第十五話
サマルカンドへ帰還中のアフマドおじさまが病に倒れたとの一報が入った。
和平から2,3日後のことだった。突然意識を失い燃えるような熱が出ているという。
その後程なくしてウラ・テペの地にてこの世を去ったことを聞かされた。シャッワール月(7月)のことだった。44歳の若さだった。
この度の戦があのような決着の付き方をしたのは彼の失態によるところが大きいと見る向きもあるわけで、不自然なほど突然訪れた死はあるいはもしや。との疑念も持たれたのだが、先生曰く
「今さら彼を除くことによって巨利を得る人物があるかと言うとどうかと……。
あの方は、その……、上にいだいて下で好き勝手やる連中にとっては都合のよい君主でありましたし……。」
言葉を選ぼうとしてはいたが、要は担ぐに軽い神輿であったと言いたかったのだろう。
そしてそれは僕が置かれた状況にも当てはまる事であって。今なお僕を幼君と侮り軽く扱おうとする連中は引きを切らない。
思えば気の毒な人ではあった。
父であるアブー・サイード・ミールザーから領土と皇帝の地位は遺されたものの、治めるに必要な資質を受け継ぐことは出来なった。兄弟たちは野心を隠そうとせずに各地で蠢動し、部下であるベグ達も堂々と私利を貪る始末であった。
その有様は諸王の王であるとはとても言えず、彼自身が数あるベグのうちの一人でしかないようなものであった。
ハナフィー派の正統な信仰をお持ちで、ナクシュバンディー教団のウバイドゥッラー猊下に師事していた。一日五度の礼拝を怠る事はなかったという。例え飲酒をしていたとしても。
晩年はかなり深酒をしていたようで、それが彼の命を縮めてしまったのかもしれない。公正で誠実で、人見知りな方だったという。
実は僕が五歳の時にサマルカンドの内城でお会いしたことがあり、その際に彼の娘と婚約を取り交していたのだが、そのことについてはいずれ語ることになると思う。
とにかく。
彼のベグ達は、アフマドおじ様の弟であって、つまりは僕のおじ様のうちの一人でもある、スルターン・マフムード・ミールザーを迎えることで事態を解決しようとしていた。
彼はその当時、サマルカンドから山脈を隔てた向こう側に位置するヒサールという領地を治めていた。
ベグ達の遣いは、バダフシャンの険しい山道をひたすらに踏破しマフムードおじ様の招来を請うと、かねてより野心のあった彼は直ちにヒサールを出立した。
その頃、やはり王族の一人でサマルカンドからほど近い領地にオルド(軍営)を築いていた、マリク・ミールザーという男がいたのだけれども、彼もやはり野心を持って兵をかき集めてサマルカンドに入城しようとしたらしい。
しかし彼自身の評判であったり、また、その時集めた兵というのが質の悪い、いわばゴロツキやならず者に過ぎない者どもであったらしいこともあって、サマルカンドの民やベグ達は彼を城内へ入れようとしなかった。
その後マフムードおじ様が悠々と到着し、こちらはなんなく内城へと入ることが出来た。つまり王位に就くことが出来た。
「そっかあ。それならサマルカンドは当分安泰かな。
僕たちも早めに使者でも出して関係修復を図った方がいいのかな。」
僕はカースィムを対面にチェスを指しているところだった。
彼はこの手のゲームに滅法強い。理由を聞くと、儂は文字を読まないからその分余裕をもって他のことを考えられるのです。などと言っていた。無茶苦茶だと思う。
「それがなかなかどうして。
着任して早々に行ったいくつかの事柄がサマルカンドの民の混乱を招いている模様で。」
僕が考え込んで打った手を即座に切り返しながら彼は言った。これはまた長考になりそうな展開だ。
カースィムは僕のそばに侍っていない時は常に街中を出歩いている。そして出会う人出会う人片っ端から話をかき集めているそうだ。
これもまた文字を読まないからこその習性だとか言っている。僕はただ噂話をつまみに酒を飲んでいるだけなんじゃないかと疑っている。
「そう。例えば?」
「マフムード殿の前にサマルカンド入りを企んだマリク・ミールザー殿。これはまぁ仕方のないことなのですが、その他にも野心ありとの咎で四人の王族たちを処刑、あるいは幽閉したとの噂が……。」
彼は続いていくつかの名前を上げ、僕はそれらに心当たりがあった。思わず盤面から顔を上げてカースィムを見上げてしまう。
「彼らはとても王権に手を出せるような立場の人間ではなかったはずだ。王権に野心あり?本当だとは思えない……。」
「サマルカンドの民たちも不当な処刑であったと考えているようです。おそらくはアフマド殿の苦境を遠くから眺めていた結果、最初に強権を発揮してベグ達の行動を押さえつけようと狙ったのではないかと。」
「アフマドおじ様の苦労は確かに見ていて気の毒ではあったけど……、それを恐れて乱暴な手段を講じてしまっては元も子もあるまい。どうも残忍な性分をお持ちの方のようだ……。」
「儂はバザールを通りかかった行商人をとっつかまえて話を仕入れましたが、いずれマウラナーイェ殿が正確な一報を持ってくることでしょう。なんにせよ話はそれからになりますな。
……まぁ、この夏に起きたことに比べたら大事にはなりますまい。」
「それはそうだろ。あんな事件がそうそう立て続けに起きてたまるもんか。
フェルガーナもしばらくはのんびりさせて欲しいと思っていることであろう……。」
僕はめっきり深まってきた、秋の空を眺めながらそう言った。
やがて厳しい冬がやってきて、人々は城壁に籠って吹雪をやり過ごすしかなくなるのだ。
波乱など起きようはずもない。その時の僕はそう信じ切っていた。




