蒐集国家コラジス13
我ながらしょうもない人生だったと思う。
ルーワンの町に生まれ、両親の反対を押し切って冒険者になった。よく知ってるパン作りではなく、武器を持って獣と戦うのはとても難しい仕事だった。何度も命の危険に遭い、それでも生き延びてきた。同期はみんな、死ぬか怪我でやめていった。見舞いに行ったら、『最後は笑って死にたい』と言っていたことだけ、よく憶えている。
冒険者という職業が、体の良い厄介払いであることも知った。
俺に、パン屋を継ぐように促してきた奴もたくさんいた。
継げる家があるのに、冒険者なんてやってるんじゃねぇと怒鳴る奴もいた。
というか、今隣を走ってる奴がそうだ。出会いは最悪だったのに、喧嘩だって絶えないのに、性格だって全然違うのに、気付けば一番長い付き合いになっていた。
(ああ、嫌だな……)
奴は捨て子だった。冒険者になるしか生きる道がなくて、暴力と見栄で冒険者の世界を生き抜いていた。舐められるのが嫌で、負けるのが嫌で、馬鹿にされることが嫌いな奴だ。
「ロスター!」
隣を走るそいつの名前を呼ぶ。2人で必死に走ってはいるが、実のところ後ろの奴は遊んでいるだけなのだろう。奇しくもどうやら目的地は同じようだが、このままではコラジスの心臓、首都ラッスフェルにこいつを連れて行ってしまう。
俺たちが走ってるのは依頼主であるトーノスが、決死の覚悟で伝えた言葉を伝えるためだ。依頼前に魔玉針の特性を聞いていた俺たちは、その意味を理解している。背後を追いすがってくるそいつは、ただの暇潰しのつもりなのだろう。目的地に到着するまでの暇潰し。だから一気呵成に俺たちを仕留めにかからない。それだけの話だ。
「なんだ!」
ロスターの方が体力の余裕がある。スピードでもスタミナでも後ろの奴には負けているが、それでもラッスフェルにたどり着くまでその速度を維持できるのはロスターの方だ。俺ではない。そして――
(このまま走ったって、俺らの到着と同時にコイツがラッスフェルに着く! なんとかして、コイツよりも先にラッスフェルに存在を知らせないといけないんだ……せめて、異常があったということだけでも!)
すでにルーワンからラッスフェルまでの道のりの半分は来た。事情がわからずになぎ倒される旅人はいても、それでは意味がない。直接見たコイツの脅威を伝えるのは簡単だろうが、コイツの到着よりも先にラッスフェルに知らせないと意味がない。
そして、俺はひとつだけその方法を思いついてしまった。
「……マジか」
「ああ!?」
確証、なし。自信、なし。
勝算――多少、あり。
「ロス、ター!」
「なんだよ!」
名前を呼んだ相棒が振り返る。ばっちりと目が合い、相棒のロスターは俺の瞳に何を見たのだろう。知らず、自分の口角が持ち上がるのがわかった。
(俺はただのパン屋の息子だけど)
「おい! ハーツ! 何をしようとしてるのか知らんがやめろ!」
ロスターの怒声もどこか遠くからに聞こえる。息も苦しいし、足も辛い。だけどこれは逃げじゃない。今居る自分ができる最善だ。
(コラジスの国民、なんだ!)
希望的観測、そのいち。
魔玉針はラッスフェルに存在し、“賢者”が逐一動向を見張っているとする。
希望的観測、そのに。
魔玉針の探知精度は距離では左右されないが、ここまでラッスフェルに近づけば変化が出る。
希望的観測、そのさん。
その揺れを魔玉針が感知し、“賢者”が気付けば、ラッスフェルにコイツの存在が伝わる。
そして、最後の決心の踏ん切りは、トーノスが残してくれた言葉だった。
『攻撃の瞬間だけ――』『魔玉を飼い慣らして――』
コイツは体内の魔玉を飼い慣らして、魔玉針の探知を掻い潜る。
だが、攻撃の瞬間だけは、魔玉からのエネルギーが漏れる。
だから、トーノスが持っていた魔玉針も、攻撃の瞬間を探知していた。
「ロスター! 先に行け!」
急制動をかけて剣を抜き放つ。
「単純な話だ! お前の攻撃を、ラッスフェルの“賢者”が探知するッ……!」
(なあ、ロスター)
「ハーツゥゥゥッ!!」
振り下ろした剣は、当然のように赤紫の装甲に弾かれて。
手の痺れを自覚する暇も無く、俺の体を衝撃と熱が襲った。見下ろせば、2本の牙が俺の胴体に食い込んでいた。
どこかから上ってきた熱い塊を吐き出す。赤紫の甲殻に、赤黒い血が広がった。それが自分の血であることはわかった。毒だろうか、全身の力が抜けていく。
(でもやっぱり、俺は冒険者をやりたかったんだ……)
自分の意識が暗闇に閉ざされる寸前、口が勝手に動いた。仕留めた感触に嗤うそいつの目を見据えて、言葉が漏れる。
「冒険者、舐めんなよ」
笑えていたかどうかは、わからなかった。
「ふぅ……」
曇り空の朝、コムは額に垂れてくる汗を拭った。気温はさほど高くないが、体を動かしていれば汗も掻く。手に巻いた布にも汚れと汗が染みついている。
「まだ、なにも……」
呟き、瓦礫をひとつ持ち上げる。コムも同年代の中では体力と筋力があるほうだが、建築業で鍛えたガタイのいい男達と比べると劣る。それでも手伝いが許されているのは、そこそこの重量の瓦礫は運べるということと、コムが自警団の団員であることが理由だ。
瓦礫を抱えて敷地外の荷車に乗せる。重くなったその荷車は、普段は牛や馬に引かせるのだが、今回の撤去作業では人間が引いて押している。馬や牛を入れることに、貴族街から苦情が入ったからだ。作業はなかなか進まない。
「何かあるはずなんだ……何か……」
コムはルーワンの町から戻ってから、必死に貴族街の廃墟の残骸撤去作業に参加していた。自警団長との交渉は揉めに揉めたが、最終的には非番の日を大量にかき集めることで帳消しとした。向こう2ヶ月休みはなさそうだ。
コムの頭によぎるのは微かな違和感だ。
「何かがおかしいんだ……これは、始まりから何かがおかしい……」
同行したイルディアスとナルファの追跡調査。欠片も異変を察知できずに、急遽“賢者”に“怪童”が呼び戻されて終わり。意気込みに反し、何も掴むことができなかった日々。
どうして追跡調査が行われたのか、その経緯は自警団長から聞いて把握している。実際に現場に来たとき、ちょうど撤去のための重い腰が上がったところだった。逃げ出したと思しき地下室に繋がる扉だけ、瓦礫がどけられていた。やはりここに潜んでいた者は瓦礫をどけて、地下から脱出したのだろう。
その後すぐに撤去作業が始まり、ぽっかりと目立っていた地下への入り口は目立たなくなった。地下室の中は入念に調査が行われたが、何か手がかりのようなものは何も見付けられなかったという。ただ、最近まで人がいたと思しき食料品が残されていただけ。
(何かが、心に引っかかるんだ……)
黙々と瓦礫を片付けながら、コムは思考を続ける。気になったことに目を背けることができない――だからこそ、彼は考えたことは口に出てしまうし、それを止める術を知らない。
「腐ってない食料品……しか残ってない地下室……」
日持ちのしない食料が置かれていたから、最近まで人が居たのだろう、という結論になった。だから追跡調査が行われた。
地下室があったから、潜伏者がいたのだろうと考えた。中を調べてもたいした情報は出てこなかったから、他国の間者なのだろうと考えた。
(落ち着け……何かが変なんだ……)
腰に手を当てて、大きく伸びをする。撤去作業で凝り固まった体がほぐれていく。曇り空を見上げ、息を吐き出す。先ほどよりも雲が薄くなり、太陽の位置がわかった。もうそろそろ昼になるだろう。
「ふぅ……雲が薄くなると太陽って目立つよな……」
晴れてると目が眩むもんな、と考えながら昼ご飯のことに思考を移そうとしたコム。
だが、また頭に何かが引っかかって、思考を止める。敢えてもう一度同じ言葉を口に乗せ、違和感の正体を探ろうとした。
「雲が、薄くなると、太陽って、目立つよな……」
そこだけ光を放っている。晴れていれば太陽の位置を見誤るなんてあり得ないが、分厚い雲に覆われたら何もわからない。太陽の位置が知りたければ、雲の上に行くか、当てずっぽうで当てるかだ。
「瓦礫の中の……地下室への道……」
それはまるで太陽のようだ。ここに手がかりがありますよ、と丁寧に指し示す違和感。瓦礫に埋もれた廃墟の中で、明確に整理された場所は、確実に目を引く。
――誘導だ。
思いついたその可能性に、コムの鼓動が跳ね上がる。うるさいほど脈打つ心臓を押さえつけ、新たな発見に叫びまわりたい気持ちを飲み込む。
(誘導だとして、証拠と目的はなんだ……)
証拠は思いつく。もう廃棄されているかもしれないが、地下室から見つかった日持ちのしない食料。それはおかしい。もう腐っていたならともかく、足の早い食材なら処分するなり持って行くなりできたはずだ。
注目を誘導した目的は、目逸らしと時間稼ぎか。
(……何を恐れた? 何を嫌がった? 相手の気持ちになって考えろ……)
人夫が次々と瓦礫を運び出していく。その動きは無秩序に見えて、実に効率的だ。足場がしっかりしているところから、順番に運び出す。自警団の調査の手が入って遅れはしたが、撤去する行為そのものに問題があるとは思えない。いずれ全ては撤去される。
(妨害じゃなくて、時間稼ぎ……! なら、見付けられて嫌なものは、まだ瓦礫の下にある!)
「……」
これを報告するかどうかは悩む。いずれも推測に過ぎないが、コムはさほど自分の推理に疑念を抱いていなかった。自分の中に確かに存在した違和感がなくなっている。そう考えれば、不思議な地下室の内実にも説明がつく。情報を掴ませず、こちらの幸運を防いだ。
些細なことかもしれないし、推理は外れているかもしれない。
(だけど。もしこの時間稼ぎが、僕の想像よりも悪辣な一手だったとしたら……?)
自分が逃げ出せれば良い、ではなく。
時間を稼げば関係なくなる、のであれば。
「あの。頭領」
「あぁん!?」
強面の撤去屋の頭領に威圧され、コムは思わず唾を飲み込む。
(考えろ考えろ考えろ……! フェイクの地下室は中央から少しだけズレてる! もしも、拠点にしている地下が別にあったのなら――)
「できればで構いません。あの辺りを優先的に撤去してほしいです。地面、見えるまで」
「あ? 別に良いがよ。どこから始めても一緒だからな」
もっと早くやれ、と言われると思っていた頭領は呆けた顔で頷いた。頷く頭領を見て、コムは勢いよく頭を下げる。
「よろしくお願いします! 頭領、いい人なんですね! 顔は怖いけど!」
「余計なこと言うなや!」
人夫たちの爆笑する声が響くが、今のコムには聞こえていなかった。




