表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡国の王子と動乱のサマルカンド ~異聞バーブル・ナーマ~  作者: はぶ川
亡国の王子と動乱のサマルカンド アンディジャーン防衛死守
2/42

1-2


 僕の住む庭園は街の反対側の方角にあたったので、アンディジャーンの街の真ん中を突っ切って帰ることにした。


 僕の父はフェルガーナの王様なのだけれども、現在その首都であるアンディジャーンには住んでいない。西方に一日行程ほど進んだ場所にある、アフスィという城に留まっているのだ。もっぱら仲違いしているアフマド叔父様が治めるサマルカンドがその先にある。つまり、僕の目には届かないにしても、戦争は密かに続いているわけだ。いずれこの僕もどこかで初陣を飾り、アフマド叔父様との争いに加わることになるのだろう。およそこの時の僕は覚悟ができているとまでは言い難がった。無理もなかったことだと思いたい。何しろ、この時の僕には経験というやつが丸っきりなかったのだから。

 外壁をくぐって、砂利を敷き詰めたバザール通りを進む。この街の人々は裕福そうな身なりをしていて、テュルク語で話す。街の造りはティムール閣下の他の立派な街と同じように、街区ごとに整理されたバザールが備えられている。モスクやマドラサ、それにハーンカーやハンマームなどの公共施設も、フェルガーナ地方の首都に恥じない規模と清潔さを保っている。でも、やっぱりサマルカンドのような大都会に比べると、少し劣る。僕は、まだほんの子供の頃に、サマルカンドに行ったことがある。アフマド叔父様を訪ねに行ったのだ。お父様とアフマド叔父様が仲直りしている間の出来事だった。その時にアフマド叔父様の娘が僕の許嫁になった。


 アンディジャーンの街の中心は、全ての街道が集まる広場になっている。隊商宿には世界中からこの街に立ち寄った商人たちが詰めかけている。この前を通りかかった時だけ、世界中の言葉を耳にすることができる。


 リズミカルに砂利を散らしながら、内城の前を通りかかる。ぐるりと濠が取り囲んでいて、門前にはモグール人の衛兵が立っている。王が不在の今、誰がここを治めているかというと、代々アンディジャーンのカーズィー(裁判官)をしているホージャ家の当主と、僕の母方のおばあ様であるイセン・ダウラト・ベギムが共同して統治している。もしかすると、女性で、しかも王の義理の母であるおばあ様が権力を握っているのは奇妙に見えるかもしれない。しかし、この街では、少なくとも僕が小さい頃からこうだったし、誰もそのことに疑問を抱いているようには感じなかった。おばあ様は厳格ながらも公平な判断をする方だったので、誰からも尊敬されていたのだ。

 城門の前を通りかかった時、モグール人の衛兵が敬礼をよこす。彼らは僕の父に仕えているのだから、僕は当たり前のように彼らの敬意を受け取るべきなのだろうけれども、なぜだか少し緊張してしまう。


「あー、少しわかります、それ。特に騎乗したまますれ違う時が一番緊張します。彼ら一人残らず馬術の達人ですからねー」


 そのことを打ち明けてみると、ハージーが我が意を得たとばかりに同意してくれた。実は僕の言いたいこととは少し違っているような気がするのだけど、どこをどうと説明することができない。


「私たちの姿が見えなくなってから、あれこれ批評してるんじゃないかって思うと、ちょっと息苦しいですよねー」


 僕らと違って、サンガクだけは彼らと比べても遜色ないだけの馬術を身に着けているはずだ。そう思って彼の方をちらりと見ても、何も言わない。ただ、厳しいまなざしで門番を見ているだけだ。その真意がどこにあるのかは定かではないけれど、街の住人たちとモグール人との間に少しばかり確執があることを、僕は知っている。


 モグール人というのは、いわゆる遊牧の民だ。山脈の向こう側、モグーリスターンが彼らの本来の本拠地なのだけど、この頃ではどこにでも彼らの姿を見ることができた。一番有名なモグール人としては、チンギス・ハンをおいては語れない。彼こそが草原の王であり、世界の覇者でもあった。

 実は、僕は僕の父を通じてティムール閣下の血を受け継いでいるのだけれども、僕の母を通して、チンギス・ハンの血をも受け継いでいる。僕はこのことをことさらに誇ったりはしないが、人によってはこれはすごいことだと褒めそやしたりもする。


 僕の母は北の方にあるタシュケントからこの地にお嫁にやってきた。こちらももう亡くなってしまっているけど、母の父はユーヌス・ハンという名前で、モグール人たちの王で、大変な英雄だった。僕の父とも度々争っていたのだけれども、父はアフマド叔父様との抗争が激しくなるにつれ、よりモグール人たちの助けが必要になっていった。最後には、タシュケントとウラ・テペという土地を結納金がわりに母との縁組を固め、一族となった。こういうとなんだか血生臭い、意に沿わない間柄の夫婦みたいに聞こえるかもしれないけれども、仲は良かった。僕の目から見ると二人とも割とのんびりとした両親だった。



 やがて僕たちは一つの立派なチャハール・バーグ(四分庭園)に行きついた。こここそが僕の家だ。僕はここで母と五歳年上の姉と共に暮らしている。

 埃っぽい街道から生垣一つ隔てただけなのに、そこはいつだって別世界みたいだった。鳥は歌い、花は咲き乱れ、健やかに育った果樹が立派な実をつけている。様式にのっとって四方から望むことができるサライは少し高台にあり、とても心地よい風が吹く。敷地には清らかな流れが取り入れられていて、庭園全体を十分に潤してくれている。

 敷地に乗り入れるとすぐにハージー馬を厩舎に戻してくると言ってくれたので、手綱を手渡す。サンガクも共に姿を消し、僕は一人で通路を歩いた。午後の光が木漏れ日となって降り注ぎ、足元で砂利が鳴る。芝生に座っていた人影がそれに気づき、手にした本を閉じて、立ち上がった。


「あら、迷子の子犬がやっと戻って来た。小姓たちが大慌てしながらお前のことを探していたわよ」


 ハンザーダ・ベギム。僕の同腹の姉で、五歳年上になる。他にも兄弟は何人かいたのだけど、みんな腹違いだったし、一緒には暮らしていなかった。僕と同じく豊かな黒髪をしている。顔も似ているとよく言われたものだったけれども、この頃はまだ彼女の方が背丈がずいぶん高かった。


「大丈夫、彼らとは合流できたから。今厩舎に馬を戻しに行ってるんだ」


「ふぅん、それならいいんだけど。それにしても、やっとおねしょが卒業できたと思ったら、一体いつになったらその脱走癖は治るのかしら。お前、もう十二歳になるのよ?」


 僕の前に立ちはだかりながら、やれやれといった様子で両手を広げる。目の前に立たれると、まるで見下ろされている気分だった。いや、見下ろされているのは事実だったし、この頃の五歳の差というのはかなり大きいものだ。そのせいか、何かにつけて彼女は姉ぶりたがるところがあった。


「おねしょなんてしたことがないし。それにただ遊びに出かけたわけじゃない。乗馬の鍛錬とか領地の見回りとか色々あるし……」


 思わずふくれっ面になっていたことだろと思う。帰ってきて早速難癖をつけ始める彼女に少しうんざりしつつあった。ため息混じりに僕は言い訳を試みた。


「大体、歳の話をするなら姉さんの方がいけないんじゃないか。もう十七になるっていうのに、縁談は一つもまとまらないしさ。一体いつまで僕と一緒に暮らすつもり……」


 そこまで言って、僕は一線を越えたことを悟った。はっと顔を上げると、彼女の長い両手が目の前まで迫っているところだった。眉をしかめ、こわばらせた口元のその笑顔は僕にとって馴染みのものだった。よくない意味合いで。僕は慌ててそれを避けると、後ろを向いて逃げ出した。


「そっちから茶化してきたくせに、なんですぐに怒るんだよ!」そんなだから、いつまでたっても嫁にいけないんだ。とまでは口にしなかった。


「うるさい、弟が口答えなんかするな!」


 彼女は一瞬追いかけようとする素振りは見せたものの、さすがに弟と追いかけっこをするような年齢ではないと思い直したのだろう。ただし、口の方まで自重するほど慎ましい性格はしていない。


「お母様が随分と探してらしたわよ!早く行きなさい。行って精々叱られていらっしゃい!」


 ひときわ大きな声を背中に浴びせられながら、僕は小さく首をすくめながら邸宅に逃げ込んだのだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ