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蒐集国家コラジス2

 コラジス大図書館は、大まかにわけて3つのエリアが存在している。1つは、大図書館のメインとなる、巨大な書架が鎮座する【書庫堂】のエリア。ほとんどの蔵書がここに保管されており、その範囲は最も広い。イルディアスが管理を任されており、蔵書の維持管理を行っている。


 もう1つが、居住エリア。食堂や寝室、仮眠室など、一般客や職員に開放されている慰労兼生活用のエリアだ。コラジス大図書館は、書庫堂の奥を除いては、利用料を支払った国民にもその叡智を開放している。食堂も利用でき、やろうと思えば数日をここで生活することも可能だ。少々以上に高くつくが。


 そして3つ目が、物販エリア。叡智の集積所にして観光名所でもあるコラジス大図書館は、現金収入のために様々な土産品を販売している。新たに増築された部署であるため、その受け入れには時間がかかってはいるが、毎月きちんと売り上げを出している。


 どれもそれなりに広いスペースを持つ3つのエリアだが、今日はそのうちの1つ、居住エリアにて騒めきが起きていた。


「お……おい、あいつ、なんでわざわざ……」

「し、知るかよ。そもそも持ち出し厳禁だろ……?」


 居住エリア――食堂。寝食を忘れて読書に励み、毎週のように遭難者を出してきたコラジス大図書館が、やむを得ず設置した施設である。遭難者の実に7割が内部職員だったという悲しい現実は公には伏せられている。詳しい人間はそのほとんどが同一人物だったという悲しい事実を知っているが。


 食堂の簡素な机に積みあがった十数冊の本。ジャンルは問わず、まるで本に埋もれるかのように読書に励む男が1人。


「……よし。あとはまた今度にするか」


 その呟きを聞いた周囲が、ほっと一息ついた。なにせこの男、夕方ごろにふらっと入ってきたかと思えば、食事も頼まず読書に耽り、場所を占拠して動こうともしない。そもそも書庫堂の本は書庫堂からの持ち出しを固く禁じており、じゃあこの食堂にある本は彼個人の持ち物ということになるのだが――周囲にいる人は、まさか大図書館に住みこみで仕事をしている書庫堂の管理人が、あろうことか書庫堂への入室を禁じられるなどといった特殊な事例は想定していない。


 それゆえの騒めきであった。もちろんその男はイルディアスである。


「そろそろ飯にするか……」


 ここも読書の邪魔されずに済むな、さすがは大図書館――などと思っているが、あまりにも良識に欠ける行動に、周囲の人間が声をかける勇気が出なかっただけである。


「あ、そこの君」

「は、はい?」


 イルディアスは傍を通りがかった顔見知りの――顔は知らないが見慣れた制服を着ている――少年を呼び止め、読み終わった本を指差す。


「これ全部寄付するから、書庫堂に入れておいて」

「は、はいぃぃ!?」


 声が裏返ってしまった少年を誰が責められようか。大図書館は広く大きい。働いている職員は百人単位だ。居住エリア、書庫堂エリア、物販エリアはそれぞれ統括が異なり、少年にとってイルディアスは『奇妙な客』だ。余計な行動をされると悪評が立つ、とゼルラーズがイルディアスの制服をはぎ取っていたこともある。


 そして、本は割合高価だ。大昔に比べれば廉価で紙が手に入るようになり、その価値は大きく損じたが、それでも一般市民がおいそれと手を出せる値段ではない。専門書ともなればなおさらだ。それを十数冊一気に寄付するというのだから、少年の動揺もやむを得ない。なにせ、値段ならば彼の月収を超えている。


 動揺しつつも、職務を果たすべくそっと本を手に取る少年。題は【天より君へ~スパイスの香りとめくるめく悦楽~】。中身が非常に気になる少年だったが、いずれ読めると我慢して本を運び出していく。コラジス大図書館はいついかなる時も本の寄付を受け入れており、その敷居の低さこそが叡智を集積させるきっかけだった。


「……む?」


 何か食べようとポケットをまさぐったイルディアスは、そこに銅貨の1枚も残っていないことに気づく。大図書館の職員であれば割引が効くとはいえ、タダになるわけでもない。職員である以上ツケもできるが、イルディアスは過去にやらかして以来、ツケを禁止されている。ツケの存在ごと忘却し、払う金はあるのに催促してもすぐに忘却してしまうのである。


 『金銭を持ち歩き、支払いをさせる』という社会的行為をイルディアスにさせるまでには、ゼルラーズ司書長の涙ぐましい努力があったのだ。


「まあ食べなくてもいいか……思えばあんまりお腹が空いてない気がしてきた……」


 呟き、席を立ちあがるイルディアス。この男はいったい何をしに食堂に来たのか。長時間居座って本を読み、挙句の果てには一銭も金を落とさず食堂を去ろうとしている。当然、そんな暴挙は神が許してもゼルラーズ司書長が許しはしない。


「こんのバカもんがぁッ!!」

「いってぇ!?」


 当然のように振り下ろされるげんこつが、イルディアスの脳天に直撃する。食堂奥で振り回されていたお玉を握る手が、ぐっと握りしめられた。どうやら通報したのは厨房で働いている職員らしい。


「お前の最後の食事はいつだ! 言ってみろ!」

「……?」


 首を傾げるイルディアス。言われてみれば思い出せない。


「リコット女史! こいつの最後の食堂利用の履歴はいつですか!?」

「2日前の昼!」


 つまり、それ以降は食べていないということだ。


「このクソ息子め! 死にたいのか! リコット女史、日替わり定食2つだ!」

「あいよ!」


 厨房の奥から元気な声が返ってくると、ゼルラーズ司書長はイルディアスの正面の席に座った。盛大に顔をしかめるイルディアスだったが、ゼルラーズ司書長は内心ちょっとキレていた。どうして17にもなった息子の食生活の面倒を見てやらなければならないのか。品行方正になれとは言わないから人として最低限の社交性、もとい生活力は身に着けてほしいものだ。


「詳しくは聞いていなかったが……お前、5年間の学院生活をどうやって生き延びていた? 野垂れ死んでいるのが普通だろう」


 ゼルラーズ司書長の心からの疑問に、イルディアスは視線を鋭くした。


「野垂れ死ぬだろう、という予想をもとに息子を送り出したのか? 最低な父親だな」

「仕方ないだろう! コルジスの“怪童”を出さねば予算を削るとまで言われたんだぞ!」


 盛大な親子喧嘩が始まり、周囲の人間は一斉に耳を塞いだ。夜も遅く、もう食堂に残っているのは大図書館の職員だけ。彼らは知っているのだ――叡智を司る大図書館でも、知らない方がいい話というのはいくらでもあるということを。


「市議会の連中かそれともギルドか? なんにせよ権力に屈したわけだ。知識のもとの平等を謳う大図書館の司書長がな!」

「私は権力になど屈していない! いざというときは市議会の不正やギルド職員の横領の告発などいくらでも手段はあった! だがお前の将来と成長を期待して、学院に送ったのだ!」


 唾を飛ばしかねない勢いで叫ぶゼルラーズ司書長。その内容を少しでも聞いてしまった職員たちは、いそいそと食堂から去っていく。聞いてはいけない話ばかりだ。


「……いや待て。落ち着こう。私はそんな話がしたいわけではない」


 息を吸い込んで反論しようとしていたイルディアスが、急に落ち着いたゼルラーズの姿を見て言葉を飲み込んだ。喧々囂々、矍鑠としていた自分の父親の弱った姿だ。落ち着いたというよりも、途方に暮れていると言った方が正しい。


「なあイルディアス。お前は学院で何を学んだ? 世界の構造か、はたまた友人か。世情に疎いコラジスでも、【剣姫】と“怪童”と《愚者》の噂話くらいは入ってくる。お前たちが次世代を担うことになるのは間違いないんだ。私とて、そう長く生きられるかはわからん」


 疲れたように息を吐き出すゼルラーズを、イルディアスは見定めるように見つめる。その瞳に浮かぶのは、憐憫でも同情でもなかった。


「【剣姫】は……まあ面倒だが、いい奴だった。俺の食事の世話係とか雇ってくれたし」

「そいつのせいかあああああ!?」


 懐かしいな、と記憶の旅に出たイルディアスと違い、ゼルラーズは怨念と呪詛をまき散らしながら机に突っ伏した。その瞬間、遠く離れた場所で、1人の女性が体を震わせたとかなんとか。


「《愚者》はな、名前通りだ。ただの馬鹿だよ。まあちょっと厄介なとこもあるが、愛すべき馬鹿だ」


 ゼルラーズも「お前に言われちゃ世話ないだろうな」と思ったが、言うのはこらえた。後日、《愚者》と出会ったときに発狂間近まで追いつめられることになるとは、いかに賢き司書長であっても予測は不可能だった。


「それ以外は知らん。名前も覚えていない」


 各国から有力者が集まり、人脈作りに奔走する学院国家ミルファムにおいて、ここまで他人に興味がない人間が来ることは想定の範囲外だっただろう。ましてやそれがコルジスの“怪童”――再現魔術を継承した、世界最高峰の魔術師だというのだから、さぞや扱いに困ったことだろう。問題は、学院から帰ってきたイルディアスが、まだ扱いに困る人間だったことだ。教育機関すら匙を投げたのだ。もうどうにもならない。


「5年……平和だったな……」


 “怪童”が学院に通っていた夢のような日々を思い出し、思わず眦に光るものをこぼすゼルラーズ。そんな二人のもとに日替わり定食が運ばれてきて、ゼルラーズは涙を拭いながら二人分の料金を支払う。


「あ、そうだ。お金がなくなったからくれ」

「ぐうううううううッ!」


 いや、ゼルラーズはわかっている。イルディアスは今、書庫堂管理人としての給与の全てをゼルラーズが抑えている。とてもではないが資産管理などできる人間には見えないし、そもそも銀行などの仕組みを理解しているかも怪しい。破産させないための措置だったが(もちろん巡り回って自分の問題になることを想定して)、結果としてイルディアスは今もなお親から『お小遣い』を貰って生活している。だからこその『くれ』であり、仕事は曲がりなりにもやっている。一応働いている。だから渡しているお金は正統な報酬であり、やましい部分などないのだが――


(なんだこの――まるでダメな息子が金をせびってきているのに、父親としてガツンと言ってやれないような、そんな虚無感は――絶対に私がそんな負い目を感じる必要はないのに……!)


 ちらりとイルディアスの顔を窺うが、愛する悩みの種である息子は何も考えずに右手を差し出していた。


(その年で人前で親に金をせびる世間体とか考えないのか!? 誇りとかないのか息子よッ!!)


 当然ない。イルディアスの今の思考は、『本を読むのにお金が必要なんて不便だなぁ』である。


「こ……これは今月の分だ……無くなったら補充は……ないと思え……」


 どうしてこんなに苦しまなければならないのか、と嘆きながらゼルラーズは数枚の銀貨をイルディアスの右手に落とす。生活費としては十分だが、本を買いあさるのには少々足りない。普段お前が尻に敷いている本と、ついでに金のありがたみを知るといい、と意地の悪いこと考えて何が悪いのだろうか。それでもしも息子が苦しんだとしても、絶対にその数十倍は苦しんでいる自信があるゼルラーズは、心を鬼にしてその言葉を吐き出した。


「わかった。あとはなんとかしてみる」


 その不穏な言葉に、ゼルラーズはそこはかとない不安を覚えるが――気力が限界だった。


「……ああ。今日はもう寝ろ」


 穏やかな表情で息子を見送るゼルラーズを見て、付き合いの長いリコット料理長は全てを理解した。


(諦めて思考放棄したな……)


 子育てはかくも大変なのだ、とリコット料理長も一人息子の事を思い出して深々とため息を吐き出す。


「あの、寄付本運び終わりましたー……?」


 大人達の嘆息が満ちる食堂に、年若い少年の報告が響いた。気立てもよく、気遣いができ、誰よりも走る新人の少年フットは、そのあとなぜかわからないが多くの大人達に頭を撫でられ、小遣いを渡され、目を白黒させながらこの職場で頑張って働いていく決意を固めるのだった。

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