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蒐集国家コラジス14

 コラジス図書館の司書長を務めるゼルラーズは、少しだけ目を見開いて白髪の青年を見つめた。音を出さないようにゆっくりと移動し、珍しいその顔を見る。両目を閉じ、静かで穏やかな呼吸を繰り返す。イルディアスは完全に寝ていた。


 本棚の隙間からひょっこりと顔を出したナルファは咄嗟に耳を塞いだ。キレた司書長が怒鳴ると思ったからだ。なにせ今は勤務時間だ。


「……」


 だが、予想に反しゼルラーズは優し気に目を細めるだけだった。眠るイルディアスは珍しい。久しぶりに見た、と嘆息を吐き出す。


「……怒らないんですか?」


 本棚から体を出したナルファはまだ両手で耳を塞いでいるが、どうやら司書長は怒鳴らないらしいと判断して少しだけ手を浮かした。まだ耳の側から両手を離さないあたりに、書庫堂での日常が窺える。


「イルディアスが寝るのは珍しい」


 短く答えたゼルラーズに、ナルファは両手を耳から離して司書長に近づいた。遠出が体に堪えたのかもしれない。基本的にイルディアスは貧弱なのだから。


「気持ちよさそうに寝てますねー……」


 ここまで堂々と居眠りをされたら、ナルファとしても怒る気力が失せる。誰しも安眠は心地良いものだ。疲労している時ならなおさら。


「イルディアスはな、寝るのが嫌いなんだ」


 だから、ゼルラーズの言葉を脳が受け入れるのに数秒の時間を要した。


「は?」


 ナルファの疑問の声に、ゼルラーズは肩を竦める。ナルファはすぐにその理由に思い至ったのか、表情を輝かせた。


「あ、読書の時間が減るからとかですか?」


 それならば納得だ。読書狂のこの男がいかにも言いそうなことだし、その考え方はわからないでもない。変人の巣窟であるコラジスには、そういった人種が多いということもある。睡眠時間よりも趣味に時間を充てたいという人種だ。


「いや、それが違うんだよ」


 ゼルラーズは困ったように眉を下げた。困っている司書長、というのはナルファにとっても新鮮だった。イルディアスに手を焼いていることはあるが、それは問題がはっきりしている。だが、イルディアスが睡眠を嫌う理由には、ゼルラーズも納得が行っていなかった。


いつも決まった夢を見(・・・・・・・・・・)()んだと」


 首を傾げるナルファ。


「なんかの呪いとか? 魔術とか?」

「いや、聞いたことも見たこともない。これでも夢と睡眠に関する書籍は読み漁ったのだがな……」


 大図書館の司書長が言うのだから、本当に読み漁ったのだろう。


「夢見る景色はいつも同じ。そして――」


 ゼルラーズが言葉を繋ぐ。


「――自分は絶対にここに居てはいけない、と強く思うんだそうだ」


 2人の視線が、同時にイルディアスに向けられる。望まない夢を見ているにしては穏やかな表情で、イルディアスは寝息を立てていた。










「……俺は寝たのか」


 せっかく『男一代酒放浪記』の途中だったのに、と舌打ちをしつつ、心に襲い来る膨大な重圧に耐える。どこまでも続く黒の平面。イルディアスは行ったことはないが、夜の海はこんな感じなのだろうと思う。


 天上の星から落ちる白い滴が、足下の海に無数の波紋を描く。この夢はいつもこうだった。見渡す限り続く黒の海、天上に輝く真白い星。そこから滴り落ちる白の滴が無数に波紋を残す。


「昔に比べれば……楽かな」


 ため息を残し、イルディアスは腰を下ろす。白の滴が落とした無数の波紋は、それぞれに『物語』を映し出す。


 昔に交わした約束を待ち望み、失意の内に死んだ娼婦の物語から、巨人を探して多くの秘境を探検した探検家の物語まで。


 波紋に映る物語に貴賤はない。


「お」


 鮮烈な血に彩られた物語。戦場を駆け回り、建国に尽力した1人の剣鬼の物語。やがて彼の物語は、剣という形に昇華されて世界に根付く。


「珍しい……」


 崩落する坑道を眺めて後悔に苛まれる男。魔術を極めるために人ならざる者に魂を売った女。村で穏やかな農夫として生涯を全うした男。国の長として、采配を振るった王の記憶。


 無数に散らばる人の物語だ。


「あ!」


 イルディアスがそのうちのひとつの波紋を見付けて顔を綻ばせる。国から国へ渡り歩き、その場にあった酒を購入しては飲み比べる男。服装も今よりも古く、酒もまだまだ洗練されていないのだろう。だが、男はとても楽しそうに酒を飲んでいた。


「これが自警団長の祖先か……あんまり似てないな……」


 『男一代酒放浪記』のことを思いだして笑うイルディアス。この夢とは長い付き合いだった。眠ると常に映し出される知らない誰かの物語。小さい時は、この空間が嫌いだった。今もそんなに好きではない。


 世界に取り残されたかのような心細さ。地面に着いていたはずの足もとが消え、方向も立っている場所もわからなくなるような寂寥感が嫌いだった。


 少しずつそれに慣れれば、今度は知らない誰かの物語が気になった。見た憶えも聞いたこともない誰かの物語。最初は『前世』と呼ばれるものかと思ったが、すぐに違うと気付いた。前世にしては数が多すぎる。


 ここは誰かの記憶の箱だ。誰かが送った人生全ての記憶。イルディアスは、それを覗き込んでいる。


「やっぱり、本を読むのは面白い」


 夢の世界での出会いがある。知り合いの記憶に、本で知った誰かの記憶にたどり着けるなんてそうそうないけれど、出会えた時の喜びはひとしおだ。この人の記憶が本になっているのなら読みたいと思うことも多い。話が大げさになっていたり、勇ましく書かれていた人物が泣きながら戦っていることだってある。それもまた、楽しいのだ。


「そろそろ、終わりかな」


 空の星から降り注いでいた滴の勢いが、徐々に弱まってきていた。それは夢の終わりを示しており、イルディアスも自身の意識がゆっくりと薄らいでいくのを感じ取る。どうやら、そろそろ目覚めの時間らしい。


「じゃあまた来るよ」


 弱まっていく波紋に映る、無数の人間達の人生に別れを告げ、自分の意識が消えるに任せた。







 体を起こし、床に落ちていた『男一代酒放浪記』を拾い上げる。微かな息づかいが聞こえた方向に視線を向けると、ゼルラーズが腕組みをして寝息を立てていた。書庫堂の中は、本の保護のために一切日差しが入らない構造になっている。イルディアスにも正確な時間はわからないが、なんとなくまだ勤務時間であることはわかった。


(俺を起こそうとして、全然起きないから、疲れて寝たのかな……)


 ゼルラーズの記憶をのぞき見たことのあるイルディアスは知っている。自分とこの男の間に血縁関係がないことを。ゼルラーズもイルディアスが知っていることに気付いているだろう。それでも名字を贈り、実の息子として育て上げた。それはこのゼルラーズという男がイルディアスに変わらぬ愛を注ぎ続けたからであり、イルディアスも表には出さないが感謝はしているのだった。


(手は早いけど……)


 すぐ殴る、と頭の痛みを思い出して顔を顰めるイルディアス。大体の場合は自分が悪いので甘んじて受け止めてはいるが。


「ゼルラーズ司書長はおられるか!」


 穏やかなひとときの静寂を切り裂いたのは、男の大声だ。その男の声に聞き覚えがあったイルディアスは、本の山から下りて大きく伸びをする。体がバキバキと音を立てるが、その表情に動揺は見られない。


「なんだ!?」


 慌てて飛び起きたゼルラーズが服の乱れを直している間も、イルディアスは落ち着いていた。慌てている父親を少し面白そうに眺めてはいたが。


「“賢者”殿が、至急イルディアス殿に南の警戒に当たるよう仰せです!」


 驚きの表情でイルディアスの顔を見つめるゼルラーズだが、すぐにその意味をくみ取った。7年前の時のように、何か恐ろしいことが起きている。


「来たか」


 そのことを予想していたイルディアスは静かに歩き出す。学院で一緒だったガーデウス・フォン・シュベルツィオンという男はそういう男だ。自分の夢が他者の過去の記憶を覗き込むことなのならば、ガーデウスという男は意識を飛ばす。この大陸のどこへでも、何かが起きる時は必ずそこにいる。奴の意識がルーワンに現れたということは、ルーワンに何かが起きるのだ。


 歴史の転換点となるような何かが。


 彼のような存在は、歴史上に数度確認されている。戦争や暗殺や、災害……国家の運命すら翻弄しかねない事件が起きた時、彼らは必ずそこに姿を見せる。


 いわば、『災厄の象徴』。


「南、ルーワンの方角……」


 大図書館を出たイルディアスは、ざわりと首筋を舐める怖気に震えた。確かに南の方角から何かが迫っている。


「……儂も行った方が良いのか?」


 着いて出てきたゼルラーズが、イルディアスの険しい視線に気付いて口を出す。ゼルラーズ自身、腕に多少の自負がある。だが、イルディアスは首を横に振った。


「これはたぶん爺が戦える相手じゃない。というか、ここを離れられる方が困る」

「大図書館ならナルファに守らせれば良かろう」


 『器用貧乏』という言葉が似合う女性は、ゼルラーズの手ほどきを受けている。生半可な相手に負けるとは思えない。


「これは“賢者”様の受け売りだけど、コラジスで大図書館以外の場所を狙う奴がいるとは思えない」


 イルディアスの言葉を聞いたゼルラーズは、顎に手を当て、空中を見上げて首を傾げる。なんとかイルディアスへの反論の言葉を探しているようだったが、やがて諦めてすっきりとした笑顔を浮かべた。


「それもそうじゃな!」


 あらゆる人間から『大図書館以外に見るべき場所なし』と認定されるコラジスであった。


「俺を南に向かわせると、いうことは……この都市に直接ダメージを狙ってる……」


 大きいのかな、とイルディアスは敵の正体に見当を付ける。大きい相手ならば得意だ。ゼルラーズに別れを告げ、自然な足取りで動き出す。


 イルディアスは、自分が使える魔術についてあまり考えたことがない。気付いたら使えるようになっていて、個人が振るうには大きすぎる力。


「『強大な力には責任が伴う』、か」


 かつて級友に言われた言葉を思い出し、イルディアスは自身の体に魔力を巡らせる。調子は悪くない。いくつかの再現すべき事象の候補を思い浮かべ、動揺することもなく南に向かう。人混みをすり抜けて歩いていると、いつもと違い本を読んでいないイルディアスに訝しげな視線が向けられる。


「やっぱり、俺はそうは思わないなぁ……」


 その気になればこの街を滅ぼす力を持つイルディアスは、マイペースに街を守る壁を目指すのだった。

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