蒐集国家コラジス4
食料品など、家族分を含めた買い出しを終わらせたケインは、背後の奇妙な光景を視界に入れて、頬をひくつかせた。笑おうとして失敗したのだ。その視界の先には、ふわふわと空中に浮いている食材があった。
「すごい……」
一人感動しているラフィは置いておいて、大人二人――ケインとナルファは有り体に言って異常な光景にドン引きしている。この光景が生まれる原因は、ナルファが余計な一言を――とは言ってもそれは非常に正しい発言だった――言ったからである。
荷持ちとして雇われてるんだから荷物を持て、と。
至って当然のこの主張をイルディアスに言ったところ、イルディアスは目をぱちくりとさせて右手を軽く振りながら、口の中で何事かを呟いた。
瞬間、ナルファとラフィが持っていた荷物がふわりと浮き上がり、頭上20センチほどの場所で滞空。イルディアスが移動すればそのあとをついて動くようになったのである。
「これが、魔術……」
日々の生活を支える魔導技術とは由来を異にする、異様な技。イルディアスがかつて“怪童”と呼ばれるようになった事件で、彼が振るった人知を超える力だ。
イルディアスは普段あまり魔術を使わない。彼がコラジスに帰ってきた時、彼の所属をどこにするか、コラジスの上層部は揉めに揉めた。彼自身南の王国クジャンダの武家、バルグランド家の【剣姫】と親しいという噂もあり、とはいえ蒐集国家コラジスは『非武装』を謳う中立国家である。強大な力を持つと知られてしまったイルディアスは、結局のところ本人が希望するとおり、中立の象徴たる大図書館に配属するしかなかったのだ。
そういった事情を本人が理解しているかどうかはともかく――本人は、読書の邪魔だからという理由以外で魔術を使うことがない。思考回路は奇天烈だが単純な構造をしており、思えば顎髭男に『得意だと思う』と言った根拠はここだろう。要するにイルディアスは、両手を使わず重量を選ばず読書を続けながら大量の荷物を運べるのだ。
周囲の目を気にしなければ。
「は……はは……私やっぱり世話役辞めようかな……」
死んだ目でケインの後ろをついて行くナルファ。ちなみにナルファが世話役を辞めると、連動してゼルラーズ司書長が胃痛で倒れる。いつだって変人の尻拭いをするのは常識ある苦労人なのである。
もはや彼らは荷物を空中に浮かべたままにケインの後ろをついて歩くだけの集団になっており、集まる耳目の数は先ほどの比ではない。どうでもいいがイルディアスが今読んでいる本は【空の飛び方~全身の骨が折れるまで~】という私小説だ。
「す……すごい注目集めてるから、もう帰るね……」
せめて最後まで利用しようという気概を見せつけ、ケインはとぼとぼと足取りを自分の家へと向けた。十分ほど歩いてたどり着いたケインの実家は、いたって普通の一軒家だった。玄関の扉を開けたところにドサドサと荷物が落ちていく。
「じゃあ、えっと、ラフィちゃん。これ報酬ね」
「あ、ありがとうございました!」
6枚の銅貨が手に落とされ、ラフィは勢いよく頭を下げた。ケインは照れ臭そうに笑いながら鼻を掻く。荷持ちへの報酬はすでに顎鬚男に支払われているのだが、それとは別のチップである。
荷持ちの活動に寄与するのは慈善事業である。経済的に余裕のある人間が、少額でも様々な家庭の子供に現金を落とすことによって、経済を活性化させるのと同時、孤児院などに住む子どもたちも働く意味ややり方を学ぶことができる。様々な観点から見て有用だと認識され、荷持ちという社会のシステムは浸透していた。
「じゃ、じゃあこれ……」
ラフィは渡された6枚の銅貨を2枚ずつ、丁寧にナルファとイルディアスに渡した。ナルファは半分泣きそうになりながらそれを受け取り、イルディアスは何の感慨もなく受け取った。見もせずにポケットに突っ込み、再び読書に戻るイルディアス。
「戻りましょう……」
ラフィは全く異なる反応を返す大人二人に戦々恐々としながら、二人を先導して職業斡旋所に戻っていく。その途中で。
「イルディアス様。もうやめましょう、荷持ちは」
「え? どうして?」
ぐっ、と言葉に詰まるナルファだったが、幸い今ここに荷持ちの子供は一人しかいない。彼女の心を傷つけないように、慎重に言葉を選びながら説得を続ける。
「確かにイルディアス様の先ほどの荷物を浮かばせる魔術は、運搬には非常に便利でしょう。何を思ってこの仕事を選んだのか判断しかねますが、荷持ちは本来子供の仕事。我々大人が割り込んでは、彼女の取り分が減ってしまいます。先ほどの銅貨も、我々がいなければ6枚全部もらえたんですよ」
「え、あの……」
あれはケインが気を遣っただけで普段はそんなにもらえない、と言いかけたラフィに向けて、必死の形相を見せつけて黙らせるナルファ。ナルファとてそんなことはわかっているが、こうまで言わないとこの男は止まらないと思ったのだ。
ナルファの必死の説得を受けたイルディアスは、空を見上げて考え込む。読書もできるし金も稼げるし、いいアイディアだと思ったのだが。
荷持ちで金を稼ぐのがダメとなると、イルディアスも次善の策に頼るしかない。
「本を読みながらお金がもらえる仕事ってあるかな?」
世の中の労働者を舐め腐っている発言に、ナルファが思わず怒鳴り返そうとする。が、なんとか呼吸を深めて落ち着き、互いの妥協点を探す方向にシフトした。
「そんな仕事はありませんので、拘束時間が短く、ほかの方の仕事を奪わない方向で行きましょう。仕事を奪うのはトラブルの元なので」
「んー……わかった。ナルファに任せる」
鷹揚に頷くイルディアス。最初からそうしろよ、と思ったナルファだったが、きっと出かける直前にこれを言われたらぶちぎれていただろうなと冷静に自分を見つめ直した。イルディアスがラッスフェルに戻ってきてまだ半年。ナルファと出会って4か月。お互い、知らないことはいくらでもある。
「では、職業斡旋所に向かいましょう。あそこには、誰の仕事も奪わずにみんなが気持ちよくなり、なおかつお金を稼げる仕事があります」
ナルファは物知りだなぁという顔で後ろをついていくイルディアス。ナルファが語った仕事の内容に心当たりがあったラフィは、いいのかなぁという疑問の顔のまま後に続いたのだった。
職業斡旋所。非常に広い範囲の意味を持つこの建物は、失業者向けの国営組織だ。運営しているのはギルドでも議会でもなく、コラジスである。権利関係は複雑に絡まっているので、詳細な説明は省くが、要するにある程度以上に信頼できる組織なのだ。でなければ、ラッスフェルに住む親も子供を送り出したりはしない。
「でも、その実態は『なんでも屋』よ」
「……?」
よくわかっていない顔をするイルディアスに、ナルファはため息をこらえて説明を続ける。
「職業斡旋所は、失業者が職を求めるか、事業者が労働者を求めて訪れる場所。そして、荷持ちの子たちの保護をする場所。もうひとつの役割が、王都ラッスフェルの『相談窓口』よ」
歩き続けながら、ナルファは説明を続ける。
「ラッスフェルには冒険者ギルドがないでしょ?」
「……え? あ、ないんだ」
そこからか、とナルファは思ったが、とりあえず聞かなかったことにした。
「冒険者ギルドは害獣と魔獣の対策が最重要。間引きの必要がない首都ラッスフェルは、冒険者が食っていくだけの常時依頼がない。とはいえ、冒険者が負担していた細々とした雑事が消えるわけでもなく、特定の組織を通さない依頼は住民同士のトラブルになりやすかった。犯罪の温床にもなったし」
そういえば、とイルディアスは古の記憶を引っ張り出した。イルディアスが“怪童”と呼ばれるようになった7年前の事件。アレも、元を辿れば住民同士のトラブルから発覚したんだった。
「というか……イルディアス様の事件をきっかけに、色々な都市運営が急速に見直されて治安が良くなったんですけど、そういうところに興味はなかったんですね……」
「まったくないね」
ナルファは断言するイルディアスに胡乱げな視線を向けた。だがすぐにこの男が気にするはずはないと思考を切り替え、職業斡旋所の扉を開きながら、最後の説明を締めくくる。
「そういった細々とした、けれど見過ごせないラッスフェル住民の不平、不満を集約しているのもここ、職業斡旋所なのです。だからたぶんですけど、あの顎鬚は結構なエリートですよ」
「そうなの? ……顎鬚なのに?」
「そうです。顎鬚なのに」
「聞こえるように喋るな~」
間延びした声で顎鬚男から警告を受けた二人は、改めて顎鬚男に向き直る。気だるそうに机に肘をついてはいるが、確かに手元にあった書類が迅速に処理されていく。どうやら見た目に反して能力は高いらしい。
「さて、おかえりラフィとその他。こいつが今回の荷持ちの報酬だ」
それぞれに向けて銅貨を5枚ずつ渡す顎鬚男。荷持ちにもグレードがあり、ラフィは下から2番目だ。グレードが高い荷持ちは、教養と力があり、身なりもきちんとしていて役に立つ。どちらかといえば、慈善事業に尽力しているというアピール目的で連れまわされることが多い。
「顎髭、頼みがあるんだけど」
ナルファが善は急げと言わんばかりに話しかける。声をかけられた顎髭男は露骨に顔をしかめる。
「一応、俺にはピーソスという名前がある」
顎髭男が名乗った瞬間、周囲が沈黙に包まれた。読書に耽っていたイルディアスすら驚きの表情で顎髭男を見つめている。この男が一度始めた読書を中断するなど、よほどのことがなければ起こりえない。
「……なんだよ。俺の名前に文句があるのか?」
仏頂面で言葉を繋げる顎髭男――改め、ピーソス。少し小太り気味の体格、広い肩幅、四角く厳つい顔、豊かに蓄えられた顎髭、前に突き出た腹。
「……ガドクスとかじゃなくて?」
「ピーソスだ」
ピーソス、と口の中でもう一度顎髭男の名前を呟くイルディアス。どうしても納得がいかないらしく、左右に何度も首を捻る。
想定外の衝撃に少しだけ意識を飛ばしていたナルファは、すぐに意識を取り戻した。今日はよく意識が飛ぶので、慣れてきたのかもしれない。
「じゃあ、ピ、ピーソスさん。お願いがあるのですが……」
口元をひくつかせながらの言葉に、ピーソスは胡乱げな視線を向けて、盛大なため息を吐き出す。が、相手をしていても仕方が無いと思い直したのか、すぐに右手をこちらに差し出して続きを促した。
「内容によるがな、言ってみろ」
「はい。未達成依頼をお見せいただきたいのですが」
驚きの表情になったピーソスだったが、すぐにカウンターの下から一冊の冊子を取り出した。
「ほれよ。もっと前のが見たけりゃ、また言いな」
「なんだそれは?」
ぱらり、と冊子の表紙をめくったナルファは、視線を冊子に向けたままイルディアスへの説明を開始する。
「先ほど言ったとおり、ここはラッスフェルの住民の不満を集約しています。『緊急性は低いがいずれ解決しなければならない』と判断されたものは報酬を設定し、熱意ある者や金に困っている人が受注、解決できるようになってるんです」
「へぇ」
「下水道の清掃、異音がする開門機の調査、取り壊し予定地の害虫駆除……いいですね。こういうの得意じゃないですか?」
ナルファが指し示した用紙に記されていたのは、没落した貴族が保有していた別荘地が手つかずで残っているため、取り壊して欲しいという依頼だった。取り壊しが難しければ、湧いている虫を駆除してほしいとのこと。いずれも相場よりは安めだが、業者に依頼すると高くつくからだろう。
「……こういう家って、不動産が売ったりするんじゃないのか?」
「他国の貴族様だったらしくてよ、権利関係がややこしいんだとさ」
そういうもんか、と納得するイルディアス。いずれにせよ――壊して良いのならば、仕事はさほど難しいものではない。