第八話
スルターン・アフマド・ミールザー バーブルの叔父 アブー・サイードの跡を継いでティムールならびにサマルカンドを領有しているが、権勢は曇りがち
アフマド・ハージー サマルカンドのベグ ワファーイーという名で詩人としても活動していた
ダルヴィーシュ・ムハンマド・タルハン サマルカンドのベグ アフマドの叔父でもある アフマドの勢力の中では最も地位が高いが、同じタルハン族のアブドゥル・アリーに押されがち
先生が打った手というもののいくつかは、見事に敵に打撃を与えることに成功したようだった
すなわち、アフマド・ハージーとその軍勢がカラ・スー川にかかる数少ない橋のうちの一本を渡ろうとしたところ、おそらく彼は自分で作った詩でも吟じながら馬に乗っていたんだろうけれど、突然それが崩落してしまったそうだ
カラ・スー川はそのあたりで川幅が極端に狭くなっていて、最もそのためにそこに橋がかかっていたわけなんだけれど、そのせいで流れが恐ろしく速くなっていて、彼自身は一命をとりとめたものの、大幅に兵を失ったそうだ
そしてそのせいで後続の軍は前に進むことが出来なくなってしまい、陣に押し込められた兵たちはかつてのチル川の敗戦を思い出し、先だってのダルヴィーシュ・ガーウの処刑は間違っていたのではないかと思い至ったらしい
それが動揺を呼び、さらにそれをダルヴィーシュ・ムハンマド・タルハンが無理に抑え込もうとしてしまってせいで騒ぎが一層大きくなって、ついには陣内で衝突まで起ったそうだ
先生は、そのような事が起きるかもしれないけれどもそれは希望的観測に過ぎず、起きても起きなくても対応できるように準備を整えるのが大切だ、と言いながら地図とにらめっこしていた
「仕上げがどうなったか確認する術もありませんしね
敵軍の動きから察するにも限度がありましょう
こちらとしては、うまく行っていて欲しいとの思いもありますし、些細な動きをいいように誤解する恐れもあります
無理に連動しようとせずに、やはり正攻法で撃退することを正眼に置きましょう」
「敵は悠々と城を目前に布陣し始めておるが、事前に織り込んでいたよりも規模は小さく見えるな
マウラナーイェ殿のいう手が効いているのか、あるいは後詰として控えているのか判断は出来ぬが……」
ハサン・ヤークーブがあごを撫でながら唸る
さすがに歴戦の将だけあって無駄に気がはやったりはしないようだ
「この状況なら一当てして帰ってこれると思うんですが!」
この時一人のベグがハサンとは対照的に勢い込んで発言した
「私、サマルカンドの連中がやりそうなことなら見当はつくんですけど、多分今なら奇襲かけられますって!」
ヴァイス・ラーガリー
サマルカンドのトゥグチ・イリ出身で若い頃から仲間を引き連れ一党を成していたところ、お父さまに引き立てられたらしい
騎馬隊をこの上なく見事に率いるのだけれども、大局的に物を見るのがあまり得意ではないみたい
今日もここまでは何度か見当はずれの事を言っては先生に訂正されていた
つまり、僕に負けず劣らず状況が見えていない
僕はいいとも悪いとも言えずに先生の方を向いたのだけれども、先生もどう判断すべきか迷っている様子だった
「バーブル様!
此度の戦の先駆けを、どうかこのヴァイス・ラーガリーに!」
止める人がいない彼は、僕の前に跪いてなおも訴えてくる
先生が迷ってしまっている以上、決める人間は僕しかいないわけで……
なぜか行けると思ってしまった僕は、立ち上がって彼の頭に向かって言ってしまった
「うん、わかった。任せる
ただしけして無理はしないように
必ずしも救援が出せるとは限らないし」
これで合っているかな?少し語気が弱かったかもしれない
けれども、僕の言葉が終わらないうちから彼は飛び起きて
「はっ! 必ずや!!」
目はらんらんと息は荒く、落ち着きなく左右の足に重心を移しながら、今にもその場で飛び跳ねかねない
彼の様子を見るだに、ある種の大型の犬がはしゃいでいる光景を思い出さずにはいられなかった
サマルカンドの軍勢はアンディジャーン城を目前に陣を敷きつつあるところだった
戦を控えているというのに緊張感は感じられず、気のゆるみのような物すら漂っていた
アフマドは丘の上に備えた自らの陣にいながらにして、その気配を感じとりはしていたものの、改めて発破をかけるかどうかは決めかねていた
「下手に兵卒を煽りでもしたら、戦後の略奪がどれほど過激な物になるか予測がつきません」
彼はすっかり癖になっている頭痛を少しでも減らしたく、眉間を指でもみほぐしながら呟いた
「どうせ多勢に無勢です。落城することは間違いない……
それに多少犠牲が出た方があの増長極まりないベグ達の勢力が削れるという物
戦後を見据えるのならば、敵よりもむしろ味方の被害を歓迎すべき状況です」
「ままならぬ……。この身に流れる血がむしろ厭わしい
そしてそれはあなたにも言える事でしょう、バーブル
ティムールの王子などに産まれなければ、あたら若い命を散らす羽目にならずに済んだというのに」
彼は改めて自らの目でアンディジャーンを眺めようと思い立ち、自らの陣の先端まで歩を進めた
「どうかこの不甲斐ない叔父を恨まないでください、とは言いません。存分に恨んでくれて構いません
いずれそちらで出会った時に改めて謝りますので……」
緩慢に、それでも着実に進んで行く布陣と、その完成を以って発せられるであろう自分の号令と、双方に思いを馳せながら彼方に向けられたアフマドの目に飛び込んできた物は思いもよらない物であった




