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第四話

バーブル 主人公 ティムールの末裔 12歳で父の跡を継いでフェルガーナの王になる


ハサン・ヤークーブ・ベグ 宮廷長 父からの代の一の家臣


カースィム・ベグ カウチンという武家の出 バーブルの家臣でありよき理解者 


ホージャ・マウラーナーイェ・カーズィー バーブルの学問の師 アンディジャーンにてイスラーム法を司る家の出であり、本人も法官



「おおい、戻ったぞ!

誰か、誰かおらぬか!!」


割れ鐘のような大声を響かせながら、騒々しい足音が近づいてくる

おそらく数日前に召集の報せを受け取った大ベグ、ヤークーブ・ハサンが到着したのだろう


僕はこの数日ずっと広間に詰めっぱなしで、先生と一緒に図面とにらめっこしている状態だった

とにかく、サマルカンドのアフマド叔父様がこの機を逃すことはないだろうという結論は既に出ていたので、その軍勢からアンディジャーンをどのように守るのかが差し当たっての大問題だった

そのためには城の防備を固めることと、城外に出ていたお父様の麾下を集合させることが先決であり、ヤークーブ・ハサンは割りと遅れての参陣ということになる


傍らにいたやはり数日前に到着したベグの一人、カースィム・ベグが応対するために腰を上げる


「騒々しいですな、ヤークーブ殿

バーブル様がこちらにおいでなのですぞ」


「わぁっとるわ!

取るもの取りあえず大急ぎで参ったんじゃ

今さら行儀よくしてどうする!」


言いながら足音は控えないまま広間に入ってきた

お父さまの代から一の家臣として幾多の戦場を駆け回ってきた偉丈夫の姿を見て、僕はちょっと気圧されてしまったけれども、取りあえず、彼から目をそらすことなく頷くことだけは出来た


彼も何も言わずに一礼すると、僕から少し離れたところに腰を下ろした


「あれが後を継ぐ若君ですか」


「お若いとは聞いていましたが、本当にお若い…… というか」


彼の背後では彼が率いてきた取り巻き達が盛んに内緒話に精を出している


「……若いというか、まだほんの子供じゃろ」


恐らくは取り巻き達もこちらに聞こえる程度の声で話しているのだろうとは気付いていたが、まさか当人がそれに乗るとは思ってもいなかった

広間の空気も一瞬で固まり、内緒話をしていた当人たちも真っ青な顔になってしまっている


「これはサマルカンドのアフマド様に誼を通じる必要が出てくるかもしれんの

まぁ、それはいざとなったらの話じゃがの! ガハハハ」


静まり返った広間で、とんでもないことを大声で言い放ちながら、髭の大男はおもしろい冗談でも言ったかのように高笑いしていた

僕の顔は青ざめていたことだろう

半分は恐れで、半分は怒りで

ただ、その時は言うべきセリフを見失い、唇をかむことしかできていなかったけれども


「あー、若君

少しよろしいか」


ヤークーブ・ベグの笑い声だけが響く広間の中、カースィム・ベグがのっそりとその長身を立ち上げながらそう言った


「……なんだ

申してみろ」


僕はすっかり嫌な気分になってしまっていたし、彼もまた面倒なことを口にするのではないかと恐れていたのだけれど、許可を求められたら発言を許さないわけにはいかなかった


「なんといいますか……

ここにいる全員、というかここにいないお味方も含めて」


彼は、少し俯き加減で右手で頭をかきながら、言いにくいことを口にしているんだぞという表情をしながら


「此度の戦で、若君が活躍するだろうなどと思っている者は、一人も」



「ございませぬ。」


最後のセリフだけは妙にいい表情をしながらも、きっぱりと言ってのけた


元より張りつめていた広間の空気は、今や沸騰しているかのようにあちこちで泡立ち、人々は頭を抱えたり両手で口をおさえて真っ赤になったり真っ青になったり、大騒動になる一瞬前といった様相だった

高笑いを続けていたヤークーブ・ハサンすらぎょっとした顔になっていたし、僕もまた面食らって息を吸うことすら出来ない有様だった


その後の言葉を聞き漏らすまいと広間の全員が耳を傾けたのだが、彼はとぼけた顔をしながら何も言おうとしない

ただ、僕の目を真っ直ぐに見つめてくるだけだった

僕の言葉を待っているのだと気づいた僕は、やっと息をすることを思い出して、とりあえず言葉を絞り出すことだけは出来た


「……言ってくれるな」


我ながら煮え切らないことだとは思ったけれども、彼の真意がわからない

ただ、嫌なことを言うつもりではないということだけは、なんとなく伝わってきた


「あー、そのようなつもりで申し上げたわけではなく……」


この期に及んでとぼけた芝居を続ける素振りを見せた彼に、僕はちょっとだけ頭に来たのだろう


「構わない。続けよ」


ちょっとそっけない感じでそう言った


「では失礼して……

何も出来もしないことを今さらいきなり出来るようになれとは申しませぬ


ただ、我らアンディジャーンの家臣団、むざむざサマルカンドの軍門に下るような真似は致しませぬ

つまり!

若君におかれましては、儂が敵軍を斬って捨てるのを、ただ座って眺めていればよろしい!」


彼は後半は胸を張り、後ろを、つまり耳を立てて聞いていた群衆の方をぐるりと見まわしながら、大音声で張り上げた


「何!

どうやら怖気づいて敵方と誼をと申す者もいるようですが

その者の分も儂がまとめて働きましょう!

なんの心配もございませぬぞ!」


彼は先ほどのヤークーブとは比べ物にならないくらい、愉快そうに高笑いをし始めた


「待て待て待てーい!

儂はそのようなつもりで申したわけではないぞ!!

誰がサマルカンドの烏合の衆ごときに恐れをなすか!」


ヤークーブ・ハサンが慌てた様子で立ち上がり

呵々大笑しているカースィム・ベグの肩を押しのけながら前に出てきた


「若君!

先ほどの戯言を真に受けはしますまいな!?


此度の戦、このヤークーブ・ハサンにこそお任せあれ!

先代ウマル・シャイフ殿から続く一の家臣の力をお見せしようぞ」


ヤークーブ・ハサンは一気にまくし立てると、今度は広間全員の方に向かって騒ぐんじゃないとか喚き始めた

しかし僕の視線はそっちではなく、押しのけられたのっぽの男の方に吸い寄せられていた

彼はさも愉快そうに軽く肩をすくめると、自分の席に戻ろうとしたので、僕は彼だけに聞こえる声で


「礼を言う」


とだけ口にしたのだけれども、彼は


「なんのことでしょうな」


と瞳をぐるりと回しておどけるものだから、僕はくすりと笑ってしまった


カースィム・カウチン・ベグ

この、文盲なのに機転の利く、信仰心が篤いのに口の悪い、髭の長身の男

独特の気風を持つ代々の武家の出である彼の、奇妙なほどの献身はここから始まった

実際、彼と先生がいなかったら、僕の陣営は早晩にも立ち行かなくなっていたことだったろう



とにもかくにも


至高なる神のお恵みにより

かの宇宙の主たるお方のお仲立ちにより

そして四名の清浄なる友らのご尽力により


八九九年(西暦1494年)ラマザーン月五日火曜日(6月7日)


私はフェルガーナ地方で


一二歳で


支配者となった




数日後、アフマド叔父様の軍勢が、サマルカンドを発し

フェルガーナに向かいつつあるとの報が入ってきた



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