂が及ぶようになったのだから。


何より彼自らの行いが圧政と堕落を体現していた。

多くの稚児を囲っていた。領内に美しい若者がいると聞くと、あらゆる手段を講じて自らの物にしていた。この厭うべき風習は彼の統治時代に大いに広がり、稚児を世話する事がかえって美徳であるかのように扱われる始末だった。


サマルカンドの兵や民やベグ達はこれらの所業を憎み、徐々に心が離れていったのだが、それでもなおサマルカンドを統治し続けられていたのは、偏に彼がヒサールから連れてきた従者達が精強であったからに過ぎない。

その従者達も主君と同じ性質、すなわち暴君で好色であるところを備えていた。


ホスロー・シャーという名の重臣がいた。

元々は卑しい身分の出身で、タルハン族の小姓、人によると本当は稚児であったという話であるが、そのような扱いだった。その後マフムードおじ様に主替えをし、いくつかの功績をあげてその寵愛をほしいままにするようになった。

アムダリア河畔からヒンドゥークシュ山脈に至る広大な領地をダル・バスト地として与えられ、従者だけで5,6000人を数えていた。

気前が良く施しは優れていたと言うが、腹黒くみだらな、恩知らずで愚かな男であった。彼がサマルカンドで取ったとある愚行が次のようなものであった。


彼の下に一人の男が訪ねてきて言うことには


「あなたの従士が私の妻を力づくで連れ去ってしまったのです!すぐに調査して妻を私の下に戻すよう命令して下さい!!」


ホスロー・シャーの邸宅は豪壮で、同時に悪徳に満ちていた。

誰も彼もが酒杯を手にしながら、そのうちの少なくない者たちは淫らな恰好をした女性を伴いながら、ホスロー・シャーに向かって跪いている自分に遠慮ない視線を投げかけてくる。

このようなところに妻が連れ込まれでもしたら……。と男は気が気でなかった。


「お前さんの妻ねぇ……。

見たところあんたもそう若くはないようだし、連れ合ってまだ日が経っていないってこともないんだろう?」


ホスロー・シャーは両側に若い女を侍らせながらソファに深く座ったままだった。

そして右手には酒杯を握り、女が差し出す果物を口に含みながら不可解な質問を投げかけてきたのだった。


「はぁ、私と妻が結婚してからは十数年が経ちますが、そんなことはどうでもよろしいでしょう。

連れ去った従士の風体も分かっているのです!すぐさま正義がなされるよう取り計らっていただきたい!!」


真剣な面持ちで詰め寄る男を、ホスロー・シャーはつまらなそうに手を振って下がらせ


「十数年も一緒にいたのならもういいだろう。

数日くらいは俺の従士に貸してやってくれないかね?」


男はあっけに取られてしばらくは物も言えない様だったが、やがて彼の言葉が理解出来るようになると今度は怒りで我を忘れそうになる始末だった。


「そんなことより、もういいかね。俺もそろそろ出かけなきゃならないんだ。

新しい稚児を手に入れたくなったもんでね。」


民もバザールの商人達も、まだ髭の生えそろっていない若者達は彼の一行を恐れて家から出ようともしなかった。

平和で穏やかに統治されていたはずのサマルカンドは、今や圧政と暴虐に包まれつつあった。

そしてその魔の手は僕の治めるアンディジャーンにまで伸びてくるのであった。



お父さまの葬儀が済んだ後、僕は配下のベグや若党達の序列や職務、あるいは所領をどのように振り分けるか考えることに没頭していた。

戦前からの地位と、そして籠城戦での功績も鑑みて、ハサン・ヤークーブにアンディジャーンのハーキム職(行政官)とイシク・ヤーガー(宮廷長)の地位を与えた。

オシュをカースィム・カウチンに定め、アフスィとマルギーナーンにはウズン・ハサンとアリー・ドースト・タガーイーにそれぞれ任命した。

これらの人事は妥当であったように思う。実際人々も満足して任地に赴き、あるいは職務に就いていた。


お父さまの代に続き僕の陣営でも引き続き筆頭の地位を占めることになったハサン・ヤークーブだが、その地位を笠に着る言動が目立つようになって来ていた。最もそれは今に始まったことではなく、時おり僕をも軽んじる発言を常々垣間見せるのは僕や周囲に対するけん制の意味を含んでいることは周知の事実だった。

例えば僕のことを幼君と言ったりする。他の者が口にすれば失言として叱責されるところなのだが、もちろん彼が言ったところで失言にかわりはないのだが、彼に面と向かってそれを言われてしまうと僕としては簡単に面罵するわけにはいかなくなる。彼の面子をいたずらに傷つける事態は避けたいところだし、仮に開き直りでもされようものならとてつもなく面倒なことになってしまう。

彼としてもそのことは織り込み済みであえて失言しているのだろう。そのようにして僕を、あるいは周囲の人間を威圧することが目的なのだと思う。

だからしばしば混じる彼の失言に対しては、内心をぐっと飲みこんで貼り付けた笑顔のまま対応しなければならないのであった。


「ところが事はそれだけでは収まらなくなりそうな気配があります。」


カースィムに任せたオシュの地はアンディジャーンから南に下ったところにあり、山脈越えの街道が始まろうとしている地点で豊かな自然に恵まれた地なのだけれど、彼はその経営を自分の一族に任せたきり僕の下に留まっていた。


「だからと言ってまさか謀反という事もあるまい。

彼はああ見えて小心だよ。大それたことをする勇気までは持ち合わせていない。」


これは先生による彼の評でもある。

僕だけが感じたの印象だったとしたら、ここまで信じ切ることは出来なかっただろうと思う。


「サマルカンドのマフムード様から彼の屋敷へ遣いが参ったとのこと。」


「なんだいそれは、密偵でも飼っているのかお前。

まさかまた街の噂で仕入れてきたとか言わないだろうな……。」


「マフムード様からの遣いというのは予断が入っておりますが、サマルカンドから度々早馬が入っているのは確認できております。

いかにも不自然でありますれば、街の噂にもなろうという事でしょう。」


「であったとしても……、それだけじゃとても彼を問い詰められるとは思えない。

先生が戻ってきたら相談するにしても、多分同じことを言われるんじゃないかな。って思うけど……。」


「とりあえずはお心に止めておいて下さればそれでよろしいかと。

私の方でも引き続き注視しておきますので。」


「なんだかなあ、勘弁して欲しいよ、全く……。

やったことがないことだらけでどうしていいかわかんないもの……。」


最もこの座に腰かけている限り、未知なる事件というのは無限に降りかかってくるものである。



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