1、ヒット曲ライブラリー
「この曲にする」と留衣が指さした画面の文字を、貴流は近寄って「どれ」と覗き込んだ。
それは、メニューに登録されている中でも最も長いと思われるタイトルの曲だった。
「The Night the Lights Went Out in Georgia」
「ジョージアの灯は消えて」という邦題は、原題を的確に詩的にまとめている。
「どうしてこの曲?」
貴流の問いに、留衣は音楽愛好家として素朴な答えを返した。
「この曲、全米1位になったんだけど、日本じゃ知る人ぞ知る、すごくマイナーな曲なんだ。「ホテルカリフォルニア」とか、誰でも知ってる曲じゃつまらないよ。それにホテルカリフォルニアには一度入ったら出られないんだろ、ホラーだ」
「まあな」
と貴流は含みのある曖昧な表情をして同意した。
留衣が見ているパソコンの画面には、1970年代と表示され、全米でヒットした曲が十数曲リストアップされていた。その曲はいずれもビルボードtop10以内をマークし、ストーリー性もしくは独自の世界観を持つという条件を基準に選択されていた。
その選曲をメインで行ったのが貴流の父親で、彼はバーチャルリアリティーの新たな領域を開拓するシステム「バーチャルリアリティーで体験するヒット曲の世界」の開発チームの一員だった。
今や、世界旅行や宇宙旅行、海底探検、スポーツ疑似体験など、バーチャルリアリティーはあらゆる種類の体験を居ながらにして可能にした。
次にバーチャルリアリティーが目指すのはタイムトリップではないかという期待感もあったが、タイムパラドックス等の難題を抱えるタイムトラベルは、まだ時期尚早だった。
そこで、人気の異世界へのトリップに独創的なテーマを設けて新機軸を打ち出そうというのが、「VRで体験するヒット曲の世界」の開発目的だった。
それはヒット曲の世界へ文字通りトリップするというもので、実験段階的な要素もそこにはあった。
他のバーチャルリアリティーとの差別化をはかるための野心的な試みといえたが、それだけに不安な面もあり、一般公開の前にモニターを募って安全性を確認する必要があった。
そのモニターに応募、というより、大学の友人貴流にスカウトされたのが、留衣だった。モニターの条件として一番に重視されたのは音楽、特に全米でヒットした曲に興味があるということだった。
しかも貴流の父親が趣味として選択した、1960年代、70年代のヒット曲に造詣が深い者が優先的に選ばれた。
ということで、「ヒット曲の世界」の第一弾として、60年代、70年代合わせて約30曲がリストアップされた。
留衣は70年代のメニューを選択し、1曲1曲そこに書かれた曲の説明を読んで吟味した。
「ホテルカリフォルニア イーグルス」
名曲だけど、有名すぎて興味が湧かない
「名前のない馬 アメリカ」
名前のない馬に乗って、砂漠を旅する
砂漠は暑いし乾燥していて何となくいやだ。最後に砂漠が海になるんだっけ?
「スペース オディティ デヴィッド・ボウイ」
宇宙で遭難?怖いな
「ロックンロール・ヘブン ライチャスブラザース」
ジミヘンとジャニスとジム・モリソンたちが天国で共演するって、すごい!
曲名をクリックすると、さらに詳しい解説と歌詞を見ることができた。留衣はどの曲も聞いたことがあったが、歌詞をきちんと見たことはなくて、曲の内容は大まかに知っているだけだった。
貴流は「ヒット曲ライブラリー」のアドバイススタッフとしてオープン時から参加するとのことで、とりあえず登録されている曲をとことん、学習し把握した。その点では、留衣よりはるかに曲の内容に精通しているといえた。
「ビートルズの「ストロベリーフィールズ フォーエバー」って曲、多くの人がイチゴ畑をイメージするんだけど、実はそうじゃないんだ」
「えっ、イチゴ畑のことじゃないの?」
留衣は曲はよく聞くが、歌詞で耳に残るのは「ストロベリーフィールズ フォーエバー」という箇所だけだった。
「歌詞が、(目を閉じていれば生きるのは楽だ)といった観念的な文章ばかりなのでわかりにくいけれど、ストロベリーフィールドというのはリバプールにあった孤児院の名前で、ジョンが子供の頃その庭で遊んだんだ。だから、ジョンの子供時代の楽しい思い出を歌った歌詞ということになるけど、それにしちゃ、子供の純真さとはかけ離れた内容になってる。そのちぐはぐさがジョン・レノンぽいといえばそうなんだな」
「ああ……、そうだったんだ」と留衣は友人の能弁にただ感じ入った。
「俺、いくつかの曲のVR体験のモニターをしたんだけど、「ストロベリーフィールズ」はイチゴ畑と思いこんで体験する人の期待を裏切らないように、赤いイチゴが点在するイチゴ畑が全面に広がる映像から始まるんだ。それからイチゴの赤から孤児院の赤い門へと切り替わって、子供の目線でそこの庭に入って遊ぶっていうイメージなんだ」
「いいな、それ」
「でも君は「ジョージアの灯は消えて」を体験するんだろ?」
「うん」とうなずいた留衣に、貴流はもう一度さっきと同じ質問をした。
「どうしてこの曲なんだ?」
貴流の声には、この曲は決してお勧め品ではないという供給者側の思惑がちらついていた。留衣は自分の選択に難色を示されたような気がして、少々不快になった。
「だからさ、あまり知られてないヒット曲で、何ていうか、ノスタルジーを感じるんだよ。僕、SF系より古いもののほうが好きなんだ。レイ・チャールズの「我が心のジョージア」なんて、グッとくるよ」
「ジョージアはアメリカ南部の古い時代の面影を残す州だからな。うん、先入観はあんまりないほうが楽しめるよ」
「君はこの曲のVR世界を体験したの?」
「いや、まだだ。歌詞はしっかり読んだけどね」
何やらいわくありげな貴流の言葉が気になって、留衣は曲目に添えられた簡潔な説明文をもう一度読んだ。
「1973年 全米ナンバー1を記録した、ビッキー・ローレンス唯一のヒット曲。
無実の罪で絞首刑にされた男の、南部のゴシックソング。」
無実の罪、絞首刑、ゴシック、それらの言葉がゾクッとする感触で、留衣の感性に素手でつかむように触れてきた。そして、媚薬のような魔性の力で彼の好奇心を引き出そうとするのだった。
歌詞をきちんと見てみようかとクリックしかけた手を、貴流の「先入観はあまりない方が楽しめる」を言う先刻の言葉を思い出して、留衣は止めた。
「それじゃ、「ジョージアの灯は消えて」で決定だね?」
貴流の最終確認の問いかけに、留衣は「うん」と返事した。一点の迷いもなく。自分が「ジョージアの灯は消えて」の曲の世界へのバーチャルトリップ第一号となることを、月面着陸のアームストロング船長にも並ぶほどの栄誉と感じて、心はすでにアメリカ南部、ジョージアへと飛んでいた。
貴流がパソコン画面の決定ボタンを押し、しばらくすると、画面には「トリップルームへどうぞ」という文字が現れた。
「さあ、行こう」と貴流に促され、留衣は「準備室」を出てトリップルームへ向かった。