第十話
バーブル 主人公 ティムールの末裔 12歳で父の跡を継いでフェルガーナの王になる
ハサン・ヤークーブ・ベグ バーブルの家臣 宮廷長 父からの代の一の家臣
カースィム・ベグ バーブルの家臣 カウチンという武家の出 バーブルの家臣でありよき理解者
ヴァイス・ラーガリー バーブルの家臣 サマルカンド出身 騎馬隊の用兵に天賦の才を垣間見せる
ホージャ・マウラーナーイェ・カーズィー バーブルの学問の師 アンディジャーンにてイスラーム法を司る家の出であり、本人も法官
それから数日の間は一方的に攻め立てられる展開だった
サマルカンドの軍勢は、歩列を整えたまま城に肉薄してきては城門に槌を打ち付けたり、城壁に梯子をかけようとし続けていた
槌が立てる轟音が城内にも響き、そのたびに振動でぱらぱらと土埃が落ちてくる。梯子がかかる度に敵兵は雄叫びを上げながら駆け上がって来て、そしてそれを迎え撃つ味方の兵の絶叫と混じり合い耳をつんざかんばかりであった
こちらも豊富に蓄えてある弓矢で応じ、あるいは梯子を切り払い、城壁に取り付いた敵兵に対しては落石や煮え立った湯をお見舞いしてやっていた
終始押し込まれ続けている状況であって、精神的にも肉体的にもきつい場面ではあったが、アンディジャーンに籠った兵士たちはみなよくやっていた
特にハサン・ヤークーブはその豊富な経験を活かし、また普段はそばにいると不愉快になる程に大きすぎるどら声を張り上げ、何かある度に恐れおののきがちになる兵たちを叱咤激励していた
「敵の兵だって無限じゃねえんだ!敵の体力だって果てしないわけじゃねえんだ!
お前らがきつい時は、敵だってきついもんなんだ。ここが根競べのしどころってわけよ!
明日とかこの先がどうなるとか考えるんじゃねえ!
今、目の前の敵を押し返すことだけに全力を尽くせ!!」
彼は城壁のあちら側にいたかと思えばいつの間にかこちら側来ていて、そうかと思えば今度は城門まで降りて行っては兵達と一緒の雄叫びを上げていた
先生はと言えば、朝から晩まで書類を散りばめた机から動かず、時おり城壁に上がって来て戦場の様子を眺めては慌ててまた机に戻ってはを繰り返していた
ヴァイスは一日に三度は突撃の許可を求めにやってくるのだが、いかな僕とはいえ今がそれに適した状況ではないことは見てとれる
時が来たらこちらから命令するから。とその度に言って聞かせるのだがしばらくするとまた同じ陳情にやってくるだろう
「ここまではうまく行っておりますね
先代様が亡くなってすぐに迎撃の準備を始めたことが功を奏しております」
カースィムは常に僕の傍らに付き添っていた
城壁を歩く時もそうでない時も、戦場側から流れ矢が飛んできてもいいようにとその長身を晒していた
「だけど、僕の目にはみんなきつそうに見える
ハサンの激じゃないけどさ、この先も同じようにうまく耐え続けられるかどうかはわからないんじゃないか
城壁だって城門だって、このまま保っておくことが出来るんだろうか」
「その辺りのことはマウラナーイェ殿にお任せすることにしましょう
それこそハサン殿の激ではありませんが、寄せ手という物は我ら以上に苦しい思いをしている物なのです
守りのどこかが破綻したとて、それが速やかに落城に繋がるということは滅多にありません
備えを万全にし、士気を高く保っていさえすれば早々に陥ちるということはないかと
後は季節が巡りさえすれば、敵兵は自ずと退かざるを得ない状態になるでしょう
ただ耐える。それが籠城戦において最も肝要でありますれば」
「そういう物か……
お前も以前に籠城をしたことがあったのだな」
「言われてみれば城に籠った経験はありませんな
ただ、今申したことはけして間違ってはおりませんぞ
城攻めで苦労した時の相手は、皆その辺りのことをしっかりとしておりました」
僕としては長々とした彼の話に耳を傾けて損をしたとの思いから少々の非難を込めて彼を睨みつけたのだが、彼は何が楽しいのか終始笑顔を絶やさず長い身体を折り曲げて僕の顔を覗き込んでいた
そこからさらに数日間
敵は地道に城を攻めたて上げ、僕らは振り回されつつもなんとかそれを凌ぎ続け、ある朝唐突にその攻撃が止んだことに気付いた
僕が急いで大広間に駆け付けると、既に先生を始めとする重臣たちは顔を揃えていた
「敵兵、城に詰めることをせずに平原にて陣を敷いている模様です
すなわち、会戦の誘いでしょうな……」
それが何を現しているのかは僕にはわからない
ただ、先生がことのほか苦い顔をしていることから、まずいことになりつつあることだけは理解した
「誘われたからと言って乗らなければならないということもないのだろう?
そもそも、会戦で押し返すことが出来なかったから城に籠っているわけで……
むしろ敵は何を考えているのだろう。僕たちに休む余裕を与えて」
いつもだったら先回りして教えてくれるはずの先生が紙面に目を落としたまま押し黙ってしまったので、僕は疑問に思っていることを自ら口にした
「今までのところ、こちらは大した破綻もなくうまいことやっております。けして兵力に余裕があるわけではありませんが、とりあえず士気は高い」
そしてそれはハサンの指揮によるところも大きかっただろう
彼自身も疲弊している様子で、普段だったら殊更に誇るところであっただろうに、今の彼にはそんな余裕すらないようであった
「激しく攻めたてられている間、兵には余計なことを考える暇などありませんが、このように兵を引かれて野戦を誘われますとな、きつい籠城戦に戻るくらいならいっそ雌雄をと……
なまじ籠城がうまく行っている時ほどそう頭によぎるんですな
何しろ今気勢をそがれるのだけはまずい……。まだまだ先は長いと言うのに……」
ほんの少しの期間の籠城戦でこうなってしまうのか……
普段気力の塊のような男が見せる思いがけない姿に、そして冬までの果てしない日々を思うにつれ、僕は思わず生唾を飲み込んでいた
「ならばまた某が騎馬隊を率いて……」
軽い感じでヴァイス・ラーガリーが主張しようとしたところ
「いえ、今度ばかりは前回のようにはいかないでしょう
敵は鉾を揃えて我らを待ち構えている。ラーガリー殿が戦場を駆け回ったところでどうにもならない……
こちらも陣を揃えて敵を押し返すことが必要なのです。それも城門を死守しながら……」
重苦しい表情を浮かべながら、それでも先生は迷うことなく却下した
広間はどんよりとした空気に包まれた。カースィムも一言も発することなく腕組みしながら天井を睨んでいる
先ほどのハサンではないのだけれども、やはりみんな疲弊しているのだ。肉体が、ではなく精神が
このまま野戦に応じたところで敵を押し返すことが出来る算段はあるのだろうか。先生の様子を見るだに、その可能性は低いと考えているように思えた
その時、なぜだろうか。誰にも教えられたわけでもないのに、僕に一つの考えが生まれた。
お父さまはこんな時にどうしていたのだろう。と考えたことがきっかけだったのかもしれない
あるいはこういったことがおばあ様や先生の言う、王の血なのかもしれない。最もこれらのことは、後にこの場面を思い出した時に理屈づけただけもののような気がする
「……誘いに応じよう。何も決着をつける必要はない。一回野戦にて押し返すだけのこと。そうしてまた冬が来るまで籠城に戻る」
僕はこれだけのことを、何度かつっかえそうになりながら、やっと口にすることが出来た
何しろ正しいか間違っているかわからないことを、頭で考えながら言葉にするのだ。それも僕よりはるかに年上の大人たちを説得するために
みんな驚いた顔をして僕を見つめている。ヴァイス・ラーガリーだけは別だ。明らかに喜色を浮かべている
「ただし戦場に出るのは君たちだけではない。僕も一軍を率いる」
君たちっていう言い方は妥当だったかな?ちょっと上から物を言った感じになってしまった。反感を買ったらどうしよう。
「確かに兵たちの士気は上がりましょうが……、この野戦、必勝に程遠い状況でありますれば……」
先生は狼狽しながらそう言ったけれども、一顧だにせずに却下することがないあたり、既に何度か考えていたことなのだろうと思う
「それに言っちゃなんですが、若様がご出陣したところで何ができるわけでもありますまい……」
僕に対する遠慮がなく、言いにくいことをあっさり口にする、ハサンみたいな男はこういう場面では本当に大事だ
「野戦に応じなくても、あるいは野戦に応じて負けたとしても、その後は籠城戦でじわじわと押し込まれる羽目になるわけだろう?
その行く先が落城ならば、どっちみち僕は命を失うことになる
ならばこの大事な一戦に、戦場の流れをこちらに引き寄せるために僕が出来ること。それは兵たちを率いて戦場に立つことだろう」
神輿として。とまではさすがに言いはしなかった。言わなくてもみんな分かってると思うけど
「それに、命を懸けて守ってくれるんだろう?」
言葉も出ない風で僕を見下ろしているカースィムに声をかける
彼は一旦さらに驚いた反応を見せ、それでもすかさずにやりと口元を上げると
「それはもう」
芝居がかった仕草で頭を下げた




