第十二話
シャイバーニー・ハーン 砂漠の民、ウズベク族の族長 過去に一度滅ぼされた流浪の民族だったのだが、それを勢力として再びまとめ上げた
ハムザ・スルターン、マフディ・スルターン ウズベク族の王子 一族の離散に伴って方々を流浪していたが、シャイバーニーの呼びかけに応じて結集した
その男は丘に立って軍勢が隘路を進むのを眺めていた。
彼方に待ち構える敵勢に比べると圧倒的に多勢だが、先端が開かれていないというのにその足取りは既に滞りを見せていた。
道行く兵は数を頼りに楽観視している者が多いが、このまま両軍が衝突すれば痛い目に遭うのはこちら というのが彼の考えだった。アンディジャーンの軍の対応が甘くはないことはこれまでの攻城戦で分かっているだろうに、それでも喉元を過ぎればその熱さは頭から消え去ってしまうらしい。
そしてそのことをサマルカンドの君主、アフマド・ミールザーは百も承知であることだろう。
であるのにさしたる工夫も見せずに、真っ正直に軍を進めている。
犠牲をいとわず一気に圧し潰す というわけでもなさそうだ。まずそんな手を取らなければならないほどこちらに余裕がないわけではないし、なによりそんな大それたことをしそうな気概というものが感じられない。
このまま当たっては、両軍だらだらと兵を減らしたあげくに追い払われるのが関の山だ。
もちろんそんな展開は男の望むところではない。
今はティムールの陪臣…… いや、陪臣ですらない。家臣の食客の座に甘んじているとはいえ、彼は依然としてウズベクの族長なのだ。ただしそれは形だけに過ぎないということも事実である。
この戦で大きな手柄を立て、例え寸土であろうとその手に勝ち取り、そして各地に散らばるウズベクの血族を結集して改めて彼は名実ともにウズベクの族長に返り咲くことが出来る。
「いっそアフマドを討ち取って思うがまま略奪でもしてやろうか……」
男はにぃっと歯を剥き出しに笑い、その手を取るつもりが自分にないことをわかりながらもそう呟いた。
あるいは若い時分だったらやっていたかもしれない。もしくはウズベクの再結集を目論んでいなかったなら。
大きな野望を持った瞬間からやれることはどんどんと減っていき、やらなければならないことばかり増えてゆく気がする。これはなんとも皮肉なことではないか。
このまま世に出るきっかけを作れぬまま、年老いてゆくのだろうか。それならばいっそ気ままに略奪を繰り返し、草原に溶けて消え去っていく方が手下共にとっても幸せなのではないか……。
戦況を見極めることに集中しなければならないとわかっているのに、彼の頭中は簡単にはそれを許してはくれない。
「シャイバーニー!」
突然名前を呼ばれたことによって現実に引き戻され声の方を振り返ってみると、二騎の武者が丘を駆け上がってくるところだった。
「どうするんだ?あれ。このままぶつかっても突き破れるほどの勢い付かないだろ。
まさか俺たちの隊を出して後押ししようとか言わないよな?そこまでの義理はねえものな。」
赤銅色によく日焼けした体格のいい方の武者が眼前の行軍の様子を指さしながらそう言った。
「このままですと、私たちの出番は来ないまま終わってしまいますね。城攻めにも参加していませんし。
いっそ、どうです?アフマド・ミールザーの首を討ち取って敵方に取り入るというのは。」
銀で葺いたような青白い、やせ形の方の武者が細い指であごを撫でながらそう言った。
日焼けしている方がハムザ・スルターン、色白な方がマフディ・スルターン。
二人とも流浪の果てにシャイバーニーの下へはせ参じたウズベクの王子である。
流浪と言ってもヒサール方面に所領を獲得し一族で暮らしていたのだが、今の段階では目算も高いとも思えないシャイバーニーの呼びかけにいち早く応じた変わり者たちだ。
とある事情で兵を大きく減らしてしまったシャイバーニーにとって、彼らの兵力はなくてはならないものであった。
「……一つだけやりたいことがあるんだが。乗る気はあるか?」
シャイバーニーは二人を呼び、顔を寄せるようにして小声で話した。
「お、なんでい。一つと言わずいくつでもやればいいじゃねえか。」
ハムザ・スルターンは筋肉ではちきれんばかりの腕を組んで満足そうに頷く。
「二人にはな。兵を率いて丘を駆け下りて、敵の側面を左側から突いて欲しいんだ。」
シャイバーニーは空を指さしながら進路を説明する。
「あぁ?そっちは城壁沿いじゃねえか。矢の雨の中を駆けてこいってのか?穴だらけになっちまうぜ、俺たち。」
訝し気な顔をしながらも即座には断ろうとしない辺りが彼のシャイバーニーに対する信頼の表れなのだろう。
「シャイバーニー。この先我らの行く末を考えますに、ここでいたずらに兵を消耗することは得策とは言えません。
あり得ないとは思えますが、我らを捨て石になどと思っているのならば、こちらにも考えがあると申しておきます。」
対してマフディ・スルターンは疑り深いところを見せてはいるものの、それを腹に納めずに口に出している分にはまだまだ安心だろう。
この手の男は、何も言わなくなった時が一番恐ろしい物なのだ ということをシャイバーニーはよく知っていた。
「しないしない。捨て石なんざに。俺とお前たちと、それに一族の男たちは一蓮托生だ。
……俺は誓ってウズベクを再び草原の覇者にする。そのために戦い続けて、それを成し遂げるまでは死ぬことは出来ない。
危険な目に遭う役割をお前たちに押し付けることがあったとしても、捨て石にするような真似だけはしない。お前たちが本当に窮地に陥ったのならば、俺の命を懸けてでも拾いに行くさ。」
「ならなんの問題もねえな!左から突っかけりゃいいんだな?
だがあれだぜ。そんな長いこと膠着出来ねえと思うぞ。
本当にヤバくなったらシャイバーニーの助けなんざ待たずにとっとと逃げちまうからな。」
「あぁ。それで構わないさ。
うまく行きゃあ最初の一撃で欠片は飛び散るはずだ。
その欠片の中に、当たりが入ってたらな。今回のはそういう賭けだ。」
「では、持ちこたえられなくなりそうでしたら前方の方へ抜けて退却することにします。
あなたも引き時を誤って敵の中に孤立しないように。私たちがいなかったら誰も助けてくれませんよ?」
「そうしろ。なぁに、心配いらないさ。
けして敵を侮るわけじゃあないんだが……」
何しろ、こちらはウズベクなもんだからな。




