第十三話
バーブル 主人公 ティムールの末裔 12歳で父の跡を継いでフェルガーナの王になる
シャイバーニー・ハーン 砂漠の民、ウズベク族の族長 過去に一度滅ぼされた流浪の民族だったのだが、それを勢力として再びまとめ上げた
ヴァイス・ラーガリー バーブルの家臣 サマルカンド出身 騎馬隊の用兵に天賦の才を垣間見せる
戦闘が始まっていた。
押し寄せる敵とそれを迎え撃つ味方が激しい衝撃音をたててぶつかり合う。吠え合う双方の声が、潮のように寄せたり引いたりしていた。
戦況がどのような推移を辿っているのか僕にはよくわからなかったのだが、カースィムが言うには状況は悪くないらしい。敵の大群は隘路に阻まれ、思うような戦闘行動を取れずにいるという。
「このまま夕方まで持ちこたえればお味方の勝ちと言い張ることが出来ますな。」
彼は言いながらも油断なく視線をあちらこちらに配るのを止めようとしない。その額には、珍しく汗がにじんでいるのが見える。
「城壁からの援護もうまく機能しているみたいだね。」
時おりしびれを切らした敵の後詰が向かって右側から回り込もうとするのだが、すぐさま雨のように降り注ぐ矢を浴びせられ、慌てて元の位置に戻ることになっていた。
あるいは後ろから来る自分たちの軍勢に押されて弓の射程圏内に入ってしまい、なすすべなくばたばたと倒れていくのが目に入る。
「少し無策に過ぎるのが気になりますがな。誘導を疑って果樹園の向こうにあるう回路を調べさせてみたのですが、そちらから来る気配はないとのこと。」
「そうか……。気になることがあったらなんでも言ってくれ。
戦闘を早く切り上げることが出来るのならばそれに越したことはない……。」
いくら優位に進んでいるとはいえ、目の前で兵たちが傷つき、いくらかは命を落としているのだ。
例えそれが彼らの誉れになることであったとしても、防げるのならば防いでやりたい。もしかしたら君主としては甘い考えなのかもしれないけれど、僕はそのように思っていた。
前線ではハサン・ヤークーブが、先ほど見せた疲弊などどこへ行ったものか、獣じみた咆哮を上げて敵を殴りつけていた。
彼に釣られるようにして味方の兵たちも意気は天に届くばかりに高まり、むしろ敵陣をどんどんと押しやり始めていた。
「これは……、もしかするともしかしますな。
今日のうちに敵をアンディジャーンから追いやることが出来るやも……。」
カースィムはこわばった笑顔を浮かべ、彼方を睨みつけながらもそう言った。
僕も手に汗を握りながら前線の一挙手一投足に目を奪われ続けていた。
その時、ハサン・ヤークーブが一際大声で吠えると敵陣に馬をねじ込み、それに続いて味方の兵がどどどとなだれ込むことに成功した。
「勝機ですぞ!
このまま一気に打ち込めば敵はもろくも崩れ去りましょう!」
「わ、わかった!全軍攻撃の命令を下せばよいのだな!?」
今まさに僕たちが合図を出そうとしたその時。
「注進!注進!!」
ハサンと同じく前線にいたはずのヴァイス・ラーガリーが騎馬隊を連れて全力でこちらに駆けてくるのが目に入った。
「どうした!なぜこの機に本陣に戻ってくる!!」
カースィムが慌てて合図を取りやめ、ヴァイス・ラーガリーの方へ馬を向けた。
「敵、左翼騎馬隊!前線を迂回して突撃してきます!!」
彼は左手を大きく振りかぶって後方を指し示した。
「馬鹿な!そちらは弓矢が雨あられと降り注いでいるのだぞ!そんなはずが……。」
僕が最後まで言い終わらないうちに、彼の言葉を証明するかのように地面が轟きだした。
そしてその音の正体も程なく姿を現した。
無限に射かけられる弓矢を物ともせず、いや、首筋に背中に次々と弓矢を突き立てられて落馬している者たちもいるのだが、それでも雄たけびを上げながら突進してくる一群の騎馬隊こそがその正体だった。
先頭に立っているのは二人の武将。矛を両手で振りかぶり、目を見開いて口をカッと開いたままこちらに一直線に突っ込んで来つつあった。
「くそっ、あれはウズベクか!こうしてはおれぬ。
バーブル様、御免!ヴァイス、ここを任せた!」
カースィムは即座に決断し、僕の許しを待たずに敵に応じることにしたようだった。
本陣から兵を割いてこちらも敵へと一文字に斬りかかって行った。
「バーブル様、某もカースィム殿の助勢に向かった方が……。」
「いや、カースィムがお前にここを任せると言ったのだ。今はうかつに動かすべきではないだろう。
それに正面方向がどうなるかも不明だ。とりあえずは様子をうかがって……。」
カースィムがそばからいなくなってしまった以上、戦況を僕自身が判断しなければならなくなってしまった。
踏んだ戦場の数という点からすればヴァイス・ラーガリーの方が格段に上なのだが、彼の意見を信じ切ってしまうのはどうにも不安なこともあるわけで……。
その時!
押し込んでいたはずのハサン・ヤークーブの陣が轟音を立てて崩れた。
たたらを打って後ずさる彼の上を飛ぶように横切って、一対の騎馬が斬り込んだのだった。
瞬く間に前線を切り裂いた彼率いる騎馬隊は、ハサン・ヤークーブに目もくれずに真っ直ぐこちらへ突っ込んできた。
「……お下がりくださいバーブル様。
これは迎えうたねば退くことすら構いますまい。」
ヴァイス・ラーガリーもまた僕の言葉を待たずに敵に対する腹を決めたようだった。
この期に及んでは僕も彼の言を信じるしかなかった。言葉は発せず、ただ彼の目を見つめるとお互いに頷き合った。
猛然と突きかかる彼の槍を難なくかわし、返す刀でそばの兵を一人、二人斬り伏せ。
「よお!お前がバーブルか!本当にまだ子供なんだな。
お前の親父はともかく、お前自身には恨みはないんだが、お前の首には用がある!」
僕らの間にはまだ大勢の兵がいたのだけれども、彼はそれらを気にする様子もなく僕の目だけを見据えながら話しかけてきた。血煙が彼の発する熱気で蒸発し、陽炎がまるで燃え盛る炎のように立ち上がっているかのようだった。
「ウズベクの族長シャイバーニー。故合ってサマルカンドの客将として……。」
また一人、彼に斬りかかった騎兵を逆に切り下げながらも言葉が途切れることはない。
「お前を殺しにきた!!」
言い終わるや彼は稲妻のように斬り込んできた。
味方の兵が矛を揃えて立ち向かうが、まるで枯れ葉のように次々と吹き飛ばされていく。
「させるものかっ!!」
最初に斬りかかった時に勢い余って敵中に進んでしまったヴァイス・ラーガリーがやっと追いついて後ろから斬りかかる。
それを今度は刀で防ぎ、その顔を確認すると。
「ここにいたのかお前。幼君のお守りをしながらだとせっかくの太刀筋も鈍りまくりだな!少々がっかりだぜ。」
軽口を叩きながらも馬首を彼の方へ向けて激しく打ち合い始めた。
「どうしたどうした!その程度の男じゃなかっただろ、お前は!
そっちもそのまま見てるだけでいいのかい。このままだとこの勇者はなすすべなく死んじまうんだぜ?」
ヴァイス・ラーガリーの突きを上体だけひねってかわし、あるいは右手で握った長刀で軽々弾き、ついには僕の方へ首を向けて話しかけることまでし始めた。
僕としてはただ眺めていることしかできない。なにしろ腰に釣ってある鞘には刀が入っていないのだ。
だが、そのことがかえって僕を冷静に保っていたような気がする。もしもそこに刀があったとしたら、僕はそれを抜いて吠えて、あるいは斬りかかる事すらしていたかもしれない。
僕は歯を食いしばり、彼の視線を睨み返しながら、彼に応じた。
「……見ているだけだ!」
彼は薄笑いを浮かべつつも怪訝な顔をして、なおもヴァイス・ラーガリーの斬り込みを弾きながらこちらを向いた。
「僕は見ている事しかできない。彼が僕のために今まさに死にゆくとしても、僕はそれを見ているだけだっ!」
彼はとうとう愉快そうに笑いだし
「それならそこで見届けてやりな!
まずはこいつを始末し、その後すぐに後を追わせてやるさ!」
再び猛然とヴァイスと打ち合い始めた。
ヴァイスは既に肩で息をし始めていて、幾筋もの太刀傷を負っているのが遠目にもわかる状態だった。
思わず目を背けたくなる状況だったが、それこそ僕には許されない所業であるわけで、ただ身体を真っ直ぐに保つことにすら全力を要する有様だった。
一際大きな咆哮をお互いにあげて、あるいはそれが決着の合図になるのかと思われたその時。
右翼、つまり城壁がある方角から騎馬隊……、というよりはてんでばらばらになった騎馬武者の群れが後ろの方へ抜けていくのが目に入った。
「シャイバーニー!すまん、耐え切れなかった!
でも無茶があったぞ、お前さんの策略!」
先頭を駆けてゆく一人が両手を筒のようにして遠くから呼びかけていた。
「既に兵はばらばらにして退かせました!
損害大きくこれ以上の戦闘行動は無理と判断しました故!」
もう一人は左手で手綱を引き、右手で矛を真っ直ぐ構えたままこちらを見ずに後方へとすっ飛んでいく。
「……あー。」
それを耳にした目の前の男は、さほど慌てる様子もなくゆっくりと長刀を鞘に戻し。
「引き上げるぞ!
命あっての物種!手柄を上げるのはまた今度だ!」
手綱をめぐらし馬を勢いよく弾ませると、僕の本陣を一気に飛び越えて彼方へと駆けだした。
同じように彼の兵たちも次々に離脱し、僕はまりのように跳ねる馬の尻を見送ることしかできなかった。
「助かりましたな……。」
いつの間にか僕の隣にやって来て、肩で息をしているヴァイス・ラーガリーが声をかけてきた。
「そうだね……。よく命を繋いでくれた。感謝する。」
「あれが、本気のウズベクというやつなんですな。とんでもない連中だ……。」
彼は顔をしかめながら、吐き出すようにそう口にした。
「死にかかったところすまないと思うが……、まだ戦が終わったわけではないんだ。
もうしばらく馬にまたがったままでいられるか……?」
頬にもひどい切り傷を負った彼は、首にまで真っ赤な血潮が汗と混ざって凄まじい様子だったのだけれども、あくまで深手は負っていないと繰り返していた。
「そのような時は、ただ一言命令して下さればよろしいかと。」
まだまだ不敵な笑みを浮かべながら、彼は僕に向かって頭を下げるのであった。




