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第一話

バーブル 主人公 ティムールの末裔 12歳で父の跡を継いでフェルガーナの王になる


クトゥルク・ニガール・ハニム バーブルの母 先代モグール王ユーヌス・ハンの娘であり、英雄チンギス・ハンの末裔


ホージャ・マウラーナーイェ・カーズィー バーブルの学問の師 アンディジャーンにてイスラーム法を司る家の出であり、本人も法官




街から少し離れた草原の、斜面の、なるべく草が服に付かないようなところを選んで、仰向けに寝転がった


空の青や萌える草の緑が、ちょっとだけ今の気分にそぐわないと思ったが、薄目を開けて風を感じているうちに、気分の方が色に染められてしまったような気がする


今では何に対して鬱屈していたのかすら思い出せない

こんなにも簡単に心のしこりがほどけるというのは、なんだかおかしい

この現象は僕にとって度々起こることであり、それは街の中にいるよりは、草原に出ている時に起こることが多い

多分広さが関係しているのではないか、と思う

あるいは人の密度か


おそらく、既にこれまでの人生で、僕はこのことを経験から知っていたのだろう、気晴らしという名目で城を抜け出すことが、割と、よくある


遥か上空には鷹だろうか

大きな猛禽が、地を這う獣を見下ろしている

ほとんど羽ばたかずに、うまく上昇気流を見つけては、それに乗って一気に高度を上げる

彼らの動きの中でも二番目に楽しい場面だ

一番はやっぱり急降下

でも、こっちは滅多に目にすることが出来ない


すっかり楽しくなった僕は、手元の草を引きちぎって笛を吹くことにした

それは今頃必死になって僕を探している二人の小者の耳に届くだろうし

つまり、もう連れ戻されてもいいかなって思える程気分が回復したという、一つの合図でもあった




僕は生まれた時からフェルガーナの王子だった

北と東と南と

氷河をてっぺんに頂くような、壮麗な山脈に囲まれた、この世の中で最も美しい盆地


盆地を東から西へと貫く大河は、世界に名だたるシルダリア

春と夏にはパミールからの豊富な雪解け水で大地は満たされる

秋と冬はとても寒い

でも、その寒さが氷河を維持するのに必要なのだそうだ

寒さがあるからこそ、大地は春になると一面の花を咲かせることが出来る


僕はフェルガーナの王子であり、父がフェルガーナの王なのだけれども、父は自分自身で王になったわけではない

父の父、つまり僕のお爺様がそのように任命したのだ

お爺様はフェルガーナから半月あまり行ったところにあるサマルカンド つまり帝国の都の主であったのだけれども、だいぶ前に亡くなってしまっており、今はお父様のお兄様がそこを治めていらっしゃる

ちょっと、というかかなり険悪な関係になってしまっているそうで気掛かりだ


僕はこのようなことを自分自身で調べて知ったわけではなく、学問の師匠によって教えていただいたわけなんだけれども、その方というのが今まさに僕に雷を落としていらっしゃるわけであって、つまり、城に連れ戻された僕は、勝手に抜け出したことを叱責されている最中であった


「よいですか?

何度も申し上げておりますが、御身は既にあなた一人の物には収まらぬものなのです

フェルガーナのご嫡男である以上、軽はずみな行動はつとにお控えくださらねばなりませぬ」


「はい、ごめんなさい

次からは誰かに声をかけるようにします」


と返事はするが、城から飛び出したくなる時というのは、大抵が一人になりたい気分なものなのだ

次もきっと何も言わずに出かけてしまうだろう

彼の方も本当のところはそれはわかっているのだろうと思う

彼が本気になってそれを防ごうとしたならば、僕が城外に出ることなんてとてもじゃないけど叶わなくなるだろう

つまり、僕は彼の管理に甘えた上でわがままな行いをしていることになるんだと、自覚はないわけではないんだけれども、その時が訪れると抑えきれずについつい衝動に従って行動してしまう


お説教が終わって部屋に戻ろうかと思っていると、外城にいらっしゃるお母さまから、訪ねにくるようにとの使いを頂いた

了解した旨を返答し、その足で向かうことにする

なんのご用だろうか。城を抜け出した件ではない気がする


お母さまはモグールの出だ

お母さまのお父さまはモグールの王であり、その祖先はチンギス・ハンに連なる

かつてはお父さまと血で血を洗う争いを繰り返していたのだが、お母さまがフェルガーナに嫁ぐことで縁続きになって一応は平和が訪れた

その後お爺さまはお亡くなりになり、その長男が今はモグールを継いでいらっしゃる

こちらも昨今あまり良好な関係とは言えなくなってしまっている


「参りました、お母さま

なんのご用でしょうか」


「なんの用というわけじゃないけれど

このところ顔を見ていなかった気がして、話をしようかと思っただけよ」


「確か一昨日お会いしたように思いますけれど」


「ってことは昨日は会ってなかったわけじゃない!

ダメよあなた、もっと度々訪ねてこないと」


お母さまは小柄だけれども美人で、何よりも活気にあふれている

とくに男顔負けの健脚であり、草原の出らしく乗馬も巧みに操ることが出来る


「それと、また誰にも言わずに城外に出かけて言ったそうじゃない

マウラナーイェ殿が教えてくれたわよ

もうすぐ十二になるんだから、そのような真似は慎まないと

草原に出たいのならば、狩りをするだとかなんとか、理由を付けて出かければいいだけじゃない」


マウラナーイェというのは先生という意味だ

つまり、さっきまで僕にお説教をくれていた人物のことである

僕の脱走を察知してすぐに小者を手配しお母さまに連絡を入れたのだろう

苦労をかけたことを申し訳なく思う反面、彼ならばそんなことなど苦労のうちにすら入らないだろうとも思っている


「そうそう、十二歳の誕生日は盛大に祝いますよ

お父さまもこのアンディジャーンを訪れるとおっしゃってますし

あなたの弟も連れてくるそうです」


僕たち母子が暮らしているアンディジャーンというのがフェルガーナの都なのだけれども、お父さまはそこから少し離れたアフスィという城にいらっしゃることが多い

アフスィは街はアンディジャーンよりもはるかに小さいのだけれど、城が堅いことで天下に知られている

何かと不穏な情勢が続いている現在、自然と戦向きの城に居を構えるようになってしまったのだろうと思う


「それはお会いできる時が待ち遠しいですね

お土産にメロンを持ってきてくださると嬉しいのですが……」


「お前は本当にメロンが好きねえ……

食べる時、産地を必ず当てることが出来るってのは本当なの?」


「えぇ、もちろん

何も食べずとも見ただけでもわかりますが」


「それなら祝宴にはメロンを多めに持ってこさせるようにしましょうか

私にはどんな種類があるのか見当もつきませんが……」


僕はきっと知らずのうちに笑みを浮かべていたのだろう

お母さまはちょっとの間、そんな僕を呆れた表情で眺めていたけど、すぐに笑顔になって乱暴に僕の頭を撫でてきた

ちょっと恥ずかしくて嫌だなと感じたけれども、誰も見ている者もいなかったし、しばらくされるがままにしておくことにした


「さ!行ってらっしゃい

でももう今日は城を抜け出さないこと

そろそろあなたもやらなければならない事で一杯になる年頃よ

覚悟しなきゃ」


お母さまは僕の両肩を手で押すようにしながらそう言った

そうだ、このところ常にそれは頭に浮かんでいる

この両肩に様々なものが乗ってくるような日も遠くはないだろう


なんといっても僕は、十二歳になるのだ!



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