表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/42

第十四話



それからはまた城壁を巡っての攻防を繰り広げる日々に戻った。

先の会戦で意気は上がった僕たちであったけれど、何しろ敵は多く味方は少ない。本当につらい毎日だった。

そのような中で、僕のベグ達も、また若党達や兵達も、みな一つになって実によく戦ってくれた。あのような日々を耐えきれたのは、まことに神のお導きがあったためだとしか言えない。

神のお導きと言えば、戦の幕を引いたのもやはりまたそれだった。まず一つは……。


「寄せ手の勢いが目に見えて落ちております。」


先生は今やくたびれ果てていて、普段からは考えられないようなだらしない姿勢で床に座り込んでいた。僕はその両脇からハージーとサンガクが団扇であおがせていた。この季節が暑くなるのは当たり前のことなのだけれど、今年は蒸すような熱気が加わってなおさら過ごしにくい気候となっていた。


「疲れが出てきたとか暑さにやられたとかではなくて?

仮にもしそうであったならば普段通りの働きが出来なくなったとしても不思議ではないと思うけど……。」


僕はなるべく嫌味に聞こえないよう気を付けながらそう言った。先生が誰よりも苦労していることなど僕にとってはわかり切ったことだし、周りのみんなも先生の体調をまず気にかけていた。


「前線に出てくる兵達の動きが鈍い理由はそれでありましょう。対応するこちらの兵も精勤を保てているとは言い難い……。

しかし、繰り出してくる兵の数自体が減っているのです。騎兵に至っては姿を全く見せなくなってしまっています。」


「ウズベクの部隊に関しては先の一戦で戦場自体を離脱してしまったようですな。あれで一応の義理は果たしたと考えたのか、それとももはやサマルカンドに与する利なしと考えたのか知りませぬが……。」


カースィムもまた崩れた胡坐をかいている。ただし、こちらは疲弊しているからではなくて普段からこうである。


「どのような意図があったとしても、いなくなってくれたのなら何も文句は言わないさ。二度と戦場では会いたくないな、あの手合いは……。」


ウズベクの別動隊を相手取っていたカースィムの話によると、後ろから矢で追い立てられて戦列が崩壊しながらも執拗に大将首を狙ってきたらしい。とても生きた心地がしませんでしたぞ。と彼にしては珍しく素直に恐れを言葉にしていた。


「病が流行っているのかもしれません。何しろ、今年は酷く蒸す……。」


そう言うと先生は額に浮いた汗をぬぐい、それを見て慌ててハージーとサンガクは扇ぐ手に力をこめた。


「そうであるのならば助かる事なのかもしれないけど……。」


こちらも病が流行る可能性があるわけで。城に押し込められた状態でそうなろうものなら、もう目も当てられなくなってしまうだろう。


「まぁいずれにしても様子見でしょう。こちらとしてもこの機を逃さず打って出る、などという芸当が出来るほど余裕はありませんし。

監視を厳にしながらも交代で兵達を休ませることにしましょう。当初の予定通り冬まで備えを切らさずにいることを基本線としまして……。」


結局その後、敵は兵の数を取り戻しながら城を攻め続けること数日、さては流行り病などぬか喜びだったかと思い始めた頃のことだった。

朝起きてみると敵が寄せてきていないと言う。しかし前回の事もあったことわけであるし、こういう時こそどのような搦め手が打たれているのかわからない。備えを固めて敵を待ち受けていたのだったけれども、結局その日は何事もなく日が暮れて行った。

こうなると今度は夜襲を疑わなければならなくなる。昼夜に渡って警戒を強め、普段よりかえって疲れ果てた気がした次の朝。


「どうなってるんだ、これは……。」


僕の目に飛び込んできたのは、着々と陣を畳み引き上げの準備を進めている敵の姿だった。


「念のため陽動などを疑って探りを入れておりますが、実際に一部は既に引き上げの途についているとのことです。」


先生はその手に何枚もの報告書を繰りながら教えてくれた。


「そしてその際にわかったことなのですが、このところどうもあちら側に馬の伝染病が広がっていたとのこと。」


「なんと、人ではなく馬が倒れていたというのか……。」


たかが動物の流行り病と言うなかれ。馬と言うのは家畜の中でも格別の扱いをされているものだ。

街の住人である僕たちにとっても命の次に大事な財産というべき存在だし、いわんや遊牧民にとってはそれ以上のものなのである。

そして敵の軍勢にも僕の軍勢にも遊牧民の出身者というのは殊の外多い。一番多いのはモグールの生まれの者たちであり、彼らは母体であるモグール・ウルスを離れてそれぞれの陣営で禄を食んでいる。

傭兵というのとは少し違う。各々の一族ごとそれぞれの陣営の領内に移り住み、普段は遊牧をしながら戦になるとその加勢をするのだ。首領は陣営の重鎮に収まっていたりもする。


その後はとんとん拍子だった。

ほどなく敵方から和平の打診があり、こちらはそれを了承し、あちらはダルヴィーシュ・ムハンマドを こちらはハサン・ヤークーブを派遣し、ナマーズ・ガーフの地にて契約を交わした。

カラ・スー川での事故、合戦前に行った忠義者の処刑、そして馬の伝染病。これらのことが不思議なくらい織り重なって此度の勝利につながったわけなのだけれども、最も重要な要因は僕たちが民も兵も命を一つになって団結し、命を惜しむことなく事にあたる覚悟であることを敵方が気が付かされたからだと思う。このようなことをあの勝鬨を上げていた時に言えればよかったのだけれど、その時の僕は様々な感情で口も聞けないほどだったし、皆が喜びを爆発させ吠えたてる中では僕の声など隣の人にだって届かなかったことだろうと思う。


「一息、つけましたな……。」


先生は僕の隣に来て弱々しい微笑を浮かべながら儚く立っていた。

僕としては先生にこそ真っ先に一息ついて欲しかったのだけれど、事後処理をするのにしても彼の力を借りないことには立ち行かないだろう。



その後もお母さまの兄弟で僕のおじ様の一人であり、モグール・ウルスの王であるスルターン・マフムード・ハンが僕の弟の居城であるアフスィを囲んだり、その際にヴァイス・ラーガリーの領地であるカーサーンが陥落したり、また別の方角からはカシュガルの僭主であるアブー・バクル・ドゥグラトがウズゲントの地に侵入して来て領内を荒らしまわり、それを撃退しに疲れ果てたままの先生が出兵したり、大きな事件が立て続けに降りかかったが、全ては詳しくは書かぬ。

このような困難な時代に、父、ウマル・シャイフ・ミールザーの死後に残されたベグ達や若党達はよく団結して、勇敢に、命を賭して戦い抜いた。



季節は秋になっていた。

ようやく皆アンディジャーンに戻ることが出来た。

アフスィからは弟のジャハーンギールとその母スルターン・ベギム。各地からベグ達やその家族たちが集まり、慟哭の儀を執り行った。

貧者たちには食糧や衣類が施された。


よい葬儀であったと思う。

宇宙までも透けそうなほどに高く続く空に、鷹が悠然と翼を広げているのが見えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ