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第九話

ヴァイス・ラーガリー バーブルの家臣 サマルカンド出身 騎馬隊の用兵に天賦の才を垣間見せる



賽は投げられた。というのはちょっと大げさに過ぎるかもしれないけれど、城門が開け放たれるのを待ち切れずに飛び出してゆくヴァイス・ラーガリーの姿を目にすると、何か取り返しのつかない事をしてしまったのではないかとの思いが胸を締め付ける

向かいの丘へと広がる平原には、一面の大軍勢がひしめいている。彼らは城門が開いたことをどのように受け止めているのだろう。個々の動きなど見えっこないのに、それでも全軍の視線が一か所に集まっていることがわかってしまう

ヴァイス・ラーガリー率いる少数の騎兵たちは、そんなひりついた戦場の空気を楽しんでいるかのように、軽やかに、気分よさげに駆け下りていく

巨大な戦場には不似合いな少数の騎兵たち。おそらく、はたしてそれが攻撃のために繰り出された物かどうか判断に悩んでいるに違いない。彼らの困惑ぶりが伝わって来るかのようだった


今や、敵も味方もそのひとかけらの騎兵たちから目が離せずにいた

城壁と野にひしめく敵兵と、その間に生じた空隙を一通り駆け回って満足したかのように、ヴァイス・ラーガリーはやっと足を止めると、丘の頂上をきっと見据えて


「はるばる!サマルカンドからご苦労な事! 平時であれば歓待いたそうところ」


「だが!この期に及んではそれは叶わず!!」


張りのある声で朗々と、まるで丘の上にいるアフマド叔父様の顔が見えているかのように


「しかしとて、手ぶらで帰すには申し訳なく!」


「このヴァイス・ラーガリー、諸君に新たな旅のはなむけを贈るべく!」


彼と、彼の騎兵たちの意気は距離を隔てた僕の下へも熱気を届けるに充分なほど高かった

それは彼らが跨っている馬にも伝わっており、あるいはいななき、あるいは跳ね上がって前足で空を搔き、敵兵たちにその眼前に立つことは懇願されても願い下げだと思わせたことだろう


「……参る!」


最後の言葉を放つや否や、彼らは手綱を巡らし、敵陣へ斬り込むべく猛烈な勢いで駆け出した

僕はもう気が気でない。彼が名乗りを上げている時から何度も引き揚げの太鼓を打たせかけたくらいだったのだ


今にも火花を散らしそうな勢いで、ヴァイスと彼の兵は、勢いよく敵陣に突き刺さった

一斉に、うんかのように敵兵が群がる

だが、ヴァイスはそれをものともせずに、まるで錐でももみ込むかのように、強引にその馬体を歩兵の列にねじ込んだ

咆哮と共に刀を振り回すヴァイスの勢いにあっけなく気圧され、敵兵はじりじりと後ずさりを始めた

城壁の上から眺めると、戦場中の歩兵が流れのように彼らの下へ駆けつけようとするのが見え、逆側からは襲撃者から距離を取ろうとしている兵たちの姿が確認でき、一つの滞りが生じ始めているのがわかった

そしてそれをヴァイスと兵たちは見逃さなかった


「あそこに解れがあるぞ!ここが勝負所ぞ!命を捨てて付いて参れ!!」


刀を振り上げ、雄叫びを上げながら丘を駆け上がっていく

敵はその勢いに飲まれて、斬りかかることすら出来ずに次々に蹴散らされていく


「すごい……

兵で満ちた陣中を、まるで何もない平野で跳ねるが如く駆け上がって行ってる……」


「上から見ていればこそ、手薄な箇所という物も見えてくる物ですが……

自ら兵を率いつつそこを見極め、一切の逡巡なく斬り込んでゆく

あればかりは知識や経験などで埋められる物ではありませんな。天性の物かと……」


僕もカースィムも、手に汗握りながら、その信じられない光景を眺めているばかりであった


「しかし、このままですと敵陣の一番厚い箇所に行き当たることになってしまいます

そう……、アブドゥル・アリー・タルハンとその精兵が固める辺りに……」


僕の隣に並びながら、先生は丘の一部分を指さした

確かに、その辺りの兵はうろたえた様子は見えるものの、それでも数の多さから察するに当たれば苦戦は免れないと思える。何よりもこの沸き返ったような戦場の中、ただ荒野の中にいるかのように佇んでいる一隊の姿が不気味だ

あの陣に斬り込んだ時、彼らは一体どうなってしまうのか

僕は答えをねだる子供のように、無言で先生の顔を見上げたけれども、一目見て先生もこの先の展開について答えなど持っていないのだと察した

僕は再び城壁の端に駆け寄り、彼らの先行きについて案じるだけであった



彼は次々と目の前に現れる雑兵を切り捨てながら、目の端では丘の頂上を捉え続けていた

そこにはこの軍の総大将であるアフマド・ミールザーがいるはずであり、一気に彼を斬り捨てることは叶わぬまでも、その面前までは躍り出ることは可能だろうか

否。今は可能性についてなど案じるべきではない。今この瞬間、この戦場において、俺は俺の欲望のままに赴くのみであり、そのためにはこの身も、兵たちの命も、戦の勝敗すらも思考を鈍らす不純物に過ぎない

命を捨てて奔走しさえすれば、手柄や名誉は後から付いてくるものである。彼はそのことを自ずから知っていた

再び自らのうちに燃える炎を奮い立たせるべく、ふいごのように胸に空気を送り込むと、顔を天に向けて恐ろしい咆哮を上げ、一気に丘を駆け上がり、上がろうとしたまさにその時


「!?」


真横から一陣の騎兵が猛烈な勢いでぶち当たってきた


「随分気持ちよく暴れまわってくれたみたいだがよ……」


彼の目前に、長刀を佩いた偉丈夫が立ちはだかる

左手で手綱を操り、右手でその長刀をすらりと抜き


「弱兵ばっか斬っててもおもしろくもねえだろ。何より全ての兵卒が腑抜けだと思われてもらっちゃ困る

ここまでたどり着いた褒美だ。草原の用兵ってもんを教えてやるぜ!」


言うが早いか、偉丈夫は稲妻のようにヴァイスに斬りかかる。その凄まじい剣戟にヴァイスはたじろがんばかりだった

一回、二回。片手で無造作に振られる刀を両手でしっかりと防ぐ。防ぐばかりであった。とても弾き返す事までは出来そうにない

ヴァイスの兵たちも、偉丈夫率いる騎兵を相手取って斬り結ぶ

だが、今や戦場で動いているのは彼らだけであった

その他の兵たちは、彼らの激しい攻防を、ただ地面に立ったまま眺めるだけであった

一軍と一軍の、まるで集団による一騎打ち

くるくるとめぐるましく攻と守を入れ替えながら続けられる激しい戦闘に、手出しする術を失って立ち尽くすだけであった


いつまでそれが続くのか……

わずかなバランスが崩れるだけで終わるはずなのに、途切れることのないロンド

だが、終わりは唐突に訪れた


「……今日はここまでだな」


ヴァイスの最後の斬撃を受け止めた偉丈夫はそう口にすると、するすると器用に馬をずらしながら刀を収めた


「数日のうちに、今度はこっちから挨拶することになるだろ

その時は城から出てきて相手してくれるんだろうな?」


「主命如何」


息一つ切らす様子のないこの怪物をにらみながら、ヴァイスはやっとの思いで返答する


「それじゃさ。その時に改めて殺し合おうぜ

そんな寡兵を討ち取ったところで手柄にもならねえや」


あくまで軽い調子で挑発してくる偉丈夫を、しかし勢いは既に削がれており、繋げる命ならあたら捨てる必要はないわけで


「戻るぞ!!」


彼は湧き上がってくる様々な思いを一瞬で殺し、今度は自らの城門を目指して突進するのであった……



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