蒐集国家コラジス7
「追跡調査……?」
ぱたり、と本を閉じたイルディアスは首を傾げる。書庫堂への入室禁止を言い渡され、貴族街の廃墟を倒壊させてから、7日の時が過ぎていた。すでにあの事件のことはイルディアスの記憶の彼方にすっ飛んでおり、目の前に立つ男が話す内容を思い出そうとしていた。
「そうだ。おぬしが倒壊させた屋敷からは地下室が見つかった。どうやら何者かが拠点にしていたようで、おぬしには逃げ出したそいつを追ってもらいたい」
数秒考えこむイルディアスを、無言で見守る男。紺色の帽子をかぶった男は直立不動で白髪の男を眺めた。
「俺が倒壊させた……?」
そこからか、とため息を吐き出す。だが、酔っ払いの相手をしていると思えば問題はない。会話する気があるだけ上等というものだ。
「おぬしが魔術で巨人の足とやらを出現させた屋敷だ。崩れた屋敷を片付けようとしたら、瓦礫の山に穴が開いていたらしい。辿った先は地下室で、特に何かが見つかったという話は聞かないが、誰かが生活していた形跡がある。それも、ごく最近までだ」
警備服に身を包んだ自警団長は、自慢の髭を撫でながら話を続ける。
「結論としては、自警団を追手には出せん。そういう技術を持っていないし、都市の守りを疎かにするわけにはいかない。だが、逃げ出した者を放置するのもまずい。そこで、暇を持て余していて戦闘能力がある君に話が回ってきたわけだ」
「ふぅん……」
話は理解した、と頷くイルディアス。本の山から一冊の本を取り上げると、先ほど読み終わった本をかわりに上にのせる。読書を続行するつもりらしい、と自警団長は思うが、そうなることは想定内だった。
「これは私から君とナルファ嬢への正式な依頼だ。報酬も出す。ナルファ嬢には金銭を、そして君には――」
ごそごそと懐を弄った自警団長は、一冊の本を取り出した。
「――私の先祖が代々綴った各国の酒飲み比べ本。題は『男一代酒放浪記』。正真正銘、世界に一冊しかない本を贈呈しよう」
古ぼけた装丁に、今にもほつれそうなほどヘたれた紐。乱雑にまとめられてはいるが、百枚にも及ぶであろう紙を使ったそれはまさしく『本』だった。しかも個人だけが所有する『個人本』であり、おそらく積み重ねた歴史は数世代分。市場にも出回ることはない。つまり現状、読む手段はこの依頼を受けて彼から本を受け取ることだけ。
「承りましょう」
そんなものを報酬に提示されては、受けないというわけにもいかず、イルディアスは迷うことなくその依頼を受けた。たとえどんな本であっても、読んでない本ならば手を伸ばす。いっそ偏執さすら覚えるイルディアスの読書欲は、とどまるところを知らないのだった。
「……ところで、どうしてナルファを?」
「知らないのか? 彼女の母は元冒険者、父は元レンジャーだ。一定の知識は叩き込んだと聞いている。しかもあのゼルラーズ翁から一時期手ほどきも受けていたそうじゃないか。これを遊ばせておく手はない」
にっかりと笑った自警団長は、右手を差し出した。イルディアスが右手を握ると、勢いよく引き立たせ、服に着いた埃を払う。
「追跡に関しては彼女に任せていいってことですね?」
「ああ。まあ、もしも君が追跡に関して役に立てそうなら、存分に力を振るってもらって構わないがね!」
「あいにく、俺の魔術はそういったことは不得手でして……目の前に敵が出たら叩き潰す自信はあるんですが」
イルディアスが得意とする魔術は、大規模な破壊には向いているものの、追跡や捜索といった行為には向いていない。すでに見えない敵を追いかけることはできないのだ。
「……なるほど、やはりナルファ嬢が鍵か……では、さっそく行ってもらおう。私の部下を1人つけるから、困ったことは頼ってやってくれ。書庫堂の外に待機させている」
うーん、と伸びを1つして、イルディアスは歩き始める。この7日間はゼルラーズに見張られてろくに読書ができなかった。その不満は確かにあるし、本を持っていけるならば持っていきたいが、自警団長が見せてくれた『男一代酒放浪記』。アレを手に入れるためなら、多少の不自由は我慢しようという気持ちになった。なにせ個人本は貴重なのだ。【剣姫】に頼み込んで見せてもらった門外不出の『剣帝記』、あれも非常に面白かった。
書庫堂の扉を開けた先には、3つの人影が佇んでいた。いつもの侍女服ではなく、スマートな紺色のズボンに上半身は皮当てを着込んだ女性がナルファ。普段見慣れている仕事着や侍女服ではない姿を見て、イルディアスは特に興味もないのですぐに目をそらした。アレがいわゆる冒険者モードということなのだろう。思えば、彼女は昨日も冒険者ギルドなどのシステムに非常に詳しかった。両親から教えられた知識なのだろう。
「特別手当、危険手当、技術手当……」
ぶつぶつと呟いている様子からはとても強いやる気を感じられたので、イルディアスは彼女に声をかけるのはやめておいた。集中を乱すこともないだろう。
「お初にお目にかかります! 自警団のコムです!」
隣にいた自警団員は、ピシッと敬礼をしてイルディアスに挨拶をした。黄土色の短髪に、好奇心に溢れた緑の瞳。背は小柄だが、自警団らしく体つきはがっしりとしている。イルディアスの隣に立つ自警団長が、満足げに頷いてコムを紹介する。
「新人だが、目をかけている。察しが良いし、頼んだことを間違いなくこなす忠実さもある。頼んだぞ」
「ハァ……どうも」
適当に挨拶を返したイルディアスに、残った人影のひとつが盛大にため息を吐き出した。イルディアスの態度に文句があるのだろうが、その人影はなんとか文句を飲み込んだ。言っても仕方が無いということを学んだからだ。
「ナルファ、任せたぞ。イルディアス、くれぐれも人様に迷惑をかけるんじゃないぞ」
その人影、ゼルラーズは二人に声をかけると早々に去っていく。この7日間イルディアスの仕事ぶりを見張り続けていたので、仕事がたまっているのだ。普段のイルディアスは居ても居なくても可、くらいの仕事をこなすのだが、多くの職員に休暇を出した以上、イルディアスとゼルラーズの二人は死ぬ気で働かなければならなかった。死ぬ気で働けば二人でもなんとかなるという意味でもある。ゼルラーズ司書長の足取りが、連日の寝不足で少しふらついていたのは言うまでもない。
「じゃあ出発しましょう! 一通り旅に必要そうなものは揃えましたので!」
コムが背中に背負った巨大な袋を見せつける。一人分どころではない量の荷物を見たイルディアスが、こてんと首を横に傾げた。
「旅?」
「都市内の足取りはすでに追ったわ。もう壁を越えて外に出てる可能性が高い。とはいえ町での補給は必要でしょうから、私たちが目指すのは南町、ルーワンよ」
なんか行き当たりばったりすぎないか、と思ったイルディアスだったが、追跡や調査に関してはナルファに任せるしかない。曖昧に頷き、あれよあれよという間に首都ラッスフェルの外に連れ出されてしまった。
目の前に伸びていく踏みならされた街道と、行き交う馬車と人の群れ。その様子を見たイルディアスは思った。
(――まあたまには違う町に行って本を探すのもいいかもな)
すでに目的を見失っている白髪の男は、その致命的なまでの生活力のなさで旅に出たらどうなるのかを忘れている。学院都市に向かうまでの10日間で行き倒れ、結局多くの人の助けを受け、迷惑をかけたことを忘れている。
「さあ行きましょう! 時間は一刻だって止まってくれないわ!」
『頼むからイルディアスを連れてどこかに行ってくれ! 報酬は弾む!』とゼルラーズに説得され、ほとぼりが冷めるまでイルディアスをラッスフェルから遠ざけたいゼルラーズ。『最近の新人は根性が足りない……』と、厄介な人間に素で失礼な発言を繰り返すコムの我慢強さを鍛えたい自警団長の間で利害関係が一致。結果、二者から少なくない額の報酬を受け取ることでしばらく二人の面倒を見ることを引き受けたナルファ。
経歴も能力も潜伏者が外に逃げたらしいことも本当だが、逃げた潜伏者については全く心配していなかった。大方どこぞの間諜の拠点だったのだろう、ということで決着がついている。これに関しては、自警団長もゼルラーズも意見を一致させている。
(しかも旅と活動資金は経費! 最高!)
知らぬはコムとイルディアスのみ。荷物を全部持たされても不平ひとつ言わないコムと、完全に物見遊山気分のイルディアス。なにせ頭を使う仕事はナルファがやればいいと聞いている。それは常識人であるナルファに二人の手綱を握らせるための方便だったが、結果としてイルディアスの思考力を綺麗に奪い取っていた。
「じゃ、行くか」
「はい! 行きましょう!」
自信満々に一歩を踏み出したイルディアスに、憧れの目を向けながらついていくコム。彼は、コラジスの“怪童”の噂を持つイルディアスしか知らないのだ。流石、追跡調査もできるんだ! と誰も得しない誤解を深めながら、3人組は街道を歩いて行く。
「……重くないのか?」
「体力だけが自慢なので!」
イルディアスの問いに明るく返し、先頭を歩くナルファについていく。移動方法が徒歩なのはナルファが馬車代をケチったからであり、その時点でスピードを要求される追跡調査としてはおかしいのだが、興味の無いイルディアスと新人のコムは気付いていない。
やがて歩き慣れていないイルディアスが悲鳴をあげて座り込むまで、コムの誤解が解けることはなかった。