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蒐集国家コラジス3

「私がいない間に町に行かないでくださいって言いましたよね?」

「……そうだっけ」


 額に青筋を浮かべる侍女に、イルディアスは首を傾げる。とんと記憶にない。薄い水色の髪をショートに切りそろえ、茶色の瞳でイルディアスを睨み付ける彼女はナルファという。ゼルラーズに雇われ、主に息子であるイルディアスの面倒を見るお目付役だ。ではなぜ昨日いなかったのか。


「出禁になるのは百歩譲っていいとしても、そうなったら普通は自室に待機するんですよ。事実上の休暇だ、なんて思う人はいません」


 答えは簡単、彼女もまた大図書館で働く1人だからだ。所属は【書庫堂】であるが、その実態としてはイルディアスの世話係。一応管理者として働いてもいる。イルディアスの面倒を見るという仕事に対する報酬は、ゼルラーズのポケットマネーから給金が出ている。ゼルラーズとしてはゆくゆくはイルディアスと結婚して面倒見てくれないかな、なんて思っているが、彼女に言わせればイルディアスは『世話に手が焼ける虫』とのこと。弟どころかペットですらなかった。この言葉を聞いて、ゼルラーズは3日寝込んだという。イルディアスは興味深い評価に感心しきりだった。


「昨日の夜、急遽2日の休みを頂きました。これはもう間違いなく、貴方を見張れということです。私の目が黒いうちは、そんな薄汚れた格好で出歩かせませんからね」


 ゼルラーズの涙ぐましい努力にちょっと胸を打たれながら、ナルファはまず長すぎる白髪をバッサリと切断した。とはいえ、背中までは伸ばしておいて欲しいという要望なので、髪紐を使ってイルディアスの白髪を縛り上げる。垢と埃で汚れた服を脱がせ、湯で濡らしたタオルで体の汚れを取っていく。気持ちとしては公衆浴場に放り込みたいのだが、放り込んだら放り込んだで沈んで浮かんできそうもないのでやむを得ない。


「これを着てください」


 上と下の肌着だけになったイルディアスに、洗濯済みの服を押しつける。生活破綻者であるイルディアスは、食事は外食で補給できるものの、服の洗濯は完全にナルファに頼っている状態だった。イルディアスがあまり服を着替える必要が無い(関心が無いため)ので、辛うじて成り立っている生活だ。


「うん」


 袖を通したイルディアスは、自力で服の襟などを整え、軽く頷く。ナルファは内心で『できるなら最初から自分でやれよ』と思ったが、口はもちろん表情に出すこともしなかった。言ったところで無駄だからだ。


「……この格好ならば、街中に出ても問題ないでしょう。それで、本日はどうされますか?」


 どうせ本屋巡りだろうなと思いながら問いかけたナルファだったが、完全に想定外の返事がイルディアスから返ってきた。


「今日は、働いてみようと思うんだ」


 絶句どころか意識すら消し飛ばしたナルファを連れて、イルディアスは首都ラッスフェルに出ていく。大図書館の壮大なアーチを潜り、石畳の通りを抜け、荷持ちの少年少女たちがいる職業斡旋所にたどり着くに至って、ようやくナルファは正気に戻った。


「ちょっと待ってください本気ですか!?」


 イルディアスはいつだって正気で本気だ、少なくとも本人はそのつもりである。


「――何か問題が?」


 ナルファの脳裏にいくつもの答えが浮かび上がるが、目の前の青年を止めるだけの説得力を持つものが見当たらなかった。確かに、コラジス大図書館の職員の副職は禁じられていない。昔は写本で小遣いを稼いでいた名残で、今は新人は多少仕事を掛け持ちしないと贅沢ができないという理由で、だ。そもそも大図書館の職員はかなり倍率が高く、今も写本で小遣いを稼げる(もちろん事前の申請は必要だが)ため、禁止するほどのことではなかった。


 だがそれはあくまでも給与が安い新人への救済措置であり、禁止するほどのものではなかった、というのが共通の見解だ。断じてそこそこ高給取りである書庫堂管理人の職に就いている人間が副職をしていいという制度ではない。しかし。


(禁止されてないけどいい顔はされない、なんて理屈は通じないだろうなー……)


 全てを諦めた顔になって、ナルファは突撃するイルディアスの後ろにひっそりとついていく。どうか誰も自分に気付きませんように、と祈りながら。


「よう、兄ちゃん。今日はどうしたい? まだ朝だから男もいるぜ」


 職業斡旋所の顎髭男は、顎をしゃくって待機している少年少女たちを示す。だが、イルディアスの今日の目的は違う。


「質問なんだが、俺が荷持ちをすることは可能か?」


 ぽかん、と顎髭男の口が大きく開き、少年少女たちのざわめきがぴたりと止まった。ナルファは必死に両手で顔を覆い隠した。


 『荷持ち』。職業として認識されているが、正確に言えば住人たちの認識はそうではない。荷持ちは、年若い子供達が現金を稼ぐ唯一の手段なのだ。家計の足しにする親もいれば小遣いとして持たせてくれる親もいるが、一種の慈善事業として位置づけられている。国からの援助金も存在し、彼らは職業訓練と同時に小金を稼ぐ機会を得ているというわけだ。この制度はかつてコラジスで、子供達を遣い潰す悪徳商人が蔓延ったことに端を発する制度だが、今は割愛しよう。


「そりゃ……できなくはないが……」


 顎髭男が言い澱む。確かに『荷持ち』に年齢制限は存在しない。だが荷持ちをするのは年若い子供と相場が決まっている。コラジスにおいて12歳以下の子供の労働は禁止されており、荷持ちは唯一12歳未満でも許可されている労働である。


 確かに17歳の青年が荷持ちをするのを止める法はない。ないが。


「やめてくださいイルディアス様……!」


 ナルファが背後から小声で叫ぶが、イルディアスは止まらない。


「どうだろう、こう見えて結構自信がある。たぶん荷持ちは得意分野だ。ぜひやらせてほしい」


 子供のように目を輝かせるイルディアスに、顎髭男がのけぞる。目が輝くイルディアスの服の端を、俯いたナルファが涙目で引っ張って首を横に振っているが、全く気にしていない。顎髭男はキョロキョロと視線を動かし、やがて桃色の髪を持つ少女の姿に目をとめた。


「……あー、ラフィ」

「は、ハイッ!?」


 突然名前を呼ばれて、声が裏返る少女。返事をした少女に目を向け、脳を刺激する違和感に数秒悩むイルディアスだったが、すぐにその顔が納得の表情に変わった。昨日本を運んで貰った少女であることに気付いたのだろう。


新人(・・)にやり方を教えてやれ」


 顎髭男が投げやりに弾いた銀貨が軌跡を描いた。


 この日、ラフィは――丸投げとお金による解決、という大人の汚い技を認識したのだった。もちろん銀貨はしっかりとキャッチしたが、面倒ごとを全て放り投げた男に恨めしげな視線を送る程度は許されるだろう。







 やり方を教えてやれとは言われたが、荷持ちは難しいことはほとんどない。だいたい顔見知りの客が現れ、決まった買い物をしていく。顎髭男がどの客がどんな荷物をどの程度の量持たせるのか記録しており、あまりにも多くの荷物を持たせる客には多くの荷持ちを配置したり、逆に少ない客には年齢の若い子供を宛がうこともある。


 そういった微細な気遣いと配置、荷持ちの彼らからの情報収集が顎髭男の役割だ。名前を呼ばれるのを待つ十数人の子供達は、今日だけは妙な沈黙に包まれていた。


「で、呼ばれたらその……札をひっくり返して……」

「なるほど。ちなみに待ち時間に本を読むのはいいのかい?」

「……た、たぶん」

「よし」


 俯いてひたすら他人のフリをするが、どうあがいてもそれは無理がある侍女服の女性、ナルファ。ちらちらとそちらを気にしながらも、言われたとおりに荷持ちの仕事の内容を説明するラフィ。マイペースに本を開いたイルディアス。


 今までとは違う状況に、子供達もざわめくことすらできずに混乱する。やがて、ふらりと入ってきた茶髪の男が軽い調子で手をあげる。


「よーう、おやっさん! 今日のオススメはどの子かなー……」


 ちらりと子供達の顔色を窺った男は、なぜか一心不乱に読書に耽る青年を見付け、侍女服に身を包んだ顔見知りの女性と目が合った。動揺を見せることなく、そのまま視線をスルーさせて、体もくるりと回り、まだ開いていた入り口の扉をくぐり抜けて外に出て行った。


「いやいやいやちょいちょいちょい」


 瞬間的に待機場所から飛び出したナルファが、男の腕を掴んで室内に引きずり戻す。


(今目が合ったでしょ!?)

(えーと、何やってんのナルファ? 隣で本読んでるの例の“怪童”でしょ?)

(私を即座に見捨てようとしたわねケイル……! 罰として私たちを連れて行きなさい! 命令よ!)

(い、いやまだ見間違いという可能性もあったし……)


 小声でやりあう2人を見て、ラフィはおろおろと視線を彷徨わせる。イルディアスは我関せずと読書に夢中だ。題は【意外なる真実~人間関係の改善方法の全て~】。書かれている知識をイルディアスが使いこなすことは絶対にないだろう、という確信を抱きながらナルファは自分が受けた精神ダメージを最小限にするべく、イルディアスとラフィを引っ張ってケイルの前に立たせる。


「この男に雇われるわ! いいわね!?」


 ナルファの涙目で睨み付けるという奇妙な迫力の前では、ラフィと顎髭男も首を縦に振ることしかできなかった。イルディアスはまだ本を読んでいた。


 ケイルはこうして奇妙な3人組を連れて、蒐集国家コラジスの首都ラッスフェルを闊歩することになったのである。


「えーと……ケイルさんはナルファさんとどういう関係なんですか?」


 桃色の髪の少女ラフィは、あまりにも長く続いた沈黙に耐えかね、茶髪の男性に話を振った。我関せずと読書に耽るイルディアス、できるだけ目立たないように無駄な努力を続けるナルファ、想定外の状況におろおろとするケイン。大人になると柔軟さが失われる、という良い見本と言える。この場で最年少であるラフィが、気まずい雰囲気をなんとか和らげようとしていた。


「あー……腐れ縁というか、実家が近い的な?」

「そうね。あとは歳が近いから一緒に遊んでたのよ。【教堂】の部屋も一緒だったし」


 ケインが答え、ナルファが補足する。へぇー、と頷くのはラフィだけ。イルディアスはそもそも聞いていない。


「じゃあじゃあ恋人同士だったりするんですか!?」


 若者特有の無邪気さと好奇心で質問を重ねるラフィ。今年8歳になる少女は、そろそろ教堂で勉学を収めることになっている。先に通っている噂好きの姉の情報によれば、教堂では惚れた腫れたの大騒ぎが常。いつだって女子の心を刺激するのは恋バナである。


「「あー……」」


 しかし、そんな少女の憧れで見つめられたケインとナルファはお互いにそっと目を逸らした。やってしまったかと顔を青ざめさせるラフィに、慌ててナルファが手を振りながら誤解を解く。


「あ、や、違うのよ。私たちも若かった時はそういう関係だった時もあるんだけど……」

「なんかもう、なんか違ったんだよな……具体的にどうとは言えないんだけど……」


 大人二人は、ほろ苦い失恋の話を蒸し返されて気まずげに目を逸らし続ける。ちなみに別れ話のほとんど全てが『この距離感じゃないわよね』と『なんか違うんだよな』に終始し、珍しく円満に別れることができたカップルといえよう。


 恋といえば姉の噂と物語しか知らないラフィは、それでも自分の知らない恋バナに興味津々だ。イルディアスは聞いていない。今読んでいる本の題は【蜂蜜女と蝙蝠男】だ。今日の2冊目に入ったらしい。


 ナルファは気付く。今日のイルディアスが持っている本は妙に薄く、持ち運びが便利そうであることに。この男、読書に関しては手を抜かないのである。


「ナルファはどうして荷持ちをしているんだ?」


 ケインの疑問は根本的なものだ。ナルファはちらりとイルディアスを睨み、盛大なため息を吐くことで返答とした。彼女が侍女服を着ているのは、私服や制服でイルディアスと町を歩くと関係性を誤解されることが多いからだ。侍女服を着ていれば、世間知らずの主人とその侍女で済む。


「噂に違わず、傍若無人だね……」


 ひくり、と頬を引き攣らせるケインは、そっと前に向き直って買い物を続けるのだった。

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